91、もう一人の公女
「ねぇ、レーメ…」
ルクレツィアは彼女と両親の現状に思うところがあり、声を掛けようと口を開くとグリムがそれを制した。
「レーメ。パーティーが終わったら、イスラークへ帰る前に二人でヴァイスローズ公爵家へ寄ろうか」
「えっ…」
ニコッと笑うグリムを、レメディアスは驚いた表情で見上げる。
「公爵も公爵夫人もレーメの事を愛しているから…だからきっと、僕たちの事も認めてくれるよ。愛する娘に幸せになって欲しいと、君のご両親もきっとそう考えてくださっていると思うな」
実は、グリムはレメディアスがイスラークに押し掛けて来てからというもの、レメディアスの日常の様子を綴った手紙を彼女の写真とともに何度もヴァイスローズ家へ送り続けていた。
この一年間、公爵家から返事が返ってくることはなかったが、ついに先日グリムの元にヴァイスローズ公爵からの返事が届いたのだ。
手紙には『今後の事をしっかり話し合いたいから、レメディアスを連れてヴァイスローズ家に来て欲しい』と、いう内容が書かれていた。
始めこそ高貴なヴァイスローズ公爵家の娘が公子とはいえ養子との婚姻なんて。と、憤慨していたヴァイスローズ公爵だったが、いざその愛娘にはそっぽを向かれて、とても傷付いていた。
そんな中に娘の近況を知らせる手紙と写真が届き…公爵が絆されるのも時間の問題だった。
そう、これも全てグリムの策略…いや、誠意がヴァイスローズ公爵を変えたのだ。トテモ美シイ義父ト娘婿ノ絆ノ物語デアル。
そんな裏話を知らないレメディアスは、グリムの言葉に感動してまた惚れ直してしまったよう。
「グリム様…僕は貴方のような優しくて素敵な人と結ばれて幸せ者だ……大好きです!」
「大切なレーメのためだもの。君が僕の隣で憂いなく笑ってくれていたら、それだけで幸せだよ」
真っ赤な顔で照れているレメディアスと、美しい笑顔を浮かべて聖人のような愛の言葉を吐くグリムが見つめ合う。
そんな二人を見守りながら、ルクレツィアとヴィレンは心の中で思った。
(知らぬが仏…流石ね、お兄様。普段から召喚獣を手懐けているからか、レーメといい公爵といい…鮮やかな手腕だわ…)
(グリムのやつ…ますます、腹の底が黒くなったなぁ…)
二人が幸せならと、わざわざ口には出さないが。
「絶対にグリム様と離れませんから!」
「ふふ、レーメったら…」
…きっと、離してもらえないのはレメディアスの方だと思う。と、ルクレツィアは続けて思ったのだった。
*
ルクレツィアがヴィレン、グリム、レメディアスと談笑していると、ひと通りの帝国貴族と挨拶が終えたらしいディートリヒとカレンがやって来た。
「お父様、お母様」
ルクレツィアが微笑みながら両親に声を掛けると、二人も応えるように笑顔を浮かべる。
「私の可愛いルクレツィア。今日も飛びきり素敵よ!」
カレンが愛おしそうにルクレツィアを抱擁してきたので、ルクレツィアは照れながらも母の胸に身を任せる。
ルクレツィアの実母カレンはこの数年間で氷の精霊としての力を付けてきており、氷の扉から出てきたばかりの頃は、まだ力の弱い不安定な低位の精霊だったが、今では人族と変わらない姿で顕現できるようになっていた。
それこそ、始めの頃のようにディートリヒの側に四六時中いて魔力を供給されていなくとも、離れて活動出来るくらい力のある立派な精霊に成長していたのだった。
少し前に、カレンはディートリヒに「この調子だと、私、氷の精霊王にまで登り詰められるかもしれないわ!」と、確信めいた口調で話していたらしい。
精霊となったカレンは写真の中のカレンと違い、黒かった髪は白く、黒い瞳は氷のように透き通った青色だ。人族には出せない神秘的で神聖な雰囲気が、彼女を更に魅力的に輝かせる。
死んだ筈のカレンが種族を変えてディートリヒと共に社交界に再び姿を現した時、帝国中が騒然となっていた。
ここで初めて、実はカレンが異世界人であったことがディートリヒの口から明かされたのだ。そして異世界人の性質と、その血を引いたルクレツィアにも異世界人と同じ変質性が引き継がれている事が周りに知れ渡った。
精霊になったカレン、竜人族になったルクレツィア。それだけでなく、近年で大事件として騒がれた異世界人の元勇者と元聖女の存在…マルドゥセル魔導帝国だけでなく大陸中の注目が『異世界人』に集まった。
しかし、廃れた旧暦時代の文明から過去の技術を掘り起こすことはとても困難で…現状で、この世界の者が異世界人を召喚する方法はほぼ無いであろう。そもそも、ディートリヒがカレンを召喚出来た事自体、奇跡だったのだ。
「あっ…」
クラウベルク家が集まる中、突然レメディアスが声を上げる。彼女を見れば、手に持っていたワイングラスからワインが溢れて手が濡れていた。その後ろには青褪めた表情を浮かべる、10歳くらいの少年がいる。
状況的に、少年がレメディアスの後ろを通り過ぎる時に誤ってぶつかってしまったらしい。
「あ、あの…ご、ごめ…なさ…い…」
少年を見ると、何だか可哀想に思えてしまうほど青褪めて肩をガクガクと震わせていた。そんな彼にレメディアスは明るく笑って「大丈夫、手にかかっただけだから」と言った。
「でも、今回は大丈夫だったけど、また誰かとぶつかってその人のお召し物が汚れてしまったら大変だから、気を付けてね」
レメディアスは続けて優しい口調で少年に注意した。少年は頷くと謝罪の意味を込めて深々と頭を下げ去っていく。
「レーメ、大丈夫?」
「グリム様、心配してくれてありがとう。本当にドレスは無事なんだけど、手がね…ルーちゃん、化粧室に付いてきてくれる?」
レメディアスは困った表情を浮かべながら笑って尋ねてきたので、ルクレツィアは当たり前のように頷いた。
「もちろん。ヴィレン…ちょっと席を外すね」
「あぁ。俺はディートリヒやグリム達とこのままこの辺りをうろついてるから」
ルクレツィアは「すぐに戻るね」と、言葉を残しレメディアスとともにパーティー会場を後にしたのだった。
「——付いてきてくれてありがとう、ルーちゃん」
手を洗いたかっただけのレメディアスは、トイレで手を洗い軽く身嗜みを整えるとルクレツィアにお礼を言って、二人はそのままパーティー会場を目指して歩いた。
現在、人通りの少ない渡り廊下を歩いている。会場からはそこまで離れておらず、5分もせずに皆と合流出来るだろう。
レメディアスと並んで歩いていたルクレツィアは、何となく小脇に伸びた細い廊下の先へと目を向ける。そして、思わず足を止めると反射的にレメディアスの腕を掴んだルクレツィア。
「? ルーちゃん、どうしたの?」
「…ねぇ、あれ…」
眉を顰めたルクレツィアが指差す方へとレメディアスも目を向ける。するとそこには、レメディアスの双子の姉エリーチカと彼女に群がるあまり素行がよろしくない低位貴族の令息令嬢達が小さな人集りを作っていた。
レメディアスも途端に厳しい目をする。幼少期、エリーチカに虐められてきたルクレツィアとレメディアスには、どういう状況かすぐに分かったのだ。
「あの性悪女…また、性懲りもなく…!」
「助けに行こう。レーメ」
エリーチカ達が囲んでいる中心には、怯えた様子で背を丸め小さく縮こまっている聖リアン王国の若き姫君が立っていた。
そう、彼女は今夜の主役であるユーリの婚約者となった姫ミランダ・リアンだった。




