7、俯く少女と見上げる竜
ルクレツィアとヴィレンは皇宮の中にある薔薇園を散策していた。
「期待してたけど、案外普通だな」
黒竜の姿をしたヴィレンを抱いてルクレツィアは歩いていた。
「そう? とても立派な城だと思うけど…」
と、言いかけてルクレツィアはベンチを見つけたので、少し休もうとそのベンチに腰を下ろす。
「なんだ、散歩はもう終わりか?」
「ヴィレン、それなら自分で歩いてよ…」
ルクレツィアが呆れながらヴィレンに言うと、彼は「やだね、竜の姿の方が楽だし」と呑気に答える。
「怠慢ね…」
ルクレツィアはそう呟いて、ふと思いヴィレンの短い手を握った。
「な、なんだよ…」
ヴィレンはぎこちない様子でルクレツィアを見る。ルクレツィアは構わずに、他にもヴィレンの体の至るところをペタペタと触った。ひんやりとした温度感で、しっとりとした柔らかさ。不思議な触感で触れていてとても心地良い。
「おい! それ以上はやめろ!」
ヴィレンは堪らずルクレツィアの腕の中から飛び出した。
「一体なんなんだ!?」
照れているようにも、怒っているようにも見える。大きな声を出す彼にルクレツィアは「えっと…」と目を泳がせた。
「竜の姿の時は何も着ていないように見えるけど、人の姿ではきちんと服を着てるから…その、竜の姿の時の服はどうなっているのかなと思って…」
ずっと不思議に思っていたのだ。ルクレツィアは窺うようにヴィレンを見ながら説明する。ヴィレンはルクレツィアの不審な行動理由に納得し、そしてニヤリと笑いながら言った。
「それはお前…俺は竜なんだぜ? 服は俺の逆鱗の中に仕舞ってんだよ」
「そうなの!?」
「さぁな〜」
驚くルクレツィアにヴィレンはケラケラと笑いながら答えを濁した。どうやらヴィレンに揶揄われたようだ。真実は謎に包まれたままである。
「竜の逆鱗の中に服を…じゃあ、ヴィレンは今………」
ルクレツィアは言葉を途切らせて固まると、突然ボッと顔を真っ赤にさせた。
「ルーシー、お前…」
そんなルクレツィアを見たヴィレンはハッとした顔をして慌てて訂正する。
「違うぞ。この時の姿では皮膚や竜鱗が外殻となっていて、全身に鎧を着ているような状態なんだ! 決して、裸なわけじゃねぇ!」
と、捲し立てるヴィレンに真っ赤な顔のまま両手で顔を覆うルクレツィア。
「は、裸だなんてはっきり言葉に出さないでっ」
「だから裸じゃねぇって! 俺を変態みたいに言うな!」
ルクレツィアは手を下ろし顔を上げると、ヴィレンを見つめながら人間と竜族の違いの壁を実感していた。
(初めて会った時にあった傷も、たった一晩で治ってたし…)
きっと人では想像も出来ない力が竜にはあるのだとルクレツィアは確信している。
「…竜って本当に不思議な種族だわ。力も強くて神秘的な存在なのに、父親と喧嘩する理由はあまりにもしょうもない内容なんだもの」
「なんだと!?」
ルクレツィアの言葉にヴィレンが吠えた。
「今しょうもないって言ったのか、ルーシー!」
昨晩、ヴィレンとお喋りする中で彼の家出の理由を聞いたのだ。どうやらヴィレンが竜の女の子に貰った恋文を父親が勝手に見た挙句、またもや勝手に母親に見せては揶揄ってきたらしい。
「親父は俺の幼気な男心を弄んだんだぞ!」
興奮するヴィレンを捕まえて腕に抱くとルクレツィアは「ごめんってば」と笑いながら謝った。
友達と過ごすのがこんなに楽しいことなのだと、彼女は今まで知らなかった。嘲笑われるから、虚勢を張る。馬鹿にされるから、攻撃的になる。ルクレツィアの今までの毎日は、そういうものだった。
(友達と過ごすと、こんな穏やかな気持ちになれるのね)
ルクレツィアはヴィレンに笑顔を向けながら、早く大好きなディートリヒが戻ってこないだろうかと待ち遠しくなった。
「……ルクレツィア嬢?」
誰かに呼ばれて反射的に顔をあげるルクレツィア。
「…ユーリ殿下?」
彼女が顔を上げた先には、ユーリと皇后、そしてこの前の茶会でルクレツィアに父親の不在を指摘してきた伯爵令嬢とその父親の姿があった。
「……ご機嫌よう」
さっきまで楽しかった筈の気持ちが沈む。ルクレツィアは立ち上がるとヴィレンを片手で抱き、もう片方の手で綺麗なカーテシーをした。
「…もしや!」
皇后の隣にいたオルク伯爵が目を丸くして声をあげる。
「その黒い生き物は、竜なのでは!?」
ルクレツィアの挨拶を無視して、オルク伯爵は世紀の大発見でもしたような高いテンションで声を踊らせながら言った。
「まぁ、あれが…!」
皇后も物珍しそうに竜のヴィレンに目を向けて、ユーリとオルク伯爵令嬢も目を輝かせて見ている。
「いやはや、クラウベルク公爵はやはり素晴らしいお方ですな。同じ帝国民、同じ魔術師としてとても誇らしく思います」
どうやら伯爵はディートリヒがヴィレンを手懐けたのだと思ったらしい。魔力なしと呼ばれるルクレツィアをわざわざ刺激するような言い方で称賛する。
「ルクレツィア様、私にも抱っこさせてくださいませんか?」
伯爵令嬢が無邪気な笑顔を見せて両手をこちらに伸ばしながらルクレツィアに言ってきた。
「え?」
「ノーマンにも懐くんですもの、きっと私にも懐いてくれる筈です。だから、私にもそのペットを抱かせて欲しいと申したのです!」
断られるとは微塵も思っていない様子のオルク伯爵令嬢にルクレツィアは腹立たしい気持ちになる。
「…この子はペットではないわ。私の友達なの!」
ルクレツィアが伯爵令嬢を睨み付けると、彼女は弱々しく縮こまり怯えた表情を浮かべた。
またこれだ、とルクレツィアは思う。彼女はいつもこうやって、ルクレツィアを刺激するくせにこちらが強く出るとすぐに被害者面をする。まるでルクレツィアが彼女を虐めたかのように…。
伯爵令嬢が震えながらユーリの袖を掴んでいた。ユーリは伯爵令嬢に何やら優しく声を掛けて、そしてルクレツィアに目を向ける。
「彼女も怯えているし、ルクレツィア嬢はもう少し優しい口調で話してあげて」
(…本当に、いつもこうだ)
ルクレツィアは俯いて、怒りと悲しみと我慢に震える腕でヴィレンをギュッと抱きしめた。悪役はいつも、自分だ…。
ヴィレンがルクレツィアを見上げる。
「…少し抱かせて欲しいと頼んだだけではないですか」
そんな中、皇后が口を開いた。
「本当に貴女は…公爵令嬢ともあろう者が、我儘で狭量な子ですね」
と、冷たい目でルクレツィアを見下ろしながら呆れたように言う。
皇后アネッサ・マルドゥセルは俯くルクレツィアを見ながら、彼女に対して心の底から煩わしさを感じていた。
ルクレツィアがノーマン、というのも理由の一つではあるが、それ以上の理由が他にもあった。
元公爵令嬢だった皇后は子供の頃から同じ年頃のディートリヒにずっと想いを寄せ続けていたのだが、突然現れた異国人に横取りされて、仕方なくマルセルと婚姻した経緯があったのだ。
(どこから連れて来たのかは知らないけれど、たかがノーマンと結婚したからこんな出来損ないが生まれたのよ)
アネッサはカレンへの恨みをルクレツィアにも少なからず向けていた。
(私のユーリを見なさい、完璧な皇子! ディートリヒは私を選ぶべきだった!)
彼女は長年、ルクレツィアとユーリを比べてはそうやって優越感に浸ってきたのだ。
「そんな傲慢でどうするのです。ルクレツィア嬢は皇太子妃になる自覚はあるのですか?」
アネッサの言葉にルクレツィアは悔しくて目に涙が溜まる。せめてこぼれ落ちないように、ぐっと目に力を入れた。
「…偉大な父を持つルクレツィア嬢が羨ましいですなぁ。ノーマンでもこの魔術師の国で皇太子妃になれるのですから」
オルク伯爵がルクレツィアを馬鹿にしたように笑いながらアネッサの後に続いた。娘の伯爵令嬢が父の言葉に思わずといった様子でクスクスと笑っている。ユーリは困った表情を浮かべてルクレツィアを心配そうに見ているだけだった。
ルクレツィアは自分のこんな姿をヴィレンに見られて恥ずかしく思った。自分のこんな惨めな姿を、友達に見られたくなかった…。
(…ヴィレンも呆れているかしら…)
ルクレツィアには価値がないと思ったのではないだろうか。見れない。腕の中にいる小さな竜と目を合わせられない。
(もしも、ヴィレンまで私を嘲る目で見ていたらと思うと——)