76、再会
ディートリヒは改めてルクレツィアを見る。今、思い返してみれば予兆はあったのだ。
(ルクレツィアに魔法の才が芽生えた時、魔法を発動させたのではなく、くしゃみと共に口から氷を吐き出したという話だったものな…)
その時の自分は、ただルクレツィアの未来が拓けた事に喜びを感じていただけで、違和感なんて気付きもしなかった…。ディートリヒは自身の考えの足りなさに反省する。
ルクレツィアは自身の竜の翼の存在に気付き、驚きを隠せなかった。
(嘘…もしかして、私…竜人族になってる?)
そう自覚すると、不思議と力が湧いてくる気がするルクレツィア。
『異世界人は何にだってなれるのよ!』
ふと、先程の母の言葉を思い出す。
(異世界人の変質性…お母様の血を半分しか受け継いでいない私でもこうなるなら…)
ルクレツィアが思案していると、ディートリヒが「早速ヴィレンの元へ向かおうか」と、話しかけてきたので彼女は顔を上げて父を見上げた。
(もしかして、お母様も…!)
ルクレツィアは潤む目から涙がこぼれ落ちないようにグッと顔に力を入れると、カリンとの写真と母の日記帳をディートリヒに見せる。
「…? これは?」
ディートリヒは写真を受け取り、幼いルクレツィアと見知らぬ少女が映った写真を眺めながら首を傾げた。
「お父様、私…異世界に行ってきたんです」
ルクレツィアの言葉にディートリヒは驚いた表情で写真から顔を上げた。
ルクレツィアは説明した。6年前と今回の事。あちらの世界で、カレンの家族と会った事。そして、氷の扉を通ってカレンが異世界まで手を引いて連れて行ってくれた事…。
ディートリヒはルクレツィアの話を聞きながら、驚きのあまり言葉が出ないようで固まったまま…しかし、その青紫色の瞳にじわりと涙を溜めていた。
「私が竜人族になったように、お母様もきっと…種族を変えて氷の扉の中にいるんです」
ディートリヒはルクレツィアに写真を返すと、すぐさま氷の扉の前まで走った。
「…っ、カレン!」
ディートリヒは泣きそうな顔で必死に涙に耐えながら、氷の扉へ呼びかける。
「そこにいるのか!?」
すると、ディートリヒの問いに応えるように氷の扉がゆっくりと開いていく…。
「………カレン…」
開いた先には気まずそうな表情を浮かべたカレンが立っていて、彼女の姿を目にした途端ディートリヒはぼろぼろと涙を流した。
「ずっとそこに居たのか…?」
「…ディー」
「どうして何も言ってくれなかったんだ?」
「…言いたくても言えなかったの。死に際に氷の扉が助けてくれて、氷の精霊として存在を繋いだけれど…魔力がないと私、溶けちゃうから外には出られないし、生まれたての精霊は話す口もなければ歩く足もない存在なのよ。せめてルクレツィアの助けになりたくて、なんとか片腕だけでもと思ってて……この姿だって、やっと最近保てるようになったんだから!」
カレンのいじけた仕草も懐かしくて愛おしいと、ディートリヒはずっと会いたくて堪らなかった妻にそっと手を伸ばす。彼女の頬に触れると、冷んやりとした冷気がディートリヒの手に伝わった。
「だったら…その片腕だけでも、姿くらい見せてくれたら良かったじゃないか…」
俺はこれまでに何度も氷の扉を通っていた筈だ。と、カレンを責めるディートリヒ。彼の大きな手に頬擦りしていたカレンは、ムッとした顔でディートリヒを見つめる。
「私をそうやって責めるけどね、ディー。そもそも、貴方が結婚指輪を外してた事が悪いんでしょ?」
「え…?」
カレンに反論されて戸惑うディートリヒに、彼女は続けた。
「貴方は素敵な人だもの…。指輪を外した姿を見て、私が居なくなった後に、新しい奥さんを迎えたのかな…って、思うじゃない!? なのにどんな顔してディーの前に現れたら良かったの!」
カレンは自分こそ傷付いていたのだと訴える。
ディートリヒはまさか、カレンの死後に結婚指輪を外す事がそこまで妻を傷付ける行為だとは思っておらず狼狽えていた。
「す、すまない。俺が悪かった! 指輪は君の写真と一緒に俺の部屋に大事に飾ってあるんだ。まさか、それが君を傷付ける行為だったなんて、知らなかったんだ…! それに俺が、君以外の女性を愛することはないから……」
おそらく、異世界同士の文化の違いというやつだろう。カレンもそれを分かっているからなのか、ディートリヒの謝罪に満足したように頷いている。
皆から畏怖と尊敬を集め、理知的で冷淡で隙のない『北の氷王』には似合わない弱々しい表情を浮かべるディートリヒに、カレンは微笑んだ。帝国最高の魔術師も、愛する妻の前ではただの男らしい…。
「私ね、貴方がここを通るたびに見つめてたの」
カレンも氷の扉の中、ずっと一人で寂しかった。何度も通り過ぎていくディートリヒやルクレツィアを眺めるだけの日々は、姿が見られて嬉しい反面とても辛かった。
「貴方がおじさんになっていく姿をね、ずっと十何年も見つめ続けてたよ」
「『おじさん』だなんて…ひどいな…」
ディートリヒは笑って、改めてカレンを見つめると両手を広げて言った。
「魔力なら、俺の魔力をいくらでも君にあげるよ。君と結婚したその日から、俺は俺の全てを君に捧げると誓っているのだから…」
笑顔だったカレンは、途端にくしゅりと顔を歪ませて涙を流す。
「だから、お願いだ。そこから出て…俺の元へ来てくれよ」
「っ、ディートリヒ…!」
カレンはディートリヒの胸に飛び込むように、氷の扉から出た。彼女の姿が溶けてしまう前にディートリヒはカレンを抱きしめて…。
「カレン、愛してるよ」
そして、涙を流しながらも幸せそうに笑ったのだった。
*
ディートリヒは自室に戻り、カレンとの結婚指輪を左手の薬指に嵌めていた。すると、外で騒がしい声が聞こえてきたと思ったら、どこで聞き付けたのか、レオノーラが険しい表情で勢いよく扉を開けた。
「ディートリヒ!」
そんなレオノーラの姿を見て、ディートリヒは思う。
(あの礼節を重んじる姉上が……よっぽど余裕が無いんだな)
普段のレオノーラなら、絶対に部屋の主の返事もなく扉を開けたりしないし、周りの目がある中でディートリヒを呼び捨てになどしないだろう。
「ルクレツィアから話は聞きました! 私も行くわ。私の教え子なのだから、私にもヴィレンを叱る権利はあるは、ず……」
憤っていたレオノーラだったが、ディートリヒの背後に漂うカレンの姿を見て、言葉を失ってしまう。
「相変わらず元気そうね、レオノーラ」
クスクスと笑うカレンに、レオノーラは目に涙を浮かべて「…カレン…?」と、呟くように呼んだ。
「感動の再会のところ悪いが、それはまた後でだ」
自分のことを棚に上げて、ディートリヒはしれっとした顔でレオノーラに言う。
「今は一刻も早くヴィレン達の元へ向かわねばならない。おそらくグリムが引き留めてくれているだろうが…あちらに異世界人が二人もいるとなると、そう時間に余裕はないだろう」
レオノーラはカレンとの再会をゆっくり喜び合いたかったが、今はまず目の前のことをしっかり片付けようとディートリヒの言葉に頷いた。
「えぇ、それは私も同意見です。ですので、私も同行します!」
ディートリヒは彼女の意見は受け入れられないとレオノーラの言葉を無視して、さっさと自室を後にする。
「お待ちください、ディートリヒ様!」
そんな態度のディートリヒにレオノーラは責めた口調で呼んだ。ディートリヒとカレンの後をレオノーラが必死に追いかけていると、ついに城の外までやって来る。
そこには、レイモンドとレオノーラの夫、アスゲイル・スペンサー侯爵がディートリヒを待つように立っていた。
「ディートリヒ様。雪銀の魔兵団から兵士の選別と出征準備は完了しております」
アルゲンテウス軍団長のアスゲイルがディートリヒに現状を報告する。
「あぁ、分かった。スペンサー軍団長…ついでに、お前の妻を説得してくれ」
ディートリヒはレオノーラに目を向ける事なく続ける。
「俺たちと共に戦場へ向かうと聞かないんだ」
ディートリヒの言葉にアスゲイルは目を丸めてレオノーラを見た。レオノーラはというと…まるで借りてきた猫のように気まずそうな表情で大人しくなっている。
「…ノーラ」
「だ、だって…私の大事な姪と教え子が苦しんでいるのに、ただイスラーク城で待つだけなんて…」
アスゲイルが呆れた声色でレオノーラを見ると、彼女は悔しそうな顔で素直な気持ちを伝えた。




