8、竜と皇子の見解の相違
「あのさぁ、さっきから話を聞いてたけどよ…」
突然、竜が話し始めたので皇后やオルク伯爵たちはとても驚き目を丸くした。
ヴィレンはぴょんとルクレツィアの腕の中から飛び出ると、人型となりその場に着地する。
まさか竜が人になるとは思わず、あまりの驚きように四人は言葉を失っている。そんな中、オルク伯爵令嬢はヴィレンの人型の姿に目を奪われたようで頬を赤く染めていた。
「こいつはお前たちの言う魔力なしじゃないし、皇太子妃にはなんねーよ?」
そう言って、ルクレツィアの肩を抱き寄せるヴィレン。まるで自分の味方だと言ってくれているみたいで、ルクレツィアは顔を上げて隣のヴィレンを見上げた。
ヴィレンの言葉に引っ掛かりを感じたのか、今まで傍観していた筈のユーリがムッとした表情を浮かべて言う。
「ルクレツィア嬢は皇子である僕の婚約者です。彼女から離れて適切な距離を保ってください」
するとヴィレンは真顔になり首をコテンと傾けると、ルクレツィアの頭に自分の頭をくっつけて更に距離を縮めた。
「おい、ルーシー。信じられない話だが…もしかして、あいつがお前の婚約者なのか?」
「え? うん…」
ヴィレンの近すぎる距離にルクレツィアは少し顔を赤らめて戸惑いながらも答える。
ヴィレンの態度にユーリが再び口を開こうとした時、突然ヴィレンに指を差された。
「お前に、ルーシーの婚約者の資格はないぜ」
「……は…?」
ユーリは心の中が騒めいて、目眩がした。これが怒りなのだと、すぐに気付く。
「婚約者って未来の伴侶のことだろ? その伴侶が馬鹿にされて笑われてる間、お前はそこで何してんだよ」
ヴィレンの言葉に目を大きく開くユーリ。
「なんで、そこに突っ立って見ているだけなんだ? お前こそ婚約者の自覚はあんのか、皇子様よぉ?」
ヴィレンの態度は物凄く悪いけれど、それでもルクレツィアは嬉しかった。ボロ、と、ついに我慢していた涙がこぼれ落ちてしまう。
「ルーシー、あんな奴らのせいで泣くんじゃねぇ! なんか俺が腹立つ!」
顔を顰めるヴィレンに、ルクレツィアは止まらない涙をそのままに笑顔を浮かべた。
「ううん、この涙はもう…ヴィレンのおかげで嬉し涙に変わったわ」
するとヴィレンは「ふぅん」と相槌を打ち、どこか嬉しそうな様子だった。
ユーリは何故自分が婚約者として不適合だとこの竜に言われているのか、よく理解出来なかった。
婚約者が笑われている?
(だってルクレツィア嬢がノーマンなのは事実だし…)
確かに言い方はあまり良くなかったのかもしれないが、オルク伯爵の言うことは正しい。この魔法文化の発展した国で、魔法が使えない者が皇子の婚約者となり皇太子妃を約束された輝かしい未来を掴めているのも、全ては偉大な魔術師を父に持つおかげではないか。
ルクレツィア・クラウベルク公爵令嬢は美しいが影のある少女だ。いつも俯き、独りで、周りから嫌われている。
ユーリの本心を言うと、彼は魔力なしに対して嫌悪感などは持っていなかった。相手がルクレツィアだったからなのかは、分からないけれど…でも、少なからずルクレツィアに嫌悪は無かった。それよりも…。
(可哀想だな…)
魔法が使えないノーマンに生まれて、と思っていた。
きっとルクレツィアはこれからも独りだ。父親からの関心もないようだし、ずっと独り。だから自分が彼女を慰めて、優しく接してあげようと思った。
(あの子は僕がいないと独りなんだ)
自分なら、あの子の側にいてあげられる。
ユーリは心優しい少年だ。皆に嫌われるノーマンにも変わらず優しさを向けることが出来るのだ。
(僕が側にいてあげたでしょう? 優しくしてあげたでしょう? それなのになぜ…)
今、ルクレツィアの隣には自分以外の男が立っているのだ。
ユーリはヴィレンに可愛い笑顔を向けるルクレツィアの姿を信じられない気持ちで眺めていた。
(僕にはそんな笑顔、一度だって見せなかった…)
これがショックなのか。ユーリは頭の奥で重たい何かがぐわんぐわんと揺れるような感覚に陥った。
「無礼者!」
怒りで顔を赤くしたアネッサが、ヴィレンを睨み付けながら叫ぶ。
「この竜を皇族侮辱罪で逮捕するわ!」
「はぁ? 人間が竜族の俺を捕まえられると思ってんの? そんな事が出来る奴なんて……一人くらいしか知らねー」
昨日、まんまとディートリヒに捕えられたことを思い出したヴィレンだった。
「ルクレツィア様!」
ずっと黙っていたオルク伯爵令嬢が怒った表情でルクレツィアの名を呼んだ。
「躾くらいちゃんとしたらどうなんです? これだからノーマンは! こんな多大な無礼を皇后陛下や皇子殿下に働いて…帝国の恥です!」
伯爵令嬢の言葉にルクレツィアは怒りのあまり言葉を失ってしまった…その時。
「誰なんだ、この躾のなっていない子供は…」
皇帝を引き連れたディートリヒがこの場に現れる。その瞬間、空気が凍り付いた。
先程まで強気な態度だった伯爵令嬢は勢いを失って青褪めており、ディートリヒはオルク伯爵を一瞥すると再びその娘に目を向けた。
「オルク伯爵。子供の躾くらいちゃんとしたらどうなんだ? 帝国の恥だぞ」
「ひっ…」
ディートリヒの鋭い青紫色の眼光に伯爵令嬢は首を絞められた鳥の鳴き声のような声で小さく叫ぶ。
今しがたのオルク伯爵令嬢の言葉に返すように、ディートリヒが静かに言うと伯爵は「申し訳ありません!」と、ブルブルと震えながら慌てて娘の頭を鷲掴みにして無理やり頭を下げさせた。
そんな無価値な謝罪は無視してディートリヒはルクレツィアに向き直る。
「ルクレツィア、待たせたな」
そう言って彼女を抱き上げては優しく微笑むディートリヒに、この場にいる全員が驚きを隠せなかった。
「…な、なぜ…皇帝陛下がクラウベルク公爵と共にいらっしゃるの?」
ディートリヒの作る雰囲気に飲み込まれてはいけないと、アネッサがマルセルに尋ねる。
「それは…」
マルセルはチラリと息子のユーリを見た。
「場所を移動しようか。ここには外部の目も多い」
オルク親子を始めとし、他にも皇宮で働く使用人たちが出入りするこの場所では軽々しく内容は話せないとマルセルは思った。
「…オルク伯爵、今日はもう帰ってくれないか」
「…かしこまりました」
オルク伯爵はマルセルの雰囲気に何か只事ではない事起きているのだと察知する。彼は緊張した表情でお辞儀をすると、娘を連れてその場から立ち去った。
「さて、私たちも移動しよう…」
マルセルの覇気のない声に皇后は頷いて、胸騒ぎを覚えながらも静かに皇帝の後に続いたのだった。