66、異世界—母の日記帳—
「…良かったら、花怜姉さんの仏壇に手を合わせてやってくれないか?」
「ぶつだん…?」
叔父は頷いてから少し困ったように笑いながら説明してくれた。
「お墓…とは、違うのだけれど…亡くなった人を供養する場所のことだよ」
叔父曰く、そこで母カレンを供養しているらしい。
「ルクレツィアに姉さんの事を教えて貰って…あの後時間はかなりかかったけど、数年越しに僕たち家族は姉さんの死をやっと受け入れる事が出来たんだ。…まぁ、母さんはまだ完全には受け入れられていないようだけれどね…」
叔父は複雑そうな顔をして続ける。
「それまでの僕らは生きてるか死んでるかも分からない姉さんを当てもなくずっと探し続けていただけだったから…」
だからやっと、こうして姉さんに手を合わせてあげられる事が出来て良かったと思ってる。と、叔父は言ってから立ち上がった。
「姉さんのところへ行こう、ルクレツィア」
そう手招きする叔父に続いて、ルクレツィアはまた別の部屋へと移動する。案内された部屋は、『仏間』と呼ばれる部屋だった。
ルクレツィアは見慣れない部屋の造りにキョロキョロと周りを見渡していると、カリンが手を繋いできて「こっちだよ」と言う。
「ここが伯母さんの仏壇で…えっと、こうして正座して、手を合わせるの」
手本を見せてくれるカリンの真似をして、ルクレツィアは不慣れながらも膝を折り、そして両手を合わせては目を閉じた。
(…お母様…)
ルクレツィアがカレンを想ったその時、ふわりと冷たい冬の匂いが鼻を掠める。
まるで、冬の時期になるとイスラーク城を包み込む冷たいながらも温かな懐かしい匂いのようだった。
頭に浮かぶのは…レイモンドやレオノーラ、サティなどの城の者。そして、マイロやロウリなどの魔塔の魔術師達。
そこで自分は当たり前のように笑っていて、大好きな家族…ディートリヒやグリムに囲まれていて…そして…。
(…ヴィレン…)
彼女がこの世で最も愛する人の顔が思い浮かんだ。
ルクレツィアは目を開き、『遺影』と呼ばれる母カレンの写真を見上げながら心の中で問い掛ける。
(お母様はどうして私をこの世界に連れてきたのですか?)
自分がこの世界に来た意味、そして探しにきた無くしもの…その全ては、カリンが言う自分たちが初めて出会った…ルクレツィアが忘れてしまっている6年前に答えがあるのだと思った。
「…カリン。前回は、私たち何して遊んでたの?」
ルクレツィアが尋ねると、カリンは昔を思い出すような仕草を見せて「確か…近所の公園で遊んだり、家でテレビを見たりしたかなぁ…?」と、自信無さ気に答える。
何となくだが、あまりルクレツィアの『無くしもの』には関係がない気がする…。
「お願い、カリン…! 私、どうしてもあの時の事を知りたいの…もっと詳しく思い出せないかな?」
泣きそうに懇願してくるルクレツィアに、カリンは困った顔をした。思い出したいのは山々だが、急に6年前の記憶と言われても…と。
「ルーちゃん」
その時、ルクレツィアにお茶を出してくれてからはずっと姿を見せていなかった祖母が仏間にやって来ては声を掛けてきた。
「これ…もう一度貴女と会えたら、渡したいと思っていたの」
そして、遠慮がちに差し出してきた一冊の本。
「これは…?」
ルクレツィアが戸惑いながらも恐るおそるその本を受け取ると、祖母は悲しそうに笑った。
「前、うちに来た時に…貴女にあげた物よ。それなのにルーちゃん、忘れて帰っちゃうんだもの」
ルクレツィアの『無くしもの』…。
「それ、姉さんが昔書いてた日記だね」
叔父がルクレツィアが受け取った本を覗き込みながら言った。
「あー! 思い出した! ルーちゃん確か、伯母さんの日記帳を読んでたら突然泣き出しちゃって…だから私、慌ててお父さんを呼びに戻ったら、もうルーちゃんが居なくなってたんだよ」
カリンはどうやら記憶が繋がったようで、スッキリとした表情で元気よく言っていた。
ルクレツィアは改めて『カレンの日記帳』に視線を落とす。
そこには、まるで物語のタイトルのような文字が書かれていた。
「…『竜と少年の或る物語』…」
ルクレツィアがそう呟くと、横で同じように日記帳を眺めていたカリンが「え?」と声を上げる。
「ここ、ただ『Diary』って書いてあるだけだよ」
ルクレツィアは顔を上げてカリンを見た。…当たり前だ。異世界の住人であるルクレツィアが、この世界の文字を読めるはずなんてないのに…。
きっと、今から読むこの日記帳は、カリン達には見えない何かがルクレツィアには見えるのだろう。
そしてその内容こそが、きっと…。
『真実を知らないまま、もっと大切なものを…』
(…待ってて、ヴィレン。すぐに貴方の元へ行くからね)
ルクレツィアは真実を知るために、その竜と少年の…おそらく、ヴィレンとリクの物語が描かれた本をそっと開いたのだった…。
***
約2千年前、荒廃した地に一人の竜人族がいた。
彼は勇者から奪った竜の卵を大事そうに抱えて、一人寂しそうに空を見上げていた。
「ヴィレン、辛かったね…」
そう言って、卵を撫でる。
「でも、もう大丈夫だからね」
黒髪にこの空と同じ青い目をした青年は、目に涙をためて悲しそうに笑っていた。
「僕が君を守る国を作るから」
魔王を守る国、魔王国を作ろう。と、彼は決意した表情で言う。
「この卵がまたいつ孵るかは分からないけれど…ヴィレンが再び目覚めた時に、君が何もかもを忘れたまま幸せに暮らせるように…」
そして、涙をこぼして続けた。
「そこで君は、新しい家族に囲まれて、友達を作って、恋なんかしたりして…何もかもを忘れて、ごく普通の幸せな人生を歩むんだ」
僕が君にしてあげられることは、もうそのくらいだから…と、彼が呟くと風が吹いた。
「…僕のこともリクのことも忘れて…新しい人生を…」
ヴィンスは空を見上げて問い掛ける。その顔は悲しみと後悔に溢れていた。
「…リク。君の魔法がヴィレンを封印した理由は、きっと君もそう望んでいるからだよね…?」
——魔王の双子の兄であり初代王ヴィンスはこの日、魔王国を建国した。
そして現在、初代王の願い通りに魔王の卵は息子アレンディオへと託されていたのだった。
***




