桃の花、秘めたる言の葉 〜壱
「この世に生まれるすべてのものには意味があるの」
「同感だ」
「桃の花もそう、言の葉を秘めてる」
「どんな意味があるの」
「言わないよ、恥ずかしいから。
だけどね、あなたへと向いてるよ。
その言の葉の意味」
小さめの竹刀を渡された桃(翁、嫗の孫であり、かぐやの娘)
見様見真似で竹刀を握り、振りかぶる
「違うっ!」
玄信(げんしん。藤原道場の師範。元大駒隊龍王だった藤原一刀斎の息子。)の喝が入る
青い空の真下
のどかな雉の村には凡そ似合わない光景
竹刀を慣れなさそうに握る桃に玄信が駆け寄る
そして、突然右手拳で殴りかかった
戦場では一瞬の隙などない
油断したら痛い目に遭う
玄信は其れを教えようとした
避けられない一撃のはずだった
しかし、寸での所で其れを躱した桃
玄信はすかさず肘を曲げて顔面を狙う
これも体術に秀でた者だからこそ出来た技
其の肘が桃目掛けて繰り出される
桃は身体を後ろに反らすことで直撃を免れる
しかし其の反動で体制を崩して倒れむ
一瞬、時が止まる
はぁっはぁっ
桃は漸く立ち上がる
「お前、なぜ最初の一撃を躱せた?」
玄信が問う
当然直撃させるつもりで狙った
相当加減したが、結構な早さだったはず
避けられた理由がわからなかった
「視えた。から」
桃の答えで合点する玄信
「お前、まさか心眼を」
・・・心眼
其れは優れた運動神経や五感、また第六感とも呼ばれる勘を瞬時に働かせ、考えるより早く身体を動かすことの出来る能力
科学では解明できない力
簡単に言えば研ぎ澄まされた直感
敵の手を先読みし行動に移すことの出来る能力のこと
戦国時代では、武田信玄、上杉謙信、竹中半兵衛などが心眼の持ち主だと言われている
屈強な武士でも戦場で流れ矢一本当たれば死に至る過酷な状況下の中、何十もの戦場に赴き勝鬨を上げてきた無双達の秘めたる力
歴史に名を連ねる猛将達は心眼を持っていた者が多い
また女性でも其れの持ち主はいる
鬼姫と称されることの多い伊達政宗の母義姫や七歳で城主となった立花銀千代などがそう
父一刀斎が探し求めていた心眼の持ち主
刀の神と呼ばれた一刀斎ですら持ちえなかった特別な能力
「幾ら探してもいねぇと言っていたが、見つかる時は呆気ねぇもんだ
なぁ、父上」
玄信は空に向かって独り言を呟いた後、桃を見つめる
「桃、お前に一刀斎が築き上げた剣技、一天流を叩き込んでやろう
そして何年先か分からんが、一端になったならお前の知りたがっていた真実
一緒に見に行こう」
桃は肘打ちの痛みで半べそをかきながら頷く
玄信の放った言葉の意味が理解出来る
いつか遣鬼使に成る
其れ迄に強くなって真実を知ろう
桃は其の小さな両手で、使い古された竹刀を強く握り締めた
其れからというもの、桃は一心に剣を振り続けた。
此の時代の覇者のみが持つと呼ばれる心眼を持って生まれた意味を模索するように
自らの天命を噛みしめるように
玄信は、時に厳しく、時に優しく、桃に自分持てる全ての剣技を教え込んでいった
・・・或る日玄信は桃を家に呼び寄せ、こう言った
「未だ稽古を始めて幾らも経たん
通常であれば其の程度の者に真剣を渡すことなどはしない
然し、いつ敵が俺を殺しに来るとも限らん
そうなって渡せなくなったら困る
父からの譲り物だが、此れを受け取れ」
そう言って、刀身二尺(60センチメートル弱)程の小振りとも言える刀を桃に差し出した
桃は刀を受け取ったが、其の重さに驚いた
日本刀の重さは0.4貫(1.5キログラム)が平均とされる
桃の受け取った刀は平均より僅かに小振りで0.4貫もないもの
其れでも六歳の桃には重たく感じられた
「鞘から抜いてみろ」
玄信に促され、恐る恐る鞘から刀を抜く桃
「え。綺麗」
信じ難い光景だった
刀身がほんの僅かに、微かに蒼く光っている
まるで闇夜に波と共にぼんやりと光る蛍烏賊の様
「原理は分からん。
其の刀の本当の持ち主が木で雨宿りしていた際、雷に打たれたらしい
本来なら即死するだろう
然しな、持ち主は其の刀を抜いて雷をやり過ごしたそうだ
其れを見ていた人達が、刀で雷を切ったと騒いだらしい
結局持ち主は半身付随になって其の後死んだみたいだが、流れ流れて刀だけ父の元に来た
大した逸話を持つ刀だが、些か小さ過ぎて俺には合わなかった
戦場で小さな刀は圧倒的に不利だ
間合いに入る前に殺されるからな
だがな、お前には心眼がある
相手の攻撃を躱して間合いに入り、相手に一撃を振るうことが出来る
其の小さく軽い刀は、其れが出来るお前が使ってこそ真価を発揮する」
暫く刀身の美しさに見惚れていた桃
そして口を開く
「こんな小さな体なのに、雷を切れるんだね
じゃあ名前は雷切でいいかな
有難う、此の子は大切にする」
刀身を鞘に収めて雷切を抱き締める桃
「雷切か、良い名だ
天命を持ったお前に丁度良いな」
玄信は雷切を愛おしく抱き締める桃を見て呟いた
結局、遣鬼使として鬼ヶ島へ渡った雉の村の若者が帰ってくることはなかった
桃が雷切を受け取った次の日
戌の村の武士が雉の村に報告に来た
そして、あの若者が鬼に殺されたことを知った
「お前達も遣鬼使に選ばれたなら死を畏れるでないぞ
領主様に命を捧げるのじゃ」
戌の村の武士は最後にそう言い残していった
雉の村人はまた、悲しみに包まれた
かぐやの時と同じ
村を救う為に生贄を差し出したことになる
でも断ることは出来なかった
年貢の取り立てが厳しくなれば、村には多くの死人が出ることになる
其れは避けなければならない
村を守るために出来ること、それを一番に考えた結果だ
負の連鎖
変えられない運命
雉は、領主に言われるがままにせざるを得ない
桃は雷切をまた抱き締めていた
「憎しみは貴方の元へ向かうよ、領主様
何故、人は鬼に殺されなければならないの
何故、人は争わなければならないの
教えて、領主様」
無意識にそう呟いていた
与一はそんな桃を見ながら父総士に言う
「父上、弓の稽古をもっともっとつけてほしい
大事な人が、なんだか遠くに行ってしまいそう
俺はあの子を護りたい」
元々与一は弓が得意だった
同世代の中でもずば抜けて能力は高い
其れもそのはず、父総士も弓の名手と呼ばれていたから
そんな総士に与一は、これまで以上の稽古を望んだ
十二歳位で元服(現代でいう成人)を迎えていた時代
此の時代の子供達の考え方や行動は、現代の六歳とは比べ物にならない
学校などなかった此の時代では、必要な教育は親か寺、または村の教育係とされた者から受けることが多かった
当然、試験等で頭脳の優劣を競う必要はない
然し、早ければ十二歳で元服を迎える男子
政治の道具として七歳で将軍に嫁がされる女子もいた
幼い段階から親元を離れることが多い
生きる為に必要な知識、防衛手段は自ら学ばなければならなかった
だからこそ、この時代の子供達はひどく大人びている
真実を知ろうと決意した桃
愛する者の為に弓を極めようと決意した与一
二人の決意は固く、揺るがない
そして御前は、そんな兄の腰に抱き着き、団子を頬張っていた
雉の村は、村人が憂慮した様に昔のままではなかった
固い意志を持ち、輝く未来に気を馳せる二つの希望がある
城では、領主が大駒と作戦会議中であった
領主は更なる領土拡大を目論んでいた
「藤原氏の動きが活発だ、いや今は豊臣氏と言ったほうがいいか。
間違いなく次の天下はあの男。
ならば今のうちに少しでも領土を拡大しておきたい」
豊臣氏とは後に天下を統一する豊臣秀吉という太政大臣のこと
丁度この年(天性十六年、西暦一五八八年)に茶々を正室に迎え、刀狩を行った
「今の俺が天下を獲るには力が足りねぇんだ。
欲しいなぁ、どうしても。
鬼の力が。。。」
盃を力強く地面に叩きつけて言い放った領主
一度決めたら絶対にその考えは曲げない
毒を食らわば皿までとは良く言ったものだ
得るためなら手段を選ばない男、其れが領主だった
この人の恐いところはこういうところだ
作戦は必ず遂行させる
そして、何の躊躇いもなく人を殺すんだ
大駒の角行の位置に就く男、梅喧は誰にも聞こえないようにそう呟いた
梅喧は元々孤児だった
親の顔も知らない捨て子
毎日毎日、他人の物を盗んで生きてきた
見つかれば殴り合いの喧嘩
金がないから武器など買えなかった
だから誰にでも手に入る鎌、それが武器になった
汚い生き方かもしれない
でもそれでも自分なりに懸命に生きてきた
そんな中声を掛けてくれたのが一世代前の領主だった
初めて触れた優しさだったのかもしれない
忠誠などとは無縁だった男が
この人には一生ついていこうと思った
現領主は、前領主に比べるまでもない
人に対する優しさなど持ち合わせていない
しかし、魅力はある
自分が望むものは何としてでも手に入れるという強い意志
そしてそれを実現するだけの力と金、知恵
自分の使っていた鎌に鎖と分銅をつけた鎖鎌という新しい武器も与えてくれた
それなりの地位も貰った
貧しかった自分とは違い
約束された身分と将来
それでもなお満足せず全てを欲する
男として魅力を感じていた
いつか自分もそうなりたい
怖いとさえ思う時がある
しかしだからこそ、ついていきたい
梅喧は現領主に忠誠を誓った時のことを思い出し、再度気持ちを新たにしていた
雉の村では総士が珍しく大声をあげていた
「そんなんじゃ駄目だ。
お前が言っていた、愛する人を守りたいという気持ちはそんなものか!」
その声の向かう先には、小さな弓の弦を力なく引こうとする与一の姿があった
もう何百本と矢を射っていた
標的には異様な数の矢が刺さっていた
与一の肩、鏃をつまむ指、そこから延びる肘は激しく震えていた
「お前が何百本矢を射っても、それよりも一人敵の数が多ければお前は死ぬ。
例えお前が死ななかったとしても、大切な人は守れない。
大切な人を守れず、お前は生きるのかっ!」
総士がまた檄を飛ばす
少し言い過ぎたか
自分の息子が大切な人を守るために弓を教えてほしいと言った
その姿が、どうしてもかぐやを守れなかった自分と重なってしまう
そう総士が少し反省した瞬間
与一は矢を標的に向けて放っていた
其れは標的の真ん中に刺さった矢を真っ二つに割るようにして
堂々と真ん中に突き刺さる
素晴らしい弓術だった
迷いはなく、無駄な力も入っていなかった
放った与一にも、少なからずの手応えがあっただろう
同時に倒れこむ与一
地面に伏せる直前に与一を抱きかかえた総士
優しく言う
「良く頑張ったな、さぁ帰ろう。
お前に渡したい物がある」
総士の言葉に与一も優しく頷く
連日続いていた弓の稽古は想像を遥かに超える厳しさだった
しかしそれは与一が望んだものだった
「桃がどんどん離れて行ってしまいそう」
与一が口にした不安が其れ
かぐやを失った総士には、其の不安が痛いほど良く理解できた
かぐやもそうだった。
近くにいても、いつもどこか遠くを見ていた
家に戻った総士は、倉庫から大きな弓を取り出し、居間で御笠と話していた与一に突き出した
「受け取れ」
与一は戸惑う
其れもその筈、総士が突き出した弓は、実に七尺五寸(約227センチメートル)程の大弓と呼べるものだった
其れは当然総士の身長よりも長い
「此れは俺が使っていた弓だ。
材料は真竹と黄櫨、接着は膠を使ってる。
手入れを怠らなければ、何十年も輝きを保てる最高の弓だ。」
総士は誇らしげにそう言い、弓を与一に持たせる
与一は拍子抜けしたように言う
「え。・・・軽い」
与一が普段使っていた半弓と呼ばれるものとさほど重さは変わらなかった
「素材が良いもので作ると、重さは出ないんだよ
お前が普段使ってる弓は、いつかこの弓を扱うときに重さを感じないように、少し重く作っていたんだ」
総士は続ける
「この弓は俺が使っていた大切な弓だ。
でもこれを、お前に譲る。
今日からこの弓は”与一の弓”だ。」
御笠は父から子へと大弓が受け継がれる様子を見ながら一筋の泪を流した
暫くの沈黙
与一は母である御笠が泣いている意味がわからない
総士は御笠の肩に優しく手を回して、厳しい顔をして与一に言った
「与一。
俺は御笠を愛している
この弓で守ろうとしたものは数多くあった
でもこれからは、俺が一番に守るのは御笠
お前はその弓で自分を守れ
そして、自分を犠牲にしてもお前が大切だと思う人を守れ
俺がその弓をお前に託したことの意味、いつかわかる日が来る」
与一は総士の言葉に力強く頷く
いつでも父の言葉には説得力がある
御笠も泣きながら、一度深く頷いた
総士はかぐやを深く愛していた
そんなことは分かっていた
自分はそれでも総士を愛した
しかし、愛する人の中に自分以外の愛する女がいるというのは心地良いものではなかった
御笠の心はこれまで、複雑な感情で一杯だった
総士がまだかぐやを愛しているのではないかと思うこともあった
しかし、先の総士の一言で全て晴れた気がした
何も心配などいらなかったのだ
総士という男を愛して、家庭を持って本当に良かった
心からそう思えた瞬間だった
「総士、愛してる
ありがとう」
御笠は泪を拭いながら小さく、そう呟いた
・・・
「さぁ、そろそろ行く時間かな。」
まだあどけなさの残る横顔の若い女が言う
其の表情には、緊張と決意と好奇心、そして恐怖の感情が入り混じっているように見える
「今日で何かがわかる。怖い。でもきっと大丈夫。」
女は薄っすらと蒼い光を放つ小振りの日本刀を鞘に納め、左腰に付ける
「気を付けて行くんだよ」
女の背後から現れた老婆
手には団子が握られている
「お婆様。今まで本当にありがとう。
迷惑ばかり、そして自分勝手を許してくれてありがとう」
女の目に浮かぶ泪は、顔立ちの整った張りのある頬を伝って床に落ちる
言葉では伝えることの出来ない程の感謝
どれ程綺麗な言葉を使っても、其れを表現するのは難しい
代わりに落ちた純粋な泪
女の思いは、老婆に伝わっている
「これ、あんたの大好きな十団子。黍を多めにしておいたよ。」
老婆は団子の入った袋を女の肩に袈裟懸した
暫く二人は抱き合い、女は家を後にした