71、『竜と少年の或る物語』⑤
「悪いな。今、お前に出てこられたら都合が悪いんだ」
騎士の一人が、歪んだ気持ち悪い笑顔を浮かべながら言う。
「お前が生きてる事を知ったら、勇者様と聖女様が敵兵をぶっ殺してくれなくなるかもしれないだろ?」
(どういう事だ!?)
目を大きく開いて抵抗を続ける理玖に、騎士は続けた。
「我がファブレイク王国は、異世界人の二人のおかげでやっとこの戦争に勝てそうなんだ…!」
騎士は少し興奮した様子で笑い声を上げる。
「勇者様の力があれば敵兵は薙ぎ倒されていき、聖女様の治癒力があれば俺たちは死すらも怖くない!」
騎士の話を聞いて、理玖は勇者が優吾のことであり、聖女が紗良のことなのだと理解する。
「あの二人がこの戦争に意欲的なのも、あの敵国がお前を殺したと思ってるからなんだ!」
理玖は愕然とした。優吾と紗良が…自分のためとはいえ、戦争に参加し人を殺しているかもしれないなんて…そんなの、信じたくなかった。
「あと少し…もう少しで勝てるんだ! だからお前はその時までここで身を隠し、大人しくしていろ」
なんて勝手なんだ、なんて横暴なんだと理玖は怒りで震えていた。
(ふざけるな! こんな、こんな事に僕たちを巻き込むな…好きに僕たちを使いやがって…優吾と紗良を騙しやがって…!!)
理玖の怒りに魔法が反応して、まだ慣れていないものの理玖の猿ぐつわがパキっと割れて外れた。
その瞬間、理玖は叫ぶ。
「こんなの詐欺だ! 僕は生きてる! もう優吾と紗良を解放しろ! 僕たち異世界人は、こんな戦争になんか参加しない!」
すると、騎士の重たい拳を思い切り顔面にくらい、理玖の脳がぐらりと揺れた。理玖がまた何かを言う前に、騎士は何度も拳を振り上げて理玖を殴り付けた。
理玖が防御魔法を張る余裕がない程に意識を失いかけてぐったりとすると、やっとその手を止めて立ち上がる騎士。その拳からは血が滴り落ちていた…。
「戦争が終わればお前ら三人とも解放してやるよ。…と、いっても、生きたままかは知らないが」
騎士はニヤニヤと笑ってそう吐き捨てるように言うと、理玖を改めて縛り上げて、そのテントから立ち去って行ったのだった。
*
「紗良、大丈夫か?」
「…優吾…」
野営地の中で割り当てられたテントの中で、紗良は意気消沈した様子で椅子に座っていた。
「…優吾こそ。ツラいのは、あんたの方でしょ…」
紗良に言われて、優吾は俯いた。
「……手の感触が、取れねぇんだ…」
小刻みに震える手のひらを見つめながら優吾が呟くように言う。紗良からは、彼の俯いた表情は分からなかったけれど、声は震えていて、まるで泣いているように思えた。
「人を斬る感触が…俺、殺人者になっちまった…」
紗良も目の下にクマが出来た酷い顔色で、自身の手を見つめる。
「私も、私が治した人たちが次々に人を殺していった…」
二人は理玖の死を聞かされた時、悲しみよりも怒りを感じた。それは敵国に対してだけではなく、勝手に召喚しておいて何の責任も負おうとしないファブレイク王国に対しても怒りを感じていた。
理玖は敵国に捕まり、痛ぶられながら殺されたのだと…王国の騎士から理玖の死に際の無惨な様子を聞かされた二人は、敵国を『悪魔』だと罵り、恨んだ。
それが、優吾と紗良の心が壊れていく序章となったのだ。助けなんてこない異世界で、二人だけの孤立無援の状態で、更には大切な家族に等しい幼馴染を失った悲しみに耐えられなくて…二人は『報復』という間違った手段を選んでしまった…。
自分達で選んだ道だ。でも…いざ人を殺めてしまうと、それは想像以上に精神を擦り減らす恐ろしいもので、二人の心は限界だった。
戦争なんて経験した事のないただの高校生だった自分達が、周りの大人たちにいいように扱われて持ち上げられていることは明白だ。しかし、では今更自分達の過ちを悔い改めたところで、人を殺す前の自分達に戻れる清く正しい道なんて、もうない…。
それが紗良と優吾の、人を殺めた代償なのだ。
「私…優吾がいなかったら、耐えられなくてとっくに壊れてたと思う…」
紗良は疲れ切った様子で呟いた。
「……もう嫌だ…」
そして、涙を浮かべる。
「これ以上は無理だよぉ…家に帰りたいよぉ…」
涙が止まらない。向こうの世界が恋しい。自分達はなぜ、今ここにいるのだろうか?
「………」
優吾は何も言わなかったけれど、彼も静かに涙を流していた。
ある日突然、呼吸が出来ないほどの苦しみにもがいていた二人に、フィリップはそれぞれに神具を与えた。
それがあれば優吾も紗良も苦しみから解放され、そして特別な力が使えた。
優吾はあらゆる属性の魔法を使えるようになり、紗良は治癒力を授かった。フィリップたち王国民は大喜びで二人を勇者と聖女に祭り上げた。
命を繋ぐためとはいえ、神具を受け取った時点で、二人はもう逃げられなかったのだ…。
「こんな世界…来たくなかった」
「………」
紗良の呟きに、優吾は何も答えない。
「召喚されなければ、理玖は死なず私たちも人殺しなんてしなくて済んだ」
紗良はそう言って、涙をこぼしながら向こうの世界の風景を思い出していた。
「今頃私たちは、それが『幸せ』だってことにも気付かずに平和に過ごしていたよね。あの夕暮れの帰り道を三人一緒に帰って、私と優吾が喧嘩して、理玖がそれを笑いながら諌めて…そんな私たちの日常が繰り返されていたはず」
優吾はゆっくり顔を上げてテントの天井を眺める。
「………理玖のカレーが食いてぇ…」
遠い目をしながらそう呟いた。
「……やだ。カレーよりオムライス」
紗良が反論する。
「馬鹿じゃねぇの。理玖が一番得意な料理はカレーだからな」
「違うよ。ふわふわのオムライスだもん」
優吾と紗良は互いに目を合わせた。
「理玖がいたら絶対、『じゃあ、オムカレーだね』とか言うよな」
「うん、言いそう。いや、絶対言う…」
涙に濡れた目で二人は笑い合った。彼らはもう、昔の幸せな思い出話をして気を紛らわさないと、心が壊れそうだった。
「……私、もうこの戦争に手を貸したくない」
「俺も。こんな報復したって、理玖が喜ばねぇことくらい、分かってたのに…」
後悔。優吾は勇気を出して、紗良の手を握った。
「紗良、ここから逃げよう」
「…優吾?」
優吾は女の子に人気のある男の子だった。顔が良く、スポーツも大抵の事は出来る。そして背も高いから、言い寄ってくる子はたくさんいた。
これまで沢山の女の子と付き合ってみた。でも結局、優吾は誰とも長続きはしなかった。
「二人で暮らそう。静かに暮らして、そして、これまでの罪滅ぼしをしていこう」
(紗良が理玖を好きな事くらい知ってる…でも、この世界で今、紗良を守れるのはもう俺だけなんだ!)
優吾は、ずっと昔から好きな女の子の手をギュッと握ったのだった。
その時、野営地の何処かで爆発音がする。
紗良と優吾が慌ててテントから出て来た時には、辺り一面が火の海だった。
「勇者様! 聖女様!」
ファブレイク王国の騎士が駆け寄ってくる。
「敵国が夜襲を仕掛けてきました! 早くここから避難しましょう!」
優吾達は取り敢えず、騎士の言う通りにする。彼らの後に続いて、この野営地から離れて行った。そこに理玖がいるとも知らずに…。
理玖の事を待っていたヴィレンは、異変を感じて野営地を注視していた。敵国らしき兵士達が魔法を打ち込み、野営地はあっという間に燃え盛る。
ヴィレンは慌てて翼を生やして、理玖を連れ戻しに向かったのだった。
「——ひでぇな…」
野営地の中はどこもかしこも炎に包まれていた。火を吹くヴィレンにとって、この程度の火はどうって事はないのだが…地面の至る所に焦げた人だったものが転がっている。
(…リク…!)
途端に理玖のことが心配になった。理玖は防御魔法が得意だから、万が一にも大丈夫だろうがきっと今ごろ心細くしているんじゃないかと、ヴィレンは考えていた。
「リクー!」
ヴィレンが叫ぶと、炎が轟々と答えた。
「おい! どこだよ!」
避難したのか? ヴィレンが険しい顔付きで辺りを見回す中…。ヴィレンは野営地の更に奥の方へと顔を向ける。
(今…微かに声が聞こえた…)
ヴィレンが炎を操り、火の海を割って道を作り前へと進んでいく。辿り着いた先は、どうやら集中的に敵国へ攻撃された区域らしく、テントの殆どが燃えていた。
(…まさか、な…?)
ヴィレンは嫌な予感を胸に理玖の名を呼んだ。




