65、異世界—もうひとつの家族—
——気がつくとルクレツィアは、見たこともない世界の中にいた。
ザワザワと騒がしく、老若男女の人々が忙しなく行き交っている。聞いたこともない沢山の音も聞こえて、ルクレツィアは怯えた表情で周りを見回していた。
(ここ…どこなの…知らない国…?)
人々は皆、ルクレツィアが見た事もない服装で歩いていた。統一性はなく、様々な衣服に身を包む彼らは、まるで母カレンやユーゴのような顔立ちの者ばかりだった。
「ねぇ、あの子見て」
近くを通りかかった若い女性が隣を歩く男性に声をかける。
「外人? いや、ハーフかな? 可愛い〜、どこの学校の制服なんだろ?」
ビアトリクス魔法学園の制服を着ているルクレツィアを、明らかに指差しているその女性。ルクレツィアは青褪めて、その場から逃げるように当てもなく駆け出した。
(ここはどこ!? ヴィレンは? お兄様は?)
目に映るもの全てが初めて見るものばかりだ。
(…お父様…!)
ルクレツィアは走りながらも、何となくここが何処なのか分かってきた。きっとここは、カレンやユーゴ、そしてサラの故郷…異世界なのだと。
自分は確かにカレンに連れられて氷の扉の中へ入ったはずなのに…母の姿はなく、何故か異世界へ来てしまっていた。
「……お母様…」
ルクレツィアは心細くて、俯きながらカレンを呼ぶ。けれど、カレンの姿はルクレツィアの目に映る世界のどこにも居なかった。
どこへ行けばいいのか分からなくて途方に暮れていたら、右手の人差し指に熱を感じて視線を落とす。
すると、黒い指輪がチカチカと光を放っていた。
(なに…? なんで指輪が…)
その瞬間、グイッと誰かに手を引かれた感触を感じたルクレツィア。戸惑いながら自身の右手を見れば、指輪が意思を持ってどこかへ自分を連れて行こうとしている事が分かった。
「お…お母様…?」
ルクレツィアが恐るおそる尋ねてみる中でも、指輪の引力に手を引かれる。
(…多分、この感じ…お母様じゃない…)
カレンの白い手は、ルクレツィアを大事そうに優しく包み込むように手を引いてくれる。指輪は…何か伝えたい事でもあるかのように、少し乱暴になったとしても目的を果たそうとルクレツィアの手を強く引っ張っている。
「…もしかして、この指輪に防御魔法をかけた人?」
ルクレツィアはそう思ったら、指輪の『彼』に従うように足を動かした。指輪が導く先へ行ってみようと思ったのだ…。
到着した先は小さな一軒家だった。目的地に着いたとばかりに、今はもう何の反応も無くなった黒い指輪。
ルクレツィアはこれからどうしようと周りを見渡す。家の表札に『内宮』と何やら文字が書かれているのだが、ルクレツィアにはそれが読めず意味が分からなかった。
その時、誰かがその家から出てきた。ルクレツィアが目を向けると、そこにいたのは白髪の混じった女性で…。
その女性も家の前に立つルクレツィアを見たので、二人は目が合った。
その瞬間、その女性は驚いた顔をしてすぐに泣きそうな顔をした。
「……花怜…?」
そしてルクレツィアへ近付いていきながら恐るおそる手を伸ばす女性。その人はどこか、カレンに似ている女性だった。
「…あなたなの…?」
「え…?」
(『カレン』って、お母様の名前だ…)
戸惑うルクレツィアを他所に、その女性はついに涙を溢しながらルクレツィアの元へと駆け寄ると、突然抱き締めてきたのだ。
「花怜! 帰ってきたのね…!」
すると、再び家の中から出てきた二名の男女が、ルクレツィア達の姿を見て驚いた表情を浮かべては走ってくる。
「ちょっと、おばあちゃん! 何してるの!」
「母さん? どうしたんだ!?」
ルクレツィアと同じ年頃の黒髪の少女とその父親らしき人物が、ルクレツィアに抱き付き泣く女性を引き剥がした。
「すみません、うちの母が…」
男性は顔を上げて、謝りながらルクレツィアに目を向けては言葉を失ってしまう。その隣では少女が、サラサラとした長い黒髪を揺らしながらルクレツィアの顔を見て「あ!」と、驚いた声で突然叫んでいた。
「もしかして、ルーちゃんじゃない!?」
「……え?」
急に知らない人から親し気に呼ばれて戸惑う様子のルクレツィアには構わず、少女は嬉しそうな顔で笑いかけてきた。
「うわぁ、懐かしいなぁ。…6年ぶりくらい?」
そう親しげに話しかけてくる少女なのだが、やはりルクレツィアには見覚えがない。
「わ…私たち、何処かで会った事あるの…?」
「あれ? 覚えてない? 私だよ、か、り、ん! 前に一緒に遊んだじゃん!」
ルクレツィアは目を大きく開く。
(『カリン』…?)
初めて聞く名前だが、どこか心が騒つく。
「…花怜…じゃ、ない…?」
少女が自分を『カリン』だと名乗る後ろでは、先ほどの女性が落胆した様子で呟いていた。
「そうだよ、母さん…よく、見て。似てるけど、姉さんじゃないでしょ」
カリンの父親の気遣うような優しい口調の言葉に、女性はハッとした顔をして、落ち込む様子を見せる。
「…そうよね。ごめんなさい、驚かせちゃったよね…あなたが私のいなくなった娘とあまりにも雰囲気が似てたから…」
その女性は悲しそうに笑っては涙を拭い、ルクレツィアに謝罪をした。
「あ…いえ…大丈夫です…」
驚きはしたが笑顔を浮かべてそう答えるルクレツィアに、カリンの父親が声を掛けてきた。
「久しぶりだね、ルクレツィア。母さん…花梨の祖母は、年齢もあって少し記憶が混濁している節があるんだ。許してくれ」
そう悲しそうな表情で笑いながら、眼鏡をかけた黒髪の男性が言う。ルクレツィアは頷くと、カリンの父親は安心した顔でニコッと笑った。
「ねぇ、こんなところにいないでさ、家の中で話そうよ! お父さん、いいでしょ?」
ルクレツィアとの再会を喜んだような様子でカリンが父親にせがむと、父親も頷く。
「君が大丈夫なら…うちにおいで」
向こうはルクレツィアの事を知っているようだし…ルクレツィアは手掛かりを得るためにこの家族と少し話してみる事にしたのだった。
カリン達に連れられて、家の中に入るルクレツィア。そのまま上がろうとしていたら、慌てた様子のカリンから靴を脱ぐように言われたのでルクレツィアは驚きながらも急いで靴を脱いだ。
居間に通されてソファーに座るように言われた彼女に、カリンの祖母がお茶を入れてくれた。ルクレツィアは感謝の気持ちを込めて会釈しながらも、前の席に座るカリン達親子へと目を向ける。
「…私たち、前に会った事があるって…?」
ルクレツィアがずっと気になっていたことを花梨に尋ねてみた。
「うん。忘れられてるのは寂しいけど…昔、私たちが10歳の時にルーちゃんが今日みたいに家の前にいて…その道端の端っこで泣いてる所を見つけたの」
カリンは懐かしむような顔ではにかみながら続ける。
「その時お父さんが…迷子なんじゃないかーってルーちゃんを交番に連れて行ったのね。私たちが帰ろうとすると、ルーちゃんが大泣きしちゃって…だからお父さんの連絡先を交番の人に伝えておいて、お家であなたを保護する事にしたんだよね」
カリンの語る思い出は、ルクレツィアにとって全く記憶にないものだった。
「あ…その時、私と二人でとった写真もあるよ」
ほら。と、カリンに渡された一枚の写真…。そこには確かに、10歳の頃の自分と今よりも幼いカリンが笑顔で映っていた。
ルクレツィアは不安そうな表情で顔を上げてはカリンを見つめた。
「ルクレツィア」
すると、カリンの父親がルクレツィアを優しい目で見つめながら名前を呼ぶ。
「どうやら君は、僕たちと過ごしたあのひと時を覚えていないみたいだね…僕たちの姓は『内宮』。ここは、君の母親『内宮花怜』の実家だよ」
ルクレツィアは目を開く。「…お母様、の…?」という彼女の呟きに、カリンの父親…いや、ルクレツィアの叔父は肯定するように頷いてみせた。
「6年前の君から、話は聞いている。…花怜姉さんは、異世界に迷い込んで君の父親と出会い結婚して子供を産んだって…そして、もう亡くなってしまったということもね…」
叔父は眼鏡の奥で涙を溜めていた。
「僕たち家族はずっと行方不明の姉さんを探し続けていたんだ」
そして少し俯いては、続ける。
「でも、6年前にルクレツィアが現れて、君の話を聞いて…最初は俄かに信じられない話だったけれど…ルクレツィアが姉さんと同じように突然居なくなってから思ったんだ。『これは夢なのか? じゃあ家族全員がこの奇妙な夢を同時に見たのか?』って…そしたら、もう君の話を信じるしかないと思えてね…」
叔父が伏せていた顔を上げる。そして、ルクレツィアの顔をしっかりと見つめながら、笑顔を浮かべて言った。
「大きくなったね、ルクレツィア。昔よりも姉さんに似てきて…とても、綺麗だよ」
ルクレツィアの大きな目から涙が一粒落ちた。
(…お母様は、もうひとつの家族と会わせるために今回も私を異世界に連れてきたのかな…)
6年前。ルクレツィアが覚えていなかった空白の時間は、どうやら母親の家族と過ごした時間だったらしい。




