72、『竜と少年の或る物語』⑥
「……ン…、ヴィ…レ…」
確かに聞こえた理玖の声にヴィレンは青褪める。
「リク!!」
赤い炭と化した倒れたテントの骨組みを持ち上げると、その中でもぞりと何かが動く。
ヴィレンは慌てて骨組みを投げ飛ばし、それに手を伸ばして引っ張り出した。
「…お、おい! しっかりしろ!」
『それ』は理玖だった。身動き出来ないように拘束されていた跡があり、顔は血だらけに腫らしている。
「何があったんだ! リク!」
ヴィレンの中でザワザワと何かが暴れ出す。
「ぼ…防御、魔法を張ったんだけど…突然のことで間に合わなくて…僕、少し、気を失ってたから…遅れて…」
「分かった、もう喋んな! 早くヴィンスの所に帰ろう! あいつ、薬とか作るの上手ぇから!」
ヴィレンは微かでも理玖に息があったことに安堵して、彼を横抱きにかかえた。すると、理玖の片足が炭のようにボロボロと崩れ落ちる。
「………は?」
ヴィレンは真っ白になる頭で理玖を見た。
「下、半身…は、間に合わなくて…」
「嘘だろ…おい…」
理玖の呼吸が小さくなっていく。
それに相対するように、ヴィレンの中の騒つきが大きくなっていくのだ。理玖の細い体を支えている自分の腕が震えていた。
「今すぐ竜になるんだ! そうすれば、時間はかかるかもしれねーけど、絶対に助かる!!」
ヴィレンが必死にそう叫ぶが、理玖は力無く笑っていた。
「ごめ…ヴィレン…君が何を言ってるか、分かんない、よ…」
理玖の目から涙がこぼれ落ちた。
「もう、ずっと…何も聞こえないんだ…」
ヴィレンは叫ぶのを止めて、代わりに涙を流す。敵国の奇襲の爆発魔法を近距離で受けた理玖は、その爆発音で鼓膜が破れてしまっていたのだ。
「まだ死にたく、ない…君と世界中を旅すると、約束したのに…」
ヴィレンは信じたく無かった。自分の腕の中で消えていく命を、必死で否定したかった。
「せめて、ヴィレンは、忘れない…でね…僕が確かに、ここで生きていたことを、君だけでも…覚えていて欲しいな…」
「リク……リク? 嫌だぁ…俺たち、友達になったばかりだろ? なのに、なんでこんな…」
(世界旅行だって…まだ、何も…リクと何もやってないのに…)
理玖は死に際に、最後の力を振り絞ってヴィレンに何かの魔法をかけた。それが何の魔法なのか、ヴィレンには分からない。
「……この魔法が、せめ…て…君を守っ…て、くれたら…いいな…」
ヴィレンはぼろぼろと涙を溢して、理玖の上に涙の雨を降らせる。
「ぼ、くの…代わりに、優吾と、紗良を…助けてあげて、ほし…い…」
そう言葉を残して息を引き取っていく理玖の姿に、ヴィレンは何も言葉が出なくて…後悔とか悲しみとか、そんな事よりも…。
ヴィレンは動かなくなった理玖を抱き締めた。静かに流れていた涙は、次第にマグマとなり…ヴィレンの身体がビキビキと膨れ上がっていく。
——竜は、高潔でありながらこの世で最も強欲な種族だ。彼らは自分の大切な『宝石』を守るためならば、守護者にも暴虐者にもなる。
では、『宝石』を失ったならば? それは——
「…馬鹿みたいだ、人間は…」
理玖と一緒に空を飛んだ美しい黒竜ではなく、禍々しい姿をした黒竜がそこにいた。
その黒竜は、目から赤く燃えるマグマを流し、高温に燃え上がった体が歩いた場所は土すらも焼けて焦土に帰していく…。
「そんなに戦争が好きなら、俺が全員殺してやるよ」
——それはきっと、全てを破壊し尽くす殺戮者となるだろう。
*
その日、人間達は戦慄した。
突如現れた禍々しい黒い竜が人間達の国を襲い、その黒い業火で焼き尽くしていったのだ。
もう戦争どころではなくなった。人は争うのではなく、手を取り合わねばならない。
『禍津竜の魔王』を討ち倒すために…。
*
月日は流れて、この世界の殆どの国が滅びていった。理玖達を召喚したファブレイク王国は既に地図から消えており、フィリップ王2世の末路は反乱を起こした国民達により、城の前で首を落とされた。
紗良と優吾は生きていた。一度は戦争に加担し、その手を汚した彼らだったが、だからこそ人々のために魔王を討伐するため立ち上がっていた。
それが二人の、せめてもの罪滅ぼしだったのだ。
「…ここに魔王がいるんだね」
紗良達が辿り着いた先は、深い深い森の奥にある大きな洞窟だった。
存分に暴れ回り、人間達を衰退の危機に陥れた魔王はある日を境に全く姿を現さなくなっていた。
「私達の旅も、ここで終わるかな」
「あぁ、その時は受け入れよう…」
彼らが言う『旅』とは、人生の事だった。優吾と紗良は、強敵すぎる禍津竜の魔王と相打ちし一緒にそのまま死のうと思っていたのだ。もう…疲れていた。昔失った、あまりにも大きな存在を、二人はずっと追い求めている。
随行していた騎士達を洞窟の外で待機させて、優吾と紗良は洞窟の中へ足を踏み入れた。
中は薄暗く、じめじめしていた。嫌な湿気が身体中に纏わり付く。一時間程歩くと、終着地点へと辿り着いた。
とても呆気なく優吾と紗良は魔王の姿を目の当たりにする。
それは想像していた竜の姿なんかじゃなく、半人半竜の姿をした禍々しい黒い鱗を身に纏う怪物の姿をした男だった。
魔王は感情のない顔で二人を見ると、「お前らがユーゴとサラか?」と尋ねてきた。
二人は突然名前を呼ばれて、戸惑いながらも彼を警戒する。
「そうだ。お前が魔王か?」
「…魔王、ね…」
魔王はそこで初めて、微かに笑う。しかし、それはとても自傷的な笑みだった。そして、ゆっくりと立ち上がった。
「あぁ…俺は『魔王』。さぁ、俺を殺すんだ。勇者と聖女よ」
魔王は両手を広げながら無防備に優吾達へと近付いていく。優吾はすかさず剣を構えたが、彼は構わずに近付いた。
剣先が魔王に触れようとした所で、優吾が「止まれ!」と叫ぶ。魔王は足を止めた。
「なぜ戦おうとしない?」
優吾は訝しむ顔で目の前の魔王を見る。禍津竜は酷く悪い顔色で、やつれており、そして生気も覇気もない男だった。
世界中の国を滅ぼしていった竜とは同一人物とは思えない程に…。
「戦う必要がないからだ」
「なぜ?」
「俺はお前たち二人を殺さない」
魔王がそう答えると、紗良が声を上げた。
「今さら改心したって言いたいの!?」
紗良に目を向ける魔王。
「いや、そうじゃない…俺は、リクと約束したからな。お前たち二人を助けてやってくれって」
その瞬間、紗良が再び叫んだ。次は怒りを込めて。
「どうしてあんたが理玖を知ってるのよ!?」
魔王は天を仰ぐように上を見上げた。きっと…理玖との短くも楽しかった思い出を思い浮かべているのだろう。
「だって俺たち、親友だから」
世界中を旅しようと約束したのだ。…もう叶わないけれど。
「あの日の夜、リクと一緒に野営地までお前らを探しに行ったんだぜ…?」
魔王の言葉に、優吾と紗良は固まる。
「え…どういうこと…? じゃあ、理玖は、生きてたの?」
青褪めていく紗良。優吾も、ぶるぶると体を震わせていた。
「私達、じゃあ…何のために戦争を…!」
涙を流しながら魔王に訴える紗良。彼はそんな紗良に冷たい目を向ける。
「知らねーよ。…結局、今、リクはもういねぇんだからよ…」
魔王は続けた。
「喪失感がすごいんだ…そんなに長く過ごしたわけじゃねーのに、リクが死んだ事に耐えられない…」
彼は理玖に会うまで、『宝石』なんて出会った事なかったから、ここまでツラいなんて知らなかった。
「人間を全滅させてやろうかとも思ったけど、そんな事したってリクは帰ってこねぇ…もう、俺も疲れた」
魔王は優吾と紗良を改めて見る。
「今日、お前たちを見逃す事で『助けた』ことにする。これでリクとの約束は果たした。俺にやるべき事は、もうねーよ」
だから自分を殺せと魔王は言っているのかと、優吾は思った。紗良はその場に蹲って泣きじゃくっている。きっと、優吾がやるしかないのだ。
優吾が一歩前に踏み出すと、神具の剣があまりにも簡単に魔王の胸を貫いた。
「…魔王。理玖との約束を守ってくれて、ありがとな」
優吾が涙を流しながらそう言うと、名も知らぬ『魔王』は最期に笑ったのだった。




