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生まれし希望の光


「貴様、名を名乗れ」


 周りを屈強な武士に囲まれ、栗色の鬣の立派な馬に乗った偉そうな男が口を開いた

 歳の頃は二十になったばかりくらいか

 通常、この年齢の者が初対面の他人に対して貴様と呼ぶことはない

 その一言で、言葉を発した男の身分が声を掛けられた者よりも遥かに高いことが判る


 女は稲穂を植える手を止め、目を合わせない様に顔を少し上げ、恐る恐る答えた


「名乗るほどの名を持ち合わせてはおりませぬ。」


 男は女の顔を見た途端、ニヤリと微笑んだ


「美しい。そなた、余の妾にならぬか」


 非常識

 この男にはその言葉がぴったりと似合う


 妾とは、既に婚姻している男性が妻以外に囲う女性のことで、その女性の経済的援助を含むとされ、当時、守護大名ともなれば妾をとることも多かった

 しかし、直接妾になれなどとは言わない

 妾とはいわゆる性欲の処理をする女という意味で、例え妊娠したとしてもその子供が認知されることは少なかった

 認知されたところで、身分は本妻の子供に一生かかっても追いつけない

 女性は物ではない

 この男の先ほどの一言は、男の非常識さを露呈するのに充分すぎるものだった


 それでも、周りの武士はその男の言動には慣れているのだろう

 少しも表情を変えることなく女を見ていた


 しかしそんな武士達にも、女の返答は予想外だったのであろう


「条件があります」


 女が放った一言

 通常、妾の誘いは両親を伴って回答するのが一般的であった

 だからこの場合も、一旦回答を持ち帰るのが常識的だったが、女は即答した


 当時、雉の村は厳しい年貢取り立てで飢饉に喘ぎ、子供、年寄りが何人も死んでいた

 だから女は男に

「年貢を緩和してもらいたい」

という条件をつけたのだ


「よかろう、その代わり、余の願いは何でも聞くのだぞ」


 男は嫌らしい目で女の全身を舐める様に見回した


 嫌悪

 それしかない

 この男だけに抱かれるのは嫌だ


 女はそう思った

 実際、女には心を寄せる別の男がいた

 しかし、村の状況から、決断せざるを得なかった

 女は正義感が人一倍強く、そして優しかった


 その後、女は年老いた両親と村の反対を押し切って、守護大名であった領主の元に妾として向かうことになった


 領主との生活は、女が想像している以上に辛いものだった

 実質、七番目の妾として迎えられた女は本妻や他の妾らから虐めを受けることになった

 それもそのはずだった


 女の容姿はまさに端麗そのものであった

 その身長は領主よりも高く、鼻筋は通り、眼は真実を射抜くか如く、大きくて曇りのないものだった

 嫉妬されたのだ

 また、領主の愛もその女に偏重した


「かぐや、どうしてお前はそんなに美しい?そなたの子供もきっと美しく育つのだろう。余は楽しみだ」


 かぐや

 雉の村から来た女の名前が其れ


 領主は、七番目の妾として迎えられたその女を抱いた夜、良く囁きかけていた

 かぐやはその言葉を聞くたびにゾッとしていた


「自分の子供にまで手を出そうというの。

 でも、私が逆らえば、雉の村が大変なことになる。私は村の為になら死ねる。

 いや、もう死んだのだ」


 天はそんなかぐやに微笑まなかった。

 かぐやは領主の子を妊娠し、領主の命令で出産することになった


「男の子であってほしい。女の子だったら、ごめんね。母と一緒に死のう」


 かぐやはそう思っていた

 そして、かぐやは赤子を産んだ


 領主はかぐやの考えに少なからず気づいていたのだろう

 出産には数十人の医師や武士までもが立ち会う、錚々たるものになった


 そして、出産の瞬間から、かぐやと赤子を隔離した

 かぐやは産まれてきた我が子に対面することも、性別を知ることも許されなかった


 それから数日経った後

 

 子が男であれば、私に渡すはず

 自分の子があの男に陵辱されるのは耐えられない

 子を連れて、雉の村へ行こう


 かぐやはそう思うようになっていた

 雉の村はかぐやが妾になったことによって年貢を減らされていた

 年貢が少なくなった今、雉の村で育つのは幸せと言える


 かぐやはある日、城の中をくまなく探した

 自分の子を探す為に


 そして見つけた

 出産から1ヶ月、ようやく出逢えた我が子だった

 幸い、ここ何ヶ月で城で産まれた子はかぐやの子だけだった

 だからわかった

 それでなくても、何か感じる


 この子は私の娘だ


 かぐやは見張りの女に、領主に子供を連れて来いと言われたと嘘をついた

 鬼気迫る形相で言ってきたかぐやの言葉を信じた女は、子をかぐやに手渡した


 産まれて初めて我が子を抱いた

 自分の娘なのに、不思議な感覚

 でも身体中から愛おしさを感じる


「この子と一緒に生きたい。生命を懸けてでも守りたい」


 かぐやは裸足のまま城を飛び出していた


 領主の城から雉の村までは約二里(約8km)

 行けない距離ではなかった

 しかし、かぐやは裸足

 しかも首の座らぬ赤子を抱えたまま、いつ来るとも分からぬ追っ手を気にしながらの、いわば逃走

 体力はみるみるうちに減っていった


 かぐやは川岸に着いていた

 

 この川沿いに下っていけば雉の村


 かぐやは泣く赤子に初めて授乳をした

 不思議な感覚だった

 赤子はかぐやの乳を飲んだ

 母親になったことを実感できる瞬間だった


 かぐやは辺りを見回した

 来た時は気付かなかったが、花が綺麗に咲いていた


「ん、桜かな。いや、この香り、桃の花

 綺麗、見惚れてしまう」


 それもそのはず、桃の花は淡い紅色であるものが多いが、白色から濃紅色まで様々あり、五弁または多重弁で、多くの雄しべを持つ短い花柄は観賞用としても重宝される

 また、源平桃、枝垂れ桃などは観賞用として特に有名である

 春の季語ともなる桃は三月下旬から四月上旬頃に薄桃色の花をつける


 丁度桃の木の下には桃の実をとる為だろうか、木桶がこさえられていた

 かぐやは着物の袖部分をちぎって桶に敷き、簡易式のベッドを作った


「この中の方が落ち着くかな?

 桃の実は8月ころに熟す。その前に返しに来ます」


 かぐやは桶の中に赤子を寝かした


「凄く綺麗だね。桃の花。貴女の名前の一文字に桃という言葉をつけたいな。」


 赤子にそう声を掛けた瞬間だった


「はぁっはぁ、見つけた。どこに行くつもり?」


 かぐやに叫ぶようにして言ったのは、二番目の妾の女だった


「どうして、ここに?」


 かぐやは戸惑いを隠せない

 多少追っ手を巻く様に走ってきたはず

 城の人間は殆ど外に出ることを許されてない

 特に女

 だから女に追いつかれることはない

 そう思っていた


 女の名前は朝日といった

 

「あんたさえ来なければ、私も子供を産めた。

 あんたさえいなければ。」


 事実

 朝日もかぐやと同時期に妊娠していた

 しかし、領主から堕胎させられていた

 理由はかぐやの妊娠がわかったから

 かぐやの子供をきちんと育てる為、他に子供などいらなかったから


「あんたが子供の部屋に入ったからまさかと思って。

 ずっと見てたのさ。そんでつけてきたって訳。悪いけどさ、あんた達ここで死んでよ」


 朝日は懐から小さな短刀を取りだした

 自害用の短刀だった


 戦国の時代

 侵略した武士達はまず、その土地の男を殺す

 その後、女を犯す

 徹底的に

 それは死よりも苦痛、まさに地獄

 だから当時の女は必ず懐に短刀を忍ばせていた

 覚悟を決めて、喉に突き立てる為の短刀

 対男としてのそれは武器としては殆ど効果をなさない

 しかし、対女であれば、立派な凶器となる


 迂闊

 かぐやは短刀を準備していなかった

 それほど赤子のことで頭が一杯になっていた

 絶対的に不利

 かぐやの脳裏をよぎった死の一文字

 しかし、かぐやは死ねなかった


「子供と一緒に暮らしたい。だから死ねない」


 物凄い雄叫びをあげながらかぐやに切り掛かった朝日

 かぐやはそれをかわす

 朝日は態勢を立て直してまた切りかかる

 朝日は他の町から来た者

 元々裕福な家庭に産まれた女

 武術の心得などなかった

 対してかぐやは農民の娘

 雉の村では幼い頃から弓術を叩き込まれ、短刀の扱いにも長けていた

 力の差は歴然だった


 グサっ


「っっ。。」


 血を流したのはかぐやだった

 上腹部から溢れてくる鮮やかな赤

 かぐやは川岸まで、赤子を抱いて裸足で走ってきた

 対して朝日は足袋を履き、かぐやの様子を見ながら歩いて来た

 また、かぐやは産後日にちが経っておらず、本来の体力が戻っていなかった

 本人も気づかぬうちに、足に疲れがきていた

 避けられたはずの一撃

 それが直撃した


 苦痛に顔を歪めるかぐや

 戸惑いながらも、刃を更に深く押し込む朝日

 かぐやは血を吐きながら、朝日の首筋を叩く

 地面に倒れる朝日

 かぐやは自身に刺さった短刀を抜き、朝日の胸に突き刺す


「ごめんね」


 人を刺したのは初めてだった

 肉にめり込む短刀

 溢れ出す血

 気づけばかぐやは返り血を浴びていた

 もはや自分の血か朝日の返り血か判別出来なかった


「ここで死ぬ訳にはいかない

 一緒に暮らしたいの....」


 息を切らせながら、血を吐きながらも

 かぐやは赤子の元へ向かった


 当然、死んだことなんてない

 生きてるのだから

 でもわかる

 もうすぐで死ぬ


「この子とは暮らせない」


 かぐやは今までの人生を振り返った

 両親のこと

 想いを馳せたあの人のこと

 殺したいほど憎んだ領主のこと


 赤子は目を開けて何処かを見ている

 まだ視線が定まらないのだろう


「君には母も、父もいない。ごめんね。うっ。ごめんね。」


 不思議と痛みはなかった

 ただ腹部からの血は止まらない


 身体が熱いな


 そして、溢れ続ける泪


 後悔すればきりがない

 あぁ、つまらない最期だったなぁ

 お父さん、お母さん...


 かぐやは赤子を見つめる

 続けて自分の両手を見る


「可愛いね。お母さん、あなたをもう一度抱き締めたい。

 ねぇ。でもね、お母さんの手、こんなに汚れちゃったの。

 だから抱っこ出来ないよね。ごめんね。

 お母さん、あなたを愛してるよ」


 泣きながら何度も何度も愛してると繰り返した

 嗚咽がひどくて、ちゃんと言葉になっているか自信はない

 ただ、目の前の赤子が愛おしい

 たまらなく


 かぐやは何か思い立ったかのように、桶の近くにあった手ぬぐいを手に取った

 そして、自らの血で文字を書いた


 桃太郎

 かぐやの愛する子


 と


 間違いなく赤子の性別は女

 しかし、かぐやの子と分かれば領主に陵辱される運命は免れない

 でも、もし男の子として育てば、領主に気づかれることもないまま、人生を歩んでいけるかもしれない

 そう思った


「桃太郎。良い名前だね。きっと素敵な子になるね。

 綺麗な子。優しい子。あなたの成長した姿。

 私は逢えない。

 でもね、ずっと一緒だよ。

 ごめんね。お母さんはあなたを愛しています」


 そう言って桶を持ち、川に浮かべた

 川下には雉の村

 誰でも良い、この子の顔、かぐやと血で書かれた手ぬぐいを見れば、状況を理解してもらえるはず

 川の流れは穏やか

 桶は大きく、赤子も寝返りをうてないから転覆する危険はない


 桶は本当に少しずつ

 かぐやから離れていく

 泪は未だ止まらない

 きっと死ぬまで流れ続ける

 さっきまで熱かった身体は今、凄く冷たい


 かぐやは朝日の亡骸に寄り添った


「ごめんね。あなたも、自分の子供に会いたかったよね。

 ごめんなさい」


 そう言ってかぐやは倒れた

 桃の花の香りがする川岸で

 桃太郎の母

 かぐやは静かな眠りについた


 

 歴史上で真実が語られないことは、実は凄く多い

 理由は真実が残酷だったから、面白くないからなど

 言い伝えや童話は真実を題材にした物語が多い

 しかし、語られない点もある


「桃太郎」のむかし話で、桃太郎の母親に関する話しはあまり触れられることがない

 理由はわからない

 また、桃太郎の性別についても記載されることは少ない

 太郎という名で、読み手が性別を勝手に判断していることが多い


 日本において太郎という人名が登場したのは、弘仁格を発布して死刑を廃止したり、墾田永年私財法を改正(弘仁八年。八一七年)した嵯峨天皇が第一皇子の幼名に命名したのが初見とされる

 以後、武士階級の名としても広まり、今日では一般的に命名される人名のひとつとなった


 桃太郎が誕生した天正十一年(一五八三年)では、武士階級の者だけではなく、農民の内資力を持つ者の間で流行しつつあった

 しかし、ここは吉備の国、田舎の町ではまだ武家のみに許される名とされており、かぐやが農民(かぐや自体は妾となったが、領主の妻ではないので、事実上身分は低いとされる)であるにも関わらず赤子に太郎名をつけたのは、「武士に負けず誇りある人生を送ってほしい。今までの慣習を打ち破ってほしい」という意味が込められたとも考えられる


 かぐやが倒れたその夜は、空が澄み、満月が神々しく輝く夜であった

 まるでかぐや(輝夜)の思いが天に届くかのように


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― 新着の感想 ―
泣けまくる。。。 そしてかぐやが不憫過ぎる。 そしてそして、続きが気になりすぎる
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