86、兄の気持ち
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「お兄様、調子はどう?」
ルクレツィアが、レイモンドとヴァレリアに『監視され』ながら安静に過ごしすっかり元気になったヴィレンと共にグリムの自室へお見舞いに訪れると、兄はとある手紙をベッドの上で読んでいるところだった。
「ルクレツィア。もう大分調子は戻ってきたよ」
ルクレツィア達に気付いたグリムは微笑みながら答えて、読んでいた手紙を丁寧に折り畳んでは元の便箋封筒の中に仕舞う。ルクレツィアはすぐに、その手紙の差出人がレメディアスなのだと気付いた。
「グリム、お前まだ回復してねーの? 俺は3日も休めば、全快したぜ!」
「…人族を、魔族と同列に考えないでくれる?」
自慢してくるヴィレンに、グリムはジト目を向けながら反論する。そんな中、ルクレツィアは今日も『回復魔法薬』の小瓶をグリムに手渡した。
「お兄様、今日の分だよ」
「ありがとう」
グリムは受け取ると、さっそく蓋を開けて一気に飲み干す。最後のひと口を飲み込んだところで、お世辞にも美味しいとは言えない味に何とも言えない…苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたグリム。
『回復魔法薬』は体力、魔力、疲労と体の全ての不調を整えてくれる滋養強壮薬なのだが…それ故に味が…とてもじゃないが不味くて飲めたものではない魔法薬なのだ。良薬、口に苦し…というやつだ。
「よく一気に飲めるな…回復魔法薬は苦くて不味くて、俺、苦手だ…」
「…私もシロップと混ぜて、やっと飲めるかも」
苦い顔をするヴィレンと困ったように笑うルクレツィアにグリムは「僕だって苦手だよ…」と呟くように言った。
「でも、せっかく僕のために作って……いや、人に貰った物は有難く頂かないとね」
口直しにとルクレツィアが薬と一緒に持ってきていた、甘いココアを飲みながらグリムが優しい笑顔を浮かべて言った。
実はこの『回復魔法薬』…魔女の卵であるレメディアスが長年貯金してきたお小遣いの殆どをはたいて、最高品質の材料だけを揃えてグリムを想い一生懸命に作った薬だった。
ルクレツィアはレメディアスから自分が作った物だと伏せてグリムに渡して欲しいと頼まれており、友達との約束を守っている。
ルクレツィアからは何も…彼女の望み通りにレメディアスの『レ』の字も出してはいないが、勘のいいグリムにはどうやらバレバレのようであった。
その上で、レメディアスの気持ちと意思を尊重して知らない振りをしてあげるところが、ヴィレンと比べて非常に大人なグリムだ。
だからこそグリムは、少し困ったな。と、考えていた。
(たまに届く見舞いの手紙に何度も届けられる魔法薬。レメディアス公女様は、もしかして僕に好意があるんじゃないだろうか…)
ルクレツィアの…妹の友人としてしか見ていなかった年下の女の子からの好意に気付いてしまったグリムは、今後彼女とどのように接するべきなのか悩むところだ。
(正直、全くそんな感情で彼女を見た事がない…)
そもそも、グリムは異性に対してルクレツィア以上に大切だと感じる女性と出会った事がない。
別にルクレツィアに恋愛感情を抱いている訳ではなく、ただ、小さなルクレツィアに『兄』と呼ばれた事で孤独から救われた奇跡が、彼の中であまりにも大きな思いとなっているのだ。だから彼の彼女へのこの感情は純粋な『家族愛』に等しい。
(つまり僕は、これまで恋をした事がないということだ)
『恋愛感情』を知らないままで、相手を『そんな対象に見た事がない』と言い切ってしまうのは、果たして正しい判断なのだろうか?
(それは少し、違う気がするな)
グリムが思い悩む中、ルクレツィアが話しかけてきた。
「すごく良い魔法薬だから、お兄様もすぐ良くなるはずだよ。また明日も持ってくるからね」
そう言って笑いかけてくるルクレツィアに目を向けながら、グリムはひとつ試してみたいと思った。
「ルクレツィア。次回の分は、君じゃなくて直接持って来て欲しいって伝えておいてよ」
これまで知らない振りをしてあげていたが、止めにする。グリムの言葉を聞いて、ルクレツィアはぱぁっと表情を明るくさせていた。
「うん、うん…! 絶対に伝えるわ!」
グリムは試してみたいと思ったのだ。
(さて、彼女はどんな顔して僕の前に現れるかな?)
レメディアスが回復魔法薬を手にこの部屋を訪れた時、果たして自分はどう感じるのだろう?
自身の気持ちが、何か変わるかもしれないし、やっぱり変わらないかもしれない。分からないから、グリムは一石を投じてみる事にした。
グリムとレメディアスの間には、まだ何の変化も起こっていないけれど…グリムの中で大きな変化がすでに起きている事は間違いない。
だって、レメディアスの訪れを心待ちにしている時点で、少なくともグリムにとって彼女は他の女性たちよりも気になる存在であるという事が証明されている。
例えその気持ちがまだ恋愛感情ではないにしろ、興味が無ければ試してみようなんて事すら思わない。
彼はその事に、全く気付いていないけれどね。
「ところで、ルクレツィアとヴィレンはこれから出掛けるの?」
グリムが外出用の衣服に身を包む二人に目を向けて尋ねると、ルクレツィアとヴィレンは何処か照れ臭そうな様子で頷いた。
「今日は俺がルーシーの為に考えたプランで、デートするんだぜ!」
「あぁ、ルクレツィアがヴィレンに与えた罰のことね」
前にルクレツィアから話を聞いていたグリムは、ルクレツィアはヴィレンに甘いな…。と、思いながら頷いた。
「墓守犬を連れて行く?」
まだ体を動かす事が辛いグリムは、自分の代わりに召喚獣を連れて行くかルクレツィアに尋ねた。
「そうだね。チャーチ達がいれば、もっと楽しいかも…」
「駄目だ!」
乗り気だったルクレツィアを制するようにヴィレンが叫ぶ。
「今日は俺とルーシーだけのデートだから、グリムは邪魔するな」
ヴィレンは威嚇するように唸りながら、ルクレツィアの肩を抱き寄せた。
「もう行こうぜ、ルーシー!」
「あ…ちょっと、ヴィレン…!」
そして、半ば強引にルクレツィアを立たせると部屋から出て行こうとするヴィレン。グリムは、わざわざ引き止める事はしなかったが、こっそり召喚獣を召喚しようとして…。
「グリム。守護の宿木の花粉を飛ばしたりするのも駄目だからな?」
と、ヴィレンに睨まれてしまった。
「……はいはい。しないよ」
諦めるように小さな息を吐いてそう答えるグリムにヴィレンは頷いてから、今度こそルクレツィアを連れて部屋を出て行った。
「ヴィレンが考えたデートプランか…」
誰も居なくなった部屋で、グリムはベッドに体を倒して天井を見つめながら呟く。
「…あいつ、女心をまるで分かってないからね…ルクレツィアを困らせたりしなければ、いいんだけど…」
兄としては、やっぱり心配で…でも、不思議と嬉しい気持ちの方が勝っている。それは自分が、あの二人がまた仲良く笑い合う姿を見られて喜んでいるからなのか。
「…まぁ、もしルクレツィアが困った様子で帰ってきたら、僕がしっかりヴィレンを叱ってあげよう…」
そう言って、ウトウトし始めるグリム。
気分の良いグリムは、いい夢が見られそうだ。と、思いながら意識は微睡んで、そして深く沈んでいった。




