85、過去の思い出
「両陛下がお前とゆっくりお話されたいと仰っていてな…」
アレンディオやヴァレリアと対面するようにソファーに座るディートリヒが手招きしてきたので、緊張した面持ちのままルクレツィアは父の隣に腰を下ろす。
すると、メイドが静かに入室してきてルクレツィア達の前にティーカップや茶菓子を並べていった。
「……ルクレツィア、お前に礼を言いたかったんだ」
メイドが注いだ紅茶にさっそく手を伸ばし、香りを楽しむヴァレリアの横でアレンディオが穏やかな口調で言った。
「ヴィレンを救ってくれてありがとう」
アレンディオのその時の表情は『王』というよりも『一人の父親』の顔で…さっきまで緊張していたルクレツィアは、ふっと体から力が抜けて自然と笑みがこぼれたのだった。
「私は、ヴィレンの一番の味方ですから…」
ルクレツィアがそう答えた時、ふと、既視感を覚えて彼女は目を大きくさせた。
(あれ…? 私、前にも誰かにそう答えたような…)
『——それなら任せてください。私たち、お互いが一番の味方ですから』
そして朧げに思い出す。
『…この先、もしかしたらお前はヴィレンの本性を知ることになるかもしれない。その時でもどうか、ルクレツィアだけはあの子の味方になってやって欲しいんだ』
昔、小さなルクレツィアにそう頼んできた男性がいたのだ。
ルクレツィアはハッとした表情で顔を上げて目の前のアレンディオを見つめた。まるで、記憶の一部を隠すように覆われていた霧が突然晴れたような感覚。
するとアレンディオは、そんなルクレツィアの様子に気付き…立てた人差し指をそっと口元に当ててヴィレンと似た顔立ちでニヤリと小さく笑ってみせる。
秘密だぞ。と、アレンディオは無言で語っていた。
(あれは二人だけの秘密…そういう事なんですね)
ルクレツィアもクスクスと笑っては隣にいる父親に気付かれないように、小さく頷き返した。
忘れていた昔の記憶を思い出してみて、ルクレツィアは気付く。ヴィレンに対するあの頃の自分の気持ちと、今の自分の気持ちが何一つ変わっていない事に。
ずっと変わる事のない、ルクレツィアの大切で特別な男の子。
(そっか…私、最近まで自覚が無かっただけで、ずっとヴィレンに恋をしていたんだな——)
『ヴィレン、だ』
『…はい?』
『俺の名前』
今よりもずっと無愛想な表情のヴィレンがルクレツィアに名乗った時…彼女は彼を何て綺麗な男の子なんだろうと思った。
『お前に、ルーシーの婚約者の資格はないぜ——婚約者って未来の伴侶のことだろ? その伴侶が馬鹿にされて笑われてる間、お前はそこで何してんだよ』
あの日、ユーリ達から庇ってくれたヴィレンに力強く肩を抱き寄せられて、ルクレツィアはどれだけ心強く思ったか。
『ルーシー、お前を泣かせたのは誰だ?』
エリーチカ達に本気で怒ってくれたヴィレンも…。
『俺からルーシーを奪おうとする奴は…全員敵だ!』
勘違いではあったけれど…ルクレツィアを助けようとイスラークの魔塔を襲撃したヴィレンも…全部ぜんぶ、彼のその姿はルクレツィアにとって自分を守ってくれる格好良いヒーローだった。
『父親に我儘を言え。そしたらお前と友達に…お前をルーシーと呼んでやる』
この世界で唯一、彼女を『ルーシー』と呼んでいいのは彼だけなのだ。
——いつからだろうか。自分を守ってくれるヴィレンを、ルクレツィアも守りたいと思うようになったのは…彼の一番の味方でありたいと思えたのは。
「……お礼を言うのは、私の方なんです…」
ルクレツィアは気付けば、小さな声でそう呟いていた。アレンディオやディートリヒ達の視線が彼女へと集まる。
ヴィレンと出会った日から今日までの彼との思い出を思い返していると、ルクレツィアは無性に…。
「…ヴィレンが先に、私の味方になってくれて…私を救ってくれたんです…」
ヴィレンに会いたくなった。
(変なの。ヴィレンの事を考えると…胸がいっぱいで何だか涙が出そうになる。それなのにとても温かい気持ちになるんだ)
ソワソワし始めたルクレツィアの様子を見て、ヴァレリアが何かに気付いた笑顔を浮かべながらアレンディオに言った。
「ねぇ、アレンディオ。私、ルクレツィアと一緒にヴィレンの顔を見に行ってくるわ」
「そうか」
アレンディオは短く答えながら頷く。ルクレツィアは驚いて顔を上げると、すぐにヴァレリアと目が合った。彼女は、お茶目にもパチリとルクレツィアへウインクする。
どうやらルクレツィアの気持ちはヴァレリアにはお見通しのようで…ルクレツィアは少しだけ照れ臭い気持ちになった。
「さぁて! 竜族のくせにまだ寝込んでる可愛い息子に、『母の愛の抱擁』をお見舞いしてあげましょうか!」
「…怪我が酷くなる事だけは、やめて下さいね…?」
張り切るヴァレリアの後に続いて不安そうにするルクレツィアが部屋を出て行った後…取り残されたディートリヒとアレンディオは沈黙したまま紅茶を啜る。
「……きっと、」
しかし、初めに沈黙を破ったのはディートリヒだった。
「俺よりも貴方がたの方がルクレツィアと共に生きる時間が多いでしょうから、先にお伝えしておきます」
元は人族とはいえ竜族となったルクレツィアと人族のディートリヒは寿命の長さが大きく違う。
「一人の父親として…どうかルクレツィアをよろしく頼みます」
父親としての寂しさと悔しさと、そしてアレンディオにならルクレツィアの事を頼めるという安心感から、ディートリヒは丁寧に深く頭を下げたのだった。
そんなディートリヒを見つめるアレンディオは「クラウベルク公爵、頭を上げろ」と淡白な口調で言い、頭を上げた彼を見てニッと笑う。
「その頼みは公爵の死に際に改めて聞かせて貰おう。今はそんな先の話よりも…俺は公爵が竜族のヴィレンとルクレツィアをこの人族の国に縛り付ける気なのかどうかが気になるところだな…」
試すような目付きで自分を見つめるアレンディオに、ディートリヒは少し目を大きくさせるが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「さて、どうでしょうね……ただ、俺はここ最近でよく考える事があるのです。俺の娘の頭には、王冠が良く似合うだろうな…と」
ディートリヒの言葉に、アレンディオの縦長な瞳孔が大きく開く。
「俺は公爵の頭にも王冠が似合うと思うぞ。…もし、新しい国が出来る時は言ってくれ。魔王国が力添え出来る事があるかもしれない」
アレンディオが強欲そうな笑顔を浮かべて言う中、ディートリヒも釣られて笑ってしまった。
「…アレンディオ国王陛下。今はそんな先の話よりも…人族の国が造る酒に興味はありませんか?」
「……それは何とも素晴らしく興味の唆る話だな」
アレンディオの表情は変わらないのだが、その深緑色の瞳の奥には確かな好奇心と輝きが見える。ディートリヒは笑って、自分の秘蔵のワインを持って来るよう命じるために、使用人の呼び鈴を鳴らした。




