95、レディ・クラウベルク
見上げるとユーリが笑顔でルクレツィアを待っていた。ヴィレンと手を離して、ルクレツィアは一歩…赤い絨毯が敷かれた階段を登り始める。
大きなシャンデリアが光り輝いていて、階段を登るルクレツィアは、まるで光の中に向かっていく気分だった。
ユーリの元へ到着したルクレツィア。するとユーリは、声高々に貴族達へ宣言した。
「僕、マルドゥセル魔導帝国皇太子ユーリ・ティア・マルドゥセルは、ルクレツィア・クラウベルクに『レディ』の称号を与える」
その瞬間、貴族達は皆驚きの声を上げた。それはルクレツィアも同じで、信じられないといった表情で目の前のユーリを見つめている。
称号『レディ』とは、この長い歴史のあるマルドゥセル帝国でもこれまでにたった一人にしか与えられた事のない称号だった。
その人物とは、帝国の歴史を学ぶ際に必ず登場する、帝国を建国した初代皇帝のかけがえのない友人であり、共に戦乱の時代を戦い抜いた戦友でもある初代クラウベルク女公爵だ。
「貴女にこそ、この称号が相応しいと僕は思う」
ユーリは微笑んで、持っていた杖をルクレツィアに渡す。
その杖は、とても年季の入った古い杖であるが保存状態が良い。
「…もしかして、この杖は…」
「そう、大魔術師でもあった初代クラウベルク公爵が初代皇帝への忠誠の証に捧げた杖だよ。『レディ』の称号と共に授けるべきだと思ってね」
ルクレツィアは手の中にある杖を見下ろした。そして、イスラーク城にある氷の扉のことをふと思い出す。
(この杖…氷の扉と同じ気配がする…)
氷の扉も初代クラウベルク公爵が造ったとされる魔法の扉だ。ルクレツィアはニコッと笑って、杖を大事そうに抱き締めた。
(初代は、今もなお私達を見守ってくれているんだね…)
カレンを救ってくれた事、残滓だったリクに力を与えてくれた事、ディートリヒの元まで導いてくれた事…初代クラウベルク公爵は、いや彼女は、どこまで未来を見通していたのだろう。
(貴女と同じ称号を頂けるなんて、誇らしいです…)
ルクレツィアは強い意志の宿った瞳でユーリを見た。
「ユーリ皇太子殿下、『レディ』の称号を謹んでお受け致します」
ルクレツィアがそう言って、丁寧に優雅なカーテシーをするのと同時に、周りから拍手が湧き起こったのだった。
こうして、数百年ぶりにレディ・クラウベルクが誕生した。
マルドゥセル魔導帝国で最も大きな影響力を持つ魔術師であり淑女の鑑として『レディ』の称号を与えられた彼女に、昔の『魔力なし』と蔑まれ一人泣いていた少女の面影は無い。
ルクレツィアはこれからも輝かしい未来に向かって歩いていく事だろう。
「…ルクレツィア嬢。いつの日か貴女に尋ねたあの答えが…やっと分かったんだ」
輝く栄光の中、ユーリが笑いながら「貴女には伝えておきたくてね」と、続けた。
「ユーリ殿下…素敵な恋をなさっているんですね」
ルクレツィアがそう返すとユーリは頷く。
「あぁ。僕の生涯をかけて、守りたいと思える人に出会えたよ。この先ずっと、彼女の一番の味方になりたいと思っている」
ルクレツィアはその言葉を聞いてとても嬉しそうに微笑んだ。そして、カーテシーではなく臣下の礼を取る。
「未来の皇帝陛下、および皇后陛下に幸せと祝福が訪れますように…」
そんなルクレツィアの姿を見て、ユーリは思わず目頭が熱くなってしまった。
「……ありがとう。僕のかけがえのない友ルクレツィア・レディ・クラウベルク小公爵。どうか僕とミラで作る帝国の未来を見守っていてくれ」
ルクレツィアとユーリは笑い合った。その姿は、まるで初代皇帝と初代クラウベルク公爵のようだった。
***
パーティーの帰り、ヴァイスローズ公爵家の馬車の中には公爵と公爵夫人、そしてエリーチカが乗っていた。
「エリーチカ」
父の、自分を呼ぶ声が固い。きっと、ルクレツィアやミランダと一悶着起こした事を知られたのだ。
「お前を正式にヴァイスローズ公爵家の後継者から外す事にする」
「…………」
エリーチカは俯いたまま。公爵は我が娘ながら厄介で煩わしいと妻の隣に縮こまって座るエリーチカを睨み付けた。
「どうして同じ事を繰り返すんだ? 今回の事だって、ユーリ殿下が公に出さずに収めて下さったが…その意味が分かるか?」
公爵は話しながら怒りが込み上がってきた。
「私にケジメの付けろと仰っているのだ。私に、自分の娘を断罪しろと……どうしてお前は、家族を苦しめるんだ…」
公爵は苦しそうな表情で言った。普段は優しい公爵夫人もエリーチカを庇う事はしない。
「何故お前は、そう成長……」
しないんだ——と、続くはずだった言葉を飲み込むヴァイスローズ公爵。
皇太子の婚約者を害するという事は、未来の皇太子妃…引いては皇后を害するという事なのだ。本来は、過去ルクレツィアがユーリの婚約者だった時に正さねばならなかった自分達の過ち…あのお茶会で思い知り後悔した貴族達は多い。もちろん、公爵もその一人だった。
小さな子供でもわかる事。なのに何故、自分の娘の片割れは同じ過ちを犯しこうも理解出来ないのか…。
心の中でエリーチカを責めて、そして自分こそが悪いのだと悟った。
(…私がエリーチカを甘やかしてしまったのだ…)
子煩悩なヴァイスローズ公爵はレメディアスもエリーチカも我が子は等しく可愛い。それこそ、どれだけ愚かであっても…。
しかし、エリーチカの事はもう引き返せないところにまで来てしまった。
ヴァイスローズ公爵は悔しさと悲しい気持ちに耐えるように拳を握り、そして震えた。
(エリーチカを修道院に入れよう…)
それが公爵なりのケジメだった。二度と出られない修道院へ送ることが、娘に対しての罰だと考えたのだ。
その時、黙っていたエリーチカの肩が震えている事に気付いた。娘を見れば、エリーチカは涙を流し、嗚咽すら洩らしている。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。お父様、お母様ごめんなさい…」
かつて、エリーチカのこんな姿を見た事があっただろうか…娘の泣く姿に心は痛むが、ここは心を鬼にしなければならない。
「エリーチカ。泣いて謝れば許されると思うな。お前がした事は、一歩間違えれば反逆罪となるんだぞ!」
声を荒げる公爵に対し、エリーチカは「うっ、うっ…」と、言葉を発せない程に泣いていた。
「お前には修道院に…」
「わ、私もっ…変わり、たい…です…!」
エリーチカの言葉に、思わず公爵は口を閉じる。
「でも、その、ために…どう、すればいいか…分か、ら…なくてっ…こん、な…馬鹿な娘で、ごめ、なさい…っ…」
公爵夫人が泣くエリーチカの背中を摩りながら、チラリと公爵を見つめる。その目は、最後にもう一度この子を助けてやれないかと訴えていた。
エリーチカはパーティーでの事を思い出していた。
『…エリーチカ公女様は、10年前と…あのお茶会の日から何ひとつお変わりありませんね』
そう、自分はこれまで何もしてこなかった。自分を顧みたりしなかった。
(ルクレツィア公女はきっと、たくさん努力したのだと思う…)
『レディ』の称号を授かった彼女を、その場にいる者全員が心から祝福している表情で拍手を送っていた。
光の中に立つルクレツィア。その時、エリーチカは初めて自分の本心を認めた。
——彼女みたいになりたい。
でも、どうすれば何から始めれば自分を変える事が出来るのか分からない。こんな事も分からない自分だったなんて、エリーチカは恥ずかしくて堪らなかった。
公爵はエリーチカの言葉を信じて最後のチャンスを与える事にする。
「……他国ではあるが、私の知り合いに魔法省に勤める者がいる。お前が望むなら、そこで働けるように話を付けてやろう」
エリーチカは顔を上げた。
「しかし、お前を後継者から外すと言った言葉は取り消さない。公爵令嬢のお前にとって、その職場は居心地の良いものではないのも確かだ…どうする?」
ヴァイスローズ公爵の試すような言葉に、エリーチカは再び涙を流して強く頷いた。
「…ありがとうございます、お父様…私、そこで頑張ってみたいです…!」
公爵は腰を上げてエリーチカを抱き締めた。
「お前は幸いにも魔力量にも恵まれて魔法の才だってある。きっとエリーチカを認めてくれる者だって現れる…だから、頑張りなさい」
ヴァイスローズ公爵家の人々を乗せた馬車は、月に照らされながら夜道を進んでいく。
数年後、ルクレツィアの元に他国の魔法省で働くエリーチカから心からの謝罪の手紙が届くのだが…それはもう少し未来のお話。
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