69、『竜と少年の或る物語』③
理玖は、目の前に広がるこの景色が、今まで見てきた景色の中で一番凄くて綺麗で幻想的だと思った。
雲の真下を飛んでいるのか、薄らと雲がかかった壮大な自然の大地。理玖が元の世界で生きていたら、絶対に見られなかった景色だ。
「……綺麗だ…」
理玖が呟くようにいうと「人間は空が飛べないから、不便な種族だよなー」と、ヴィレンの呑気な声が聞こえてくる。
「…この世界に来て夢が叶っちゃった…」
「夢?」
ヴィレンの魔法のおかげなのか、もう鱗にしがみ付いておかなくても理玖が吹き飛ばされる事はなかった。理玖はゆっくりと立ち上がり、目の前に広がる景色を堪能する。
「僕は、空を飛んでみたかったんだ…!」
昔、何かの映画で見たように理玖は両手を広げながら明るい声で言う。ただ、それだけなのだけれど…まるで、鳥になった気分だった。
その下ではヴィレンがケラケラと笑っている。
「そんなの、夢でもなんでもねーよ。これからは俺が一緒に飛んでやるから、もっと別の夢を探せ」
理玖も一緒になって笑った。心の底からヴィレンという男の人柄を好きになっていく理玖。
暫く理玖とヴィレンは空中散歩を楽しんだ後、再び地上へ降りた。
「着いたぞ」
人型に戻ったヴィレンが、足をふらつかせる理玖を支えながら言った。
「俺の住む魔族の集落だ」
どうやらヴィレンは、あの森の近くにある魔族の集落ではなく、自分の家がある集落に理玖を連れて来たらしい。
その集落は、理玖の世界でいうところの小さな田舎の村といった様子で、何となく田舎のお爺ちゃんとお婆ちゃんを思い出す。
自然に囲まれた村のあちこちには、ヴィレンのような人間の姿をした魔族もいるし、明らかに人間ではない異形の姿をした魔族もいる。
理玖がビクビクと怯えていると、ヴィレンは可笑しそうに笑った。
「俺たち魔族は人間を食ったりしねーから安心しろよ! 肉は家畜しか食わねーし、野菜だって沢山食うぞ!」
「そ…そうなんだ…」
そう言われても、怖いものは怖い。理玖は思わず、ヴィレンの腕を掴んだまま歩く。
「あ…でも、幽鬼族には気を付けろよ。あいつら、人喰いだからな」
「ゆうきぞく?」
『人喰い』という物騒な単語に理玖は青褪めながら聞き返す。
「なんでも…この世に強い未練というか…恨みとか怒りを持ったまま死んだ奴が、たまに幽鬼族として死体のまま蘇るらしい」
まるでゾンビじゃないか…と、ヴィレンの話に耳を傾けながら身を震わせる理玖。
「厄介な奴らだから、会ったらすぐ殺すに限る」
ひえ…と、掠れた悲鳴を上げた理玖に、ヴィレンは少し照れた表情で続けた。
「まぁ、お前は…俺の知り合いだし? 守ってやらないでもない…」
そんなヴィレンの言葉に理玖は歓喜した。
「うん、ぜひお願いします! ヴィレンさん!」
「お、おう…」
理玖の勢いに圧倒されながらも、ヴィレンは嬉しそうにニカっと笑顔を浮かべる。
「ヴィレンでいいぞ、リク!」
ヴィレンの案内で到着した場所は、彼の自宅だった。
「ヴィンス〜、帰ったぞー」
(竜の家というからどんなものかと想像していたけど、結構普通だ…!)
理玖がヴィレンのこじんまりとした一軒家の外観を眺めていたら、中からヴィレンに似た男性が一人現れた。よく似ていることから、二人は双子だと理玖は思った。
「ヴィレン、どこほっつき歩いてたんだよ…」
と、呆れた様子でヴィレンに苦言を言う彼は、ヴィレンと比べて優しそうな雰囲気の男性だった。
「あれ? その子は?」
「森で拾った」
ヴィンスと呼ばれていた男性が理玖の存在に気付き近付いてくる。
「はい? 森で拾った!?」
ヴィンスは驚きの声を上げた後、すぐにしかめ面をしてはヴィレンに言った。
「すぐに元の場所へ返してきなさい! この子の親御さんが心配してるよ!」
理玖は思った。
(僕…まるで拾ってきた猫みたいな扱い…というか、絶対に小さな子供だって思われてるよね…)
理玖は意を決して、恐るおそるヴィレンとヴィンスに自身の事を説明することにする。
「あの…僕、これでも18歳でして…」
すると、二人して「え!?」と、声を上げて驚いていた。うん、なんとなくその反応は複雑だ…。と、思う理玖。
「そして、ついこの間この世界に召喚された異世界人です…」
そう続けると、ヴィレンとヴィンスは驚愕した表情を浮かべる。
「異世界人!?」
「はじめて見た…」
二人の観察するような視線に何だか恥ずかしい。
「はい。だから僕、親はいなくて…——」
理玖は急に自分の全身から力が抜けていき、驚いた。ヴィレンがすぐに理玖の体を抱き止めてくれて…何故、体に力が入らず、動かせないのか理玖は混乱した。
「…だからこいつ、森で倒れてたのか…」
重たくなってきた視界の中でヴィレンがこちらを見つめながら言う。
理玖の頭はぼうっとしていて、まるでインフルエンザに罹ったように高熱が出た時と同じ症状だった。
「急に体温が上がってきたね…魔力熱かな?」
ヴィンスが理玖の頬や首やらに手を当てて体温を確認しながら言った。
「心配すんな、リク。今、お前の身体がこの世界に順応しようとしているだけだから——」
細くなっていく視界。声の出ない口をはくはくとさせながら、理玖はヴィレンに伝えたい事があった。
「体が回復したらきっと、魔法が使えるようになるよ——」
(ヴィレン、異世界人は僕だけじゃないんだ…優吾と紗良も、この集落に、連れて来…)
「だから、ゆっくりおやすみ——リク」
——プツン——。
理玖が次に目を覚ました時、彼が集落に到着した日から二ヶ月もの月日が経っていた。
理玖は少し硬めのベッドの上に寝かされていて、彼が上体をゆっくり起こすと、目の前には静かに読書をしている黒髪の麗人が座っていた。
「——あ、目が覚めたんだね」
その人はニコリと笑って、水を注いだコップを理玖に手渡しながら尋ねる。
「僕のことは覚えてる?」
「ヴィンスさん…」
「ん、正解」
ヴィンスはヴィレンによく似た笑顔でニッと笑うと「君が目覚めたから、ヴィレンが大喜びするよ」と優しい落ち着いた声で言った。
理玖は渡された水を一口飲んだ後、今度は一気に喉へと流し込む。とても喉が渇いていた事に気付いたのだ。
理玖が水を飲み干す様子を見守ってから、ヴィンスがゆっくりと説明してくれた。
「君の体がこの世界に馴染むのに、案外時間がかかったから…僕らはやきもきしていたよ」
理玖のような異世界人は、この世界の人族とはまた違う種族で、その高い変質性により他の種族と共存出来る特殊な種族なのだと教わった。
「君が望むなら、竜にだってなれるよ」
「え!?」
理玖が驚いていると、丁度ヴィレンが帰ってきたのかドタドタと騒がしい音がした。
「ヴィンス、リクの様子は…」
勢いよく扉を開きながらそう大きな声で部屋に入ってきたヴィレンは、起きている理玖の姿を見て…。
「リク! お前、寝坊しすぎだろ!」
と、とても嬉しそうに駆け寄ってきては理玖を強く抱き締めたヴィレン。線の細い理玖に比べて体格が良く背の高いヴィレンだと、理玖の体はすっぽりとヴィレンの腕の中に収まってしまう。
「ヴィレ、くる、し…!」
理玖の苦しそうな声にヴィレンが慌てて腕を離すと、理玖は全力で息を吸っていた。
(ち、窒息するかと思った…!)
「おう。悪りぃ、リク!」
全く悪びれもない謝罪を笑顔で言ったヴィレンは、理玖が可愛いくて仕方ないのか、今度はわしゃわしゃと頭を撫でてきた。
「そんな事より、リク! お前、もう魔法を使えるぞ! 何か使ってみろよ」
好奇心旺盛な笑顔でヴィレンに促された理玖は、半信半疑で彼に言われた通り手に意識を集中させながら力を込めてみる。
すると、両手の周りに小さな半透明のドームのようなものが現れた。
「これは…」
理玖の手元を覗き込むヴィンスが言う。
「防御魔法だね。リク、君の得意な魔法は防御や封印魔法…誰かを守ろうとする思いが強いみたいだ」
ヴィンスの言葉に、理玖は優吾と紗良の顔が浮かんだ。
「…実は、僕の他にもあと二人、異世界人がいるんです…」
ヴィレンとヴィンスが目を大きくさせた。
「僕の、家族みたいな大切な二人なんです…」
二人をあの国から助けたい。そんな思いが、理玖の涙となり目から流れ出た。




