幽霊部員は土下座で成仏する。
「聡君はさ、高校に行っても絵は描き続けるの?」
「……多分ね。親が許してくれたらの話だけど」
「じゃあ、妹の——も高校まで描き続けられるよ!絶対!」
「……そうだね、——ならきっと、生きられる」
——その希望は、最悪の形で裏切られた。
放課後、高校の美術室前。扉には、「新入生歓
迎!」と書かれた紙が貼られている。
「ふぅ……」
軽く深呼吸をする。絵なんて、中学の時のあの事件以来、描いていない。そんな僕は、ここにいていいのだろうか……。
「本当に人がいないな……」
この学校の美術部は人気が無い。その理由が、美術室が呪われているからといういわくつきのもので、それが僕を一層不安にさせているのだ。
(よし、行こう)
そう決心して、扉を開ける。
「1年4組の矢部聡です!部活見学をしたいのですが——」
「——で、ソイツをおびき寄せるのよね」
「うん。そして話してもらうの——」
美術室の扉を開くと、目の前には顧問の先生ではなく、女子生徒が2人、話し合っている姿が見えた。
扉が開いた音に気づき、2人が振り向く。
「——幽霊!」
気の強そうな子が、驚きと怒りを合わせたような表情で、そう叫んだ。黒髪のロングヘアーを揺らし、今にも襲いかかってきそうな気配だ。
「えぇっ、その、部活動見学を——」
僕がそう答えた瞬間。
ゴツンッ、僕の額に何かが当たり、鈍い音を立てた。薄れゆく意識の中、不意に目の前が何かに遮られるのが見える。
それは、僕にぶつけられたであろう石膏像だった。
「おい!やり過ぎなんじゃねーか!?」
誰かの声が聞こえる。
「あー……ごめん。つい思い出しちゃって」
「私怨でアイツを攻撃するんじゃねぇ!消えたらどうする!?」
「大丈夫?聡君——」
意識が途切れる寸前、聞き覚えのある声がした気がした。
数十分前——
放課後、教室には僕と友達以外、誰もいなかった。皆、部活動の見学に行ったのだろうか。窓の外を見ると、桜が満開のグラウンドに、生徒が集まっているのが見えた。
「なぁ聡、お前どの部活見に行く?」
笑顔で話しかけてきたのは、同学年の中田康二。高校で、初めて出来た友人だ。
「うーん……特に決まってないけど、強いて言えば文化部かなぁ」
正直、入るならなるべく楽な部活が良い。
「そういう中田は?」
「俺も特に決まって無いんだわ。正直、入るならなるべく楽な部活にしたい!」
「僕も同じ事考えてたよ」
考えの一致に思わず笑ってしまう。しばらくして、僕は考える。
(文化部で楽な部活は何だろう。吹奏楽部は練習がキツイって聞くし、演劇も大変そうだ。文芸部は……文芸って何をやるんだ?)
高校では、あの時の嫌な記憶が忘れられる。もう疎遠になった、あの子のことも。
——話は、僕が嫌いな話題に変わった。
「聡は中学の時、何部だった?」
不意に中田が聞いてきた。
「……覚えてないや」
「覚えてない?本当か?」
「本当だって、ホントに分かんないんだよ」
下手な嘘だ。でも、言いたくない、と言うよりはマシだと思った。
何故なら僕は、中学の時、好きな子を——
「……俺も、覚えてないんだ」
「……えっ?」
中田の予想外の返答に、頭が一瞬思考を止めた。記憶が無い?そんなのあり得ない……
「不思議だよなぁ。記憶喪失の高校生が2人もいるなんてさぁ」
中田が取り繕うような笑顔で言う。
「……そんな僕らが高校生になれたのも、不思議だよね」
「何かの呪いかもしれねーな」
中田が苦笑しながら言う。頭の混乱は、まだ収まらない。
ガラガラガラッ!
突然教室の扉が開いた。そして現れたのは——
「おうお前ら、部活動見学にも行かず不純異性交遊か?」
「先生?いつからいたんですか?」
「兄貴、お疲れっス!」
僕らの担任、佐藤累だった。
「なぁんだ、野郎2人か、期待して損したぜ」
先生が僕の足元を見ながら、残念そうにそう言った。
(相変わらず高校教師だとは思えない言葉遣いだなぁ……)
お陰で、不気味な感覚は完全に消え去った。
「丁度良い、お前ら今から美術室に来い。今年で部員が増えなかったら廃部になるからな」
佐藤先生は、学校一不人気な部活である美術部の顧問でもある。
「ああっもうこんな時間だ!俺デートの約束あるんでもう行きます!」
まさか、と思い僕は視線を横にずらす。しかし、そこに中田の姿はもう無かった。
「はぁ……なんて嘘つきやがる。つーかアイツ告った瞬間に振られてただろ。先生見てたぞ。」
見ていたのか……中田が可哀想に思えてくる。
「俺は中田を捕まえる。お前は先に美術室へ行け。言っておくが、逃げようなんて考えんなよ。逃げたらお前のヌード描くからな」
(ほぼ脅迫じゃん……)
「……分かりました」
答えると同時に、先生は廊下を駆けていった。
「美術部の人気が無いの、先生のせいじゃないのかなぁ……」
「俺のせいじゃあねえぇーーー!美術室が呪われているって言う変な噂のせいだあぁーーー!」
……廊下から大きな声が響いてきた。
時は今に戻り——
「おーい、生きてるかー?」
聞いたことのある声で目を覚ます。
「……えっ?先生?一体いつから……」
「お前が気絶した直後だ。しっかしまぁ、運が無かったなぁ……」
美術室の床から起き上がると、先生が石膏像を持ち上げながらそう言った。
(そうだ。僕はそれをぶつけられて気絶したんだった……)
「まぁ、無事そうで良かったぜ。ブルータスも、お前が下敷きになってくれたお陰で無傷だ」
「俺がいない内にスゴイこと起きたんすね……」
いつの間にか居た中田が、汗だくの状態で、スポーツドリンク片手に恐る恐る聞いてきた。
「……女の子に石膏像をぶつけられて気絶したって言ったらどう思う?」
中田が思い切り吹き出す。
「頭がおかしいって思うわ!」
「その女の子が、あの子なんだよ」
中田の後ろ、美術室の窓側にある水道付近に、本人が、いかにもその説明が不服かのように腕を組んで立っていた。
「言っておくけど、正当防衛だから」
全くの嘘を平然と言う姿に、カチンと来る。
「あれのどこが正当防衛なのさ!僕を見るやいなや石膏像を投げつけてきたじゃないか!」
「アンタが悪いのよ。よくもまた、私の前に現れてくれたわね」
そう言いながら、こちらにどんどん近寄ってくる。
「……また?またってなんだよ!?僕は君のこと、知らない!」
負けじと、僕も彼女に近づく。
「待って!二人ともやめて!」
突然、女の子が割り込んで——嘘だ。
森田加古。目の前に現れたのは、僕がずっと避けていた、幼馴染だった。昔と変わらない、ショートヘアで、赤くて丸いメガネをした、女の子だった。
(知らなかった……同じ高校に進学してたなんて……!)
「……まぁいいわ。どうせ消えちゃうもの」
「え?ど、どうして——」
この人は何を言っているんだ?予想外の事が起きすぎて、頭がクラクラする……
「——アンタは、幽霊だもの」
彼女の一言で、動揺は別のものに変わった。
(僕が幽霊……?)
「自分の身体、よく見てみなさい。足先、消えかかってるわよ」
そう言われて、自分の足下を見る。
「あぁっ!き、消えてる……」
いつの間にか、足下が3分の1程度消えていた。おかしい……足先まで感覚はしっかりあるのに……!
(あの時先生が僕の足下を見たのは、そういう理由だったのか……!)
「はぁ……やっと気づいたのね。後はこの子に聞きなさい」
彼女が、割り込んできた子を見る。
「久しぶりだね、聡君。覚えてる?私のこと。この子は、佐藤佳仲ちゃん。私達皆、中学の同級生だったの」
——佐藤さん、とは知り合いだったのか?駄目だ、覚えていない……
「——私が、記憶と引き換えに、聡君を幽霊にしたの」
「ちょっと待てよ!まさか、俺達の記憶が無いのって、オマエ達のせいか!?」
加古が、残念そうな顔をする。
「……やっぱり、無いんだね、記憶」
いや、ある。断片的には。
「答えろよ!質問に!」
「呪いの代償よ。アンタを幽霊にする為のね」
佐藤さんが僕を睨む。
「俺達の記憶を勝手に——」
「落ち着けよ」
中田の発言の途中で、先生が割り込んだ。
「……兄貴もなんすか。関係者は」
「ああ。佳仲の父だからな」
「「え?」」
僕と中田が同じ反応をする。
「あれ?知らなかったのか?俺と佳仲は親子だって事……」
「「はぁーーーーーーーーーーーーー!?」」
美術室が静まり返った時間、5秒。僕と中田がまた同じリアクションをした。
「言わないでって何回も言ったじゃない!!何でこのタイミングで言うのよ!!」
佳仲さんが、顔を赤らめて叫ぶ。
「悪い、完全に忘れてたわ……まあでも、どっちみち、言う必要はあったと思うぞ?」
「……一体、どういう経緯で知ったんすか?」
「実はだなぁ……佳仲が俺に泣いてすがり——」
「——っ何てこと言うの!?父さんの頭にも石膏像ぶつけるわよ!?」
「佳仲ちゃん、やめようよ。洒落にならないよ」
「……加古がそう言うならそうするわ」
どういう関係なのか、加古の一声で、佳仲さんはあっさり落ち着いた。
「……そう言えば、アンタが幽霊になった経緯、まだ話してなかったわね」
そのまま、佳仲さんは話し出した。
「アンタが幽霊になったのには、アンタの過去が関係しているわ」
そう言って先生に目配せをし、やれやれといった感じで、先生が長方形の箱を取り出す。
それは、小学生が使っていそうな、ドラゴンの絵が目立つ筆箱だった。
「聡君!この筆箱、覚えてる?」
加古がいきなり話し出す。余程、僕達に関わる物なのか?
「いや……覚えてない」
「そっか……」
加古がとても暗い顔をした……
「父さん、開けてちょうだい」
「へいへい……」
そう言って先生が筆箱を開けようとすると——中から細長い手のようなものが2つ伸び、先生の手を掴もうとしてくる……!
「……元々、この筆箱は私が持っていたの。でも、高校に入学してから、ずっとこんな状態」
それには、僕が関係しているのだろうか……?
「そしてある日、夢を見たの。——もういない、妹の夢を」
僕は知っている。加古は、妹を失っているということを。
——そしてそれが、僕のトラウマに大きく関わっているということを……
「夢で私は、妹と約束をしたの。中学以来、会っていない聡君に会って、聡君を過去から解放してあげるって」
「その約束の代償で、僕や中田は呪いを受けたのか……?」
コク、加古が頷いた。
「もういいわ。閉じて」
「へーい……」
パタン。先生が筆箱を閉じると、不気味な手はすぐに消えた。
「じゃあ何故、こんな呪いをかける必要があったんだ!?」
「夢で、妹は言ってたの。呪いがかかるとすれば、それは聡君の、過去に対する恐怖心の現れだって……」
自分が呪われた理由。それは、加古のせいでは無く、自分が過去をあまりにも恐れているからだった。
「そんなこと、あり得ない……」
「現にアンタ、消えかかかってるじゃない。そういう呪いなのよ」
「そして、その呪いを解くには、聡君が、聡君のトラウマを話さなければならないの」
「……自身のトラウマを話す?」
中学時代のあの事件を、話さなければいけないのか?
「包み隠さず、ね。それが、アンタが人間に戻る唯一の方法よ」
「……でも、無いんだ、記憶」
「そうだよ!俺も記憶無いんだよ!」
中田が僕に同調して言う。
「聡君、嘘は言っちゃ駄目!」
「「えっ?」」
加古の突然の大声に、僕と中田は驚く。
——コトン。中田から、スポーツドリンクが地面に落ちた。
「聡君が、トラウマから逃げ続けると、呪いの力はより強くなるの!そうなったら、一体どうなるか——」
「じゃあ、聡はどうして逃げ続けるんだよ!」
「…………」
言えない。言える勇気なんて無い……
「言ってくれよ!聡!」
「分かってねえな……トラウマだからだろ」
「トラウマ?」
「そうだ。トラウマだから話せない。話そうとしない。だろ?」
図星だ。
「……この呪いは、アンタのトラウマを克服させる為のものなんじゃ無いかしら」
佳仲さんが話し始める。
「記憶が無くなった人、それは人質よ。アンタがトラウマを克服しない限り、ずっと記憶が無いままなんじゃ無いかしら?」
「……聡君がつらい目に遭うのは分かってる。でも、聡君には——過去から解き放たれて欲しいの」
「……だから、僕を呪って、幽霊にした?」
コクコク、加古が頷いた。
「この美術室には幽霊が出る。そんな噂、聞いたことないかしら?」
「……うん。先生から聞いた」
「その幽霊は、この筆箱の中にいる、加古の妹のことよ」
佳仲さんが筆箱を指差した。加古の妹。それが、美術室の幽霊だったのだ。
「聡君。私は教えて欲しいの。中学生の時、どうしてあんな事が起きたのかを」
駄目だ。言えない。言いたくない。
「——どうして、絵画コンクールの日、死んだはずの妹の作品が、展示されていたのかを」
「駄目だ!」
叫んだ。叫ぶしか無かった。
「言えない……言えないんだ!」
「聡君!それ以上言っちゃダメ——」
その瞬間、筆箱の手が伸び、中田の腹を貫いた。
「……はっ?」
不思議と中田の身体から血は流れていなかった。
「なっ……ちょっとこれ——」
刹那。中田の身体が、貫かれた所を起点に、砕け始める。
「中田っ!」
——バキンッ。中田が完全に砕け散った。
「マジかよ……」
非現実的な光景に、先生は絶句していた。
「中田……中田は何処に!?」
不思議な力が働き、破片が筆箱に吸い込まれる。
そして——
「あぁっ……足が……!」
僕の膝辺りまでが、完全に消えていた。
「……どうして、どうしてこんな儀式をしたんだ!」
加古に詰め寄る。
「待ちなさい。加古さんには近づかせないわ」
……加古さん?
「……今度は君なのか?今度は君の記憶が無くなるのか?」
それを言った瞬間、佳仲さんはハッと気付いたかのような顔をした。
「……っ!私は、覚えてる!子供の頃、加古さんと一緒に……一緒にっ……」
明らかに記憶が無い。佳仲さんが、いきなり加古さんと言うのは不自然過ぎる……
「佳仲ちゃん、良いよ。忘れても。元々、そうなることを覚悟していたし……」
「……アンタが、アンタが悪いのよ!アンタが罪を告白すれば——」
これ以上、僕を傷付けないでくれ……
「……言わない方が、彼女の為になるんだ」
案の定、筆箱から手が伸びて来た。手が佳仲さんを貫こうとする瞬間——
「……ちぃっ!」
先生が佳仲さんの前に飛び出す。代わりに貫かれる気だ。
「ぐぅっ……」
予想通り、先生は手に貫かれ、身体に亀裂が走る。
「お父さん!」
「聡、言うんだ……言えばきっと、俺も、中田も、元に戻るはずだ……佳仲、俺の事はいい。聡を説得してく——」
バリンッ。話し終える途中、先生の身体は砕け散った。中田の時と同じ様に、欠片が筆箱に吸い込まれていく。
「何で、そこまでして、言わせようとするんだよ……」
そして、僕の身体は、いつの間にか、透けていた。
——あと1人、誰かが吸い込まれれば、僕は完全に消える。そんな悪い予感がした。
「あぁ……」
いつの間にか、夕日が僕を照らしていた。僕がトラウマを話すのを、今か今かと待っているのだろうか。
「お父さん……」
「佳仲ちゃん、大丈夫。聡君は、告白してくれるから……」
「……そんな確証、何処にあるのよ!」
佳仲さんが叫ぶのも無理は無い。僕が告白する確証なんて無い。それでも——
「……僕がトラウマを話せば、皆んなは助かるんだよね」
筆箱に吸い込まれた2人を見捨てる訳にはいかない以上に僕は、加古が吸い込まれるのを防ぎたかった。
「うん。それで呪いは、効力を失うはず……」
僕がずっと告白しなかった理由。それは、加古を傷付けたくなかったから。そんな自分勝手な理由だった。
「そっか……。分かったよ」
そう言った直後。僕は、加古に土下座した。
「ずっと言えなくてごめんなさい。僕が……僕があなたの妹を殺しました」
僕の告白で、佳仲さんが殺気立つのが見えた。
「殺した……?加古さんの妹を……?」
「……間接的に、さ」
「っ……そんな言い訳が通用すると——」
「佳仲ちゃん、落ち着いて」
「……加古さん、こればかりは我慢出来ないわ」
そう言うと、佳仲さんは僕に近づき、土下座した僕を蹴飛ばした。
「ぐえっ……」
彼女の蹴りがみぞおちに当たり、想像を絶する痛みが襲う。
「言ってみなさい!何故そんな事をしたのかを!」
「ぐ……言うさ……今から」
痛みを必死に堪え、四つん這いになりながら、言葉を発する。
「……中学2年の時の絵画コンクールで、僕は……加古の妹の作品を盗んだ。彼女の才能が憎かったからだ」
加古には妹がいた。身体が弱く、いつも病室にいるが、誰よりも絵が上手くて、周囲から尊敬されていた。当時の僕は、そんな彼女を憎んでいた。
「……僕の両親は、とても厳しかった。常に1番を要求された。達成出来なければ……殴られた」
「追い込まれていたんだね……」
加古が同情の眼差しを向ける。やめてくれ……そんな目で僕を見ないでくれ……
「それでも僕は、絵を描くことで自分を保つことが出来た。僕は両親の操り人形じゃないと、信じることが出来た……。だけど、両親は絵を描く僕を嫌がった……」
そして僕は思い付いた。絵画コンクールで大賞を取れば、両親も納得してくれるだろうと。
「だけど、僕に絵の才能は無かった。だから、彼女のアイデア、絵が欲しかった。だから盗んだんだ」
コンクールの締め切り3日前の夜、彼女の病室に忍び込み、絵を盗んだ。——その翌朝、彼女は死んでいた。
「……聡君は悪くないよ。ただ病気が急激に悪化しただけだよ。先生がそう言って——」
「僕が悪いんだ……絵を盗む時に、彼女の容態が悪化していると気付けば、彼女は死なずに済んだかもしれなかった……」
目の前の地面が涙で滲む。涙を流せる立場じゃないのに。
「聡。聞いて」
突然の呼び捨てに、驚いて前を向く。いつの間にか、加古が目の前に立っていた。
「聡はいつも妹のお見舞いに来てくれたよね。妹は——未来はいつも喜んでたの、覚えてる?」
未来——加古の妹は、そんな名前だったのだろうか。
「いつも病室で、聡と私と佳仲ちゃん、そして未来の4人でお話しをしていたよね」
——ずっと忘れていた記憶が、取り戻されて行く。
「あぁ……そうだった……そこに佳仲さんもいたんだ……」
「……そうだわ!」
記憶を取り戻したのか、佳仲さんが声をだした。
「聡が未来を大切にしてくれていたの、私は知っているわ。だって——」
「——聡は未来の名前で、未来の作品を提出してくれたもの」
ずっと、ずっと引きずっていた。
「聡の絵って綺麗だよね!私もこんな絵が描きたいなぁ……」
「こんなの、すぐに描けるようになるよ。加古の妹の方がよっぽど上手いって……」
「そんなことないですよ!聡さんの方が上手です!」
「いいえ、未来の方が上手よ」
「……分かってるよ」
楽しかった、病室での日々。
「絵画コンクール、作品は出せそう?」
「うん……頑張ってみる」
「……未来ならやれる。僕は……信じてる」
「未来なら出来るわ!必ず完成出来る!」
忘れられない、あの日の出来事。
「未来が苦しんでいるのに、聡はまだ来ないの!?」
「テストで悪い点を取ったから、当分は外出出来ないんだって……」
「そんなっ……」
「佳仲お姉ちゃん……聡君は悪くないですよ……。私が弱いのがいけないんです……」
「そんなことないわ!コンクールの作品、完成出来たじゃない!」
僕は、未来が大好きで、大嫌いだった。身体が弱くても、頑張る姿が大好きで、自分よりも、ずっとずっと不幸な境遇にいるのに、弱音の1つも吐かない彼女が大嫌いだった。
だから——盗んだ。それが僕の罪だ。
「——でも、私の名前で出してくれました」
聞き覚えのある声。俯いた顔を上げると、そこには——
「聡さん、もう十分ですよ」
——未来がいた。筆箱から光が出て、まるで立体映像のように、僕達の前に現れた。
「未来!?未来なの!?」
「——未来ちゃん!」
「未来……ぁあっ未来っ……ごめんっ!……ごめんっ!」
あり得ない現実に、涙が溢れ出る。道理とか、納得とか、どうでも良かった。
「私、聡さんのこと、恨んでいません。私の作品、盗んでも、私の名前で出してくれたじゃないですか!」
コクコク、と頷く。そうだ。未来が死んだと分かった日、僕はせめてもの償いで、そうしたのだった。
「だから、前に進んで下さい。絵、もう一度描いて下さい」
「あぁ……分かった。前に進むよ……もう一度、絵を描き始めるよ……」
その言葉を聞いて、未来が安心したような顔をする。
「よかった……」
そう言うと、未来が足先から消え始める。
「待って!未来!まだ話したいことがあるの!」
「未来!もう行っちゃうの!?」
2人が叫ぶ間にも、未来は脚、胴体と、消えていく。
「私の役目はこれで終わり。皆んな、元気で——」
ぽつり。未来から、一粒の涙が流れた。その刹那——
彼女の身体は完全に消え、筆箱から部室を包む程の光が放出される。そして僕達は、その光に包まれた。
「おーい、生きてるかー?」
聞き覚えのある声で目を覚ます。
「あれ?先生?吸い込まれたんじゃ……」
「あぁ。だが、お前さんがしっかり告白してくれたおかげで、無事に出られたぜ」
「死、死ぬかと思ったっすよ……」
中田の声が聞こえる。
「中田!大丈夫だったのか!?」
「大丈夫な訳あるかぁっ!お前のせいでコッチは大変だったんだぞ!」
「落ち着け中田。結果的に助かったじゃねぇか。見ろ、聡も人間に戻れたぜ?」
その言葉で気づき、自分の身体を見る。本当だ——どこも、透けて見えない。
「……分かってるっすよ。ゴメン、聡」
2人の無事が分かって、ひとまず安心する。
「未来は……どこに……」
未来の姿が見えない。
「未来は……消えちゃった」
加古が、悲しみを押し殺したような声で、教えてくれた。あれは、やっぱり幻だったんだ……
「未来の事は、佳仲から聞いていた。……本当に、良く克服したと思うぜ」
未来はもういない。それでも、未来の願いはまだ消えていない。
——それが、あの筆箱だ。
「加古……あの筆箱は……未来のものだったよな」
今なら思い出せる。未来が病室で、いつもあの筆箱から鉛筆を取り出し、下書きをしていた姿を。
「良かった……やっと、やっと、思い出して——」
堰を切ったように加古が泣き始めた。どうしてだろう、あれだけ泣いたはずなのに、また、涙が——
「何加古を泣かしてんのよ」
コツンッ!いきなり、佳仲が頭を叩いてきた。
「……感傷に浸らせてくれよ」
「そんなことは後よ。ほら、加古も泣かない!これから、新入生歓迎会でしょ!」
「新入生しかいねぇけどなぁ……」
「えぇっ!?俺もっすか!?」
いつの間にか3人の手には、クラッカーが握られていた。
「グスッ……ごめん、佳仲ちゃん。……ねぇ、聡君」
「——また、絵を描いてくれる?」
「——ああ!」
スタートを切るように、クラッカーは鳴り響いた。




