64、無くしものを探す旅路
「…ヴィレン、行こう。もう耳をかさないで」
恥も外聞も全てを投げ打ってでも縋ってくるルクレツィアの姿にサラも流石に気の毒に思ったのか、この時ばかりは茶化すことなくヴィレンの腕を引っ張った。
ヴィレンは少しの間そこから動かなかったが、再び、足を一歩と進めていった。
そんなヴィレンにルクレツィアは、ついにその場に膝をついて…呆然とした表情で小さくなっていくヴィレンの背中を見つめていた。
ルクレツィアは驕っていたのだ。ヴィレンはきっと、自分を選んでくれるって…そう、信じていた。
『貴女は真実を知らないまま、もっと大切なものを無くしてしまうみたい…』
エスメラルダの言葉がルクレツィアの頭の中で何度もこだまする。
「……ヴィレン…」
彼女が涙の粒と共に、再び彼の名前を呼んだ時…。
キィ…。
突然、ルクレツィアの目の前に扉が現れる。
その扉はユーリの扉なんかじゃなく、ルクレツィアには昔からよく見慣れたものだった。
(…イスラーク城の氷の扉が、どうしてここに…?)
ルクレツィアは薄い反応の中で、そんな事をぼんやりと考えていた。
すると、扉がゆっくりと開いていく。
扉の向こう側には、真っ黒な空間が広がっていた…そして、いつか見たあの白い手がまるでこちらに手を差し伸べるように現れたのだ。
薬指には綺麗な指輪が輝いていた。ルクレツィアはその白い手を見つめて、呟くように尋ねる。
「……貴女は、…お母様ですか…?」
ルクレツィアはエスメラルダに星読みで占ってもらった日から、ずっと考えていた。あの白い手は誰なんだろうって…。
「お母様…なんですよね…?」
確信はないけれど、正しいと予感はしている。
「その手を取れば…私は、あの日の無くしものを見つけられますか?」
縋る気持ちでルクレツィアはゆっくりと立ち上がると、その手を掴もうと手を伸ばす。
「そうすれば…ヴィレンを失わずに済みますか?」
白い手から返事は何も返ってこない。ただ、差し伸べてくるだけ。ルクレツィアの手がもう間もなく触れようとした時…。
「ルクレツィア!」
後ろからグリムの焦った声が聞こえてきた。ルクレツィアが振り返ると、グリムが必死な顔でこちらへ走ってきている。
(どうしてここにイスラーク城の氷の扉が!?)
扉の向こう側から白い手が見える。グリムは驚くが、しかし何故か『彼女』は決してルクレツィアを傷付けないと思えたのだ。
「…お兄様、私…」
ルクレツィアはゆっくりと振り返り、『母』と手を繋ぐ。
「…無くしものを、探しに行ってくるね」
そしてルクレツィアは、母親に手を引かれながら氷の扉の中へと入っていった。
「ルクレツィア、僕も一緒に…!」
パタン、とグリムの目の前で扉が閉まる。グリムは腹立たしい気持ちから氷の扉を拳で叩いた。
「つぅっ…」
扉にかけられているクラウベルク一族以外を拒絶する魔法のせいで、グリムはまともに扉に触れる事が出来ない。
彼が成す術なく佇んでいると、氷の扉は結晶となり飛び散るように消えていったのだった。
***
氷の扉がルクレツィアを連れ去った後、ヴィレンは思わず足を止めて振り返った。
(今——ルーシーの魔力がこの世界から消えた…)
6年前のあの日と同じ。初めてイスラークを訪れた時、ヴィレンはルクレツィアの魔力を数時間感知出来なかった事件があった。
「…ヴィレン」
振り返ったまま不安な面持ちを浮かべるヴィレンの前に、ある人物が立ちはだかる。
「君、本当にその道を選ぶんだね?」
それはグリムだった。未だかつて向けられた事のない敵意を放つグリムに、ヴィレンは俯き目を逸らす。
「後悔…しないんだね?」
「…うるせぇ…」
ヴィレンは堪らずグリムに暴言を吐いた。後悔…そんなの、しない筈がない。自身の身勝手さでルクレツィアを傷付けてしまった…ヴィレンの中は今、すでに後悔と未練ばかりだ。
「ルクレツィア、泣いてたよ。君が彼女にした事は最低なことだ」
グリムの静かな怒りの言葉を掻き消すようにヴィレンは叫んだ。
「うるせぇ! お前に俺の何が分かるんだよ!」
「何も分からないよ!」
しかし、グリムも負けじと叫ぶ。
「だって僕らは、旧暦時代の人間じゃないからね…君の過去も罪も何も知らない。僕が知っているヴィレンは、ただルクレツィアの隣で煩いくらいに元気に笑う竜の男の子だって事くらいだ…」
グリムも泣きそうな表情で、赤い目を潤ませては目の周りを赤くしていた。
「そして、今…君がルクレツィアを傷付けた事くらいしか知らない」
グリムの言葉にヴィレンは黙る。思わず下を俯くと、ヴィレンの…ルクレツィアと同じ紫の瞳から涙がこぼれた。
「…正直、勝手にすればいいと思ってる」
グリムは悔しさと怒りの気持ちを抑えて、静かな声で話すよう心掛けた。
(ヴィレン、君…そんな男だったのかよ…)
言葉と心の声が裏腹でも、グリムは冷静さを保とうと必死だったのに…でも、やっぱり許せなくて。
(僕は、君の隣にいるルクレツィアの笑顔を…これからもずっと、君と一緒に守っていきたいと思ってた…)
グリムの頭の中では、昔の小さな…生意気で素直なヴィレンの姿が思い出されていた。
『俺はこれから成長しまくって、絶対にグリムよりもいい男になるからな!』
不貞腐れていた10歳の少年が涙目になりながら、とある少女にそう宣言した日のこと。
『強くなってお前を守るし、デートだって下調べするし、何よりルーシーにとっての一番の味方になる!』
(あの時、君は…そう言ってたじゃないか。あれは、嘘だったの…? 君がルクレツィアを傷付けてどうするんだよ!)
口が裂けても絶対に本人には言ってやらないが、グリムはヴィレンを…生意気だけど手の掛かる可愛い弟のようだと思っていた。だから…勝手だが、ヴィレンに裏切られた気分だ。
グリムは思う。今のヴィレンよりも、あの頃の拗ねて不貞腐れていた小さなヴィレンの方が何倍もいい男だったと…ルクレツィアに相応しい男だった、と。
「君の人生だ、好きにしなよ……でもね、僕の可愛い妹を泣かせておいて…僕がそのまま君を行かせると思う…?」
グリムの怒りに呼応するように、ヴィレンに敵意を見せる召喚獣たちが次々と現れた。
「僕の気が済むまで、君を殴らせてよ」
グリムの言葉に、ヴィレンに加勢をしようと彼の両隣にユーゴとサラが並ぶ。しかし、グリムの隣には召喚獣以外にもアレンディオとトーヤ、そしてマノが立った。
「ヴィレン。好きな女を泣かせるような男に…俺はお前をそんな風に育てた覚えはないぞ」
アレンディオはそう言って、翼と鉤爪を生やしながらヴィレンを睨み付けた。
「魔族なら…一度伴侶と決めた女子は、最後まで愛し抜く気概くらい見せましょうや、ヴィレン様」
トーヤは胸から血を流しながらも金棒を肩に担いで言う。
「女の心は秋の空ってね…ヴィレン様。ルクレツィア様に謝るなら早めの方がいいと思います」
マノも鞭を地面に打ち付けながら笑顔を浮かべた。
「この人たち、マジでしつこい…」
サラは忌々し気にグリム達を睨み付けて、ユーゴは何も言わずに涼しい顔をしているがその黒い目は絶対に敵対する者を屠ると誓った目付きだった。
ヴィレンは自分を諦めてくれないグリム達に、涙を流しながらヤケになって叫ぶのだ。
「どいつもこいつもうるせぇ! 倒してやるから、全員かかってこい!」
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