56、竜の過去と記憶
「…聖女サラ王女殿下…」
呆然とした様子で自分の名を呟くルクレツィアを素通りしたサラはユーゴへと顔を向けていた。
「ユーゴ、確かなの?」
「あぁ。お前の回りくどいクソみたいな作戦よりも単純かつ明快な方法で、ヴィレンがあの時の魔王だと突き止めた」
するとサラは心底腹立たしそうな顔でユーゴを見る。
「本当にユーゴって昔から…一言多いし、ウザすぎてキモい」
サラとユーゴは余裕そうだ。ルクレツィアはこの状況のおかしさに段々と気付いてきた。
(…どうして誰も来ないの?)
この場所は特別人通りが少ないという訳ではない。生徒たちが当たり前に使う通路であるし…何より、今までこんなに魔法が飛び交っていたというのに、教師の一人もやって来ないなんておかしいのだ。
「聖女の力にはね、治癒の他にも補助と結界の能力があるの」
ルクレツィアの心情を見通してか、サラが答え合わせをするように教えてくれた。つまり、今ここはサラの結界に囲まれているというわけだ。
「『外』では普通に、沢山の生徒が今もここを歩いてるよ」
ルクレツィアは絶望する。自分とヴィレンは今、この二人に結界の中へと閉じ込められているという事だから…。
「勇者の力は、特殊魔法以外の全ての属性魔法を使える能力だ。つまり、リクがヴィレンにかけた封印魔法も俺なら解除する事が出来る…」
ユーゴが一歩踏み出し、ルクレツィアとヴィレンの元へと近付いてきた。
「こ、来ないで!」
ルクレツィアは叫んでユーゴの前に立ちはだかる。ユーゴは足を止めてルクレツィアを見た。
「最後に…ルクレツィアにも聞きたい事があるんだけど…」
ユーゴは少しだけ寂しそうな顔をして、尋ねてきた。
「お前も…異世界人と何か関係があるのか…?」
「…………」
ルクレツィアが何も答えないでいると、ユーゴは「…まぁ、いい」と首を横に振る。
「俺はこれから、ヴィレンの封印された記憶を蘇らせるだけ」
「人間を皆殺しにしたかった理由とか、恨みとか怒りとか全て思い出せば…ヴィレン、またこの世界をぶっ壊してくれるよね? 次は私たちも手伝うから、今度こそやり遂げよう!」
ユーゴとサラが好き勝手に言う中、何故かヴィレンは無反応で無抵抗だ。ルクレツィアの後ろで、俯いている。
ユーゴがルクレツィアの横を通り過ぎようとした時、彼女は氷魔法でユーゴの足を凍らせて足止めしようとした。
「はい、ルクレツィアはここで大人しくしててね」
すると、サラがルクレツィアを押さえつけるように、後ろから両肩を握ってきた。
「っ、聖女サラ王女殿下…!」
ルクレツィアはサラの手を振り解こうとするのだが、彼女の手はびくともせず…。
「はぁ…ルクレツィア」
サラはその青い目を冷たくさせて、つまらなさそうな顔でルクレツィアを見つめる。
「私も幽鬼族だってこと、分かってる?」
ルクレツィアは肩を揺らして、怯えた表情を浮かべながらも勇気を出して尋ねた。
「あ…あなた達は何が目的なの…?」
するとサラは青い目をギラリと輝かせながら答えるのだ。
「私達、異世界人はね…大昔に誘拐されるようにある日突然この世界に召喚されたと思ったら、道具のように使い捨てられて死んだ…いや、この世界の奴らに殺されたの」
ルクレツィアの顔を後ろから覗き込み目を合わせながら、彼女の知らない時代の話をサラは語る。サラは歪んだ笑顔を浮かべていて、ルクレツィアはゾッとした。
「数千年ぶりに幽鬼族として蘇った今でも、この憎しみが消えることはなかったよ。私たちが受けた屈辱を、あの『人殺しのクズ』達の子孫であるお前たちにも味わわせるんだ! そう、復讐するの!」
そう興奮したように叫ぶサラの向こうでは、ヴィレンの目の前に立つユーゴが呪文を唱えてヴィレンに魔法を掛けている。
彼らの目的は、この世界の破滅を願い復讐するために、魔王を復活させる事だった。
「…ぁ…ヴィレン……やだ…!」
ルクレツィアは焦った顔でヴィレンの元へ行こうとするが、サラがそれを阻止する。自分の無力さに、彼女の目からぽろりと涙がこぼれ落ちていった。
ふと、エスメラルダの言葉を思い出す。
『その無くしものを早急に見つける事をお勧めするわ』
『じゃないと、貴女は真実を知らないまま、もっと大切なものを無くしてしまうみたい…』
ユーゴの魔法が終わる。俯いていたヴィレンが顔を上げると…。
「ぅう…ヴィレ、ン…!!」
それはルクレツィアの知っているヴィレンではない…悲しみと憎しみに満ちた表情で、その目からはまるで泣いているようにマグマの涙を流している。
『大切なもの』…ルクレツィアの大好きな、マイペースでガサツで子供っぽい、でも素直で嘘の吐けない優しい男の子は居なくなってしまったのかな?
「ヴィレン! 目を覚まして! いつものヴィレンに戻ってよ!」
ルクレツィアはぼろぼろと涙を溢しながら叫ぶけれど、ヴィレンはチラリともこちらを見ない。
「ヴィレン!!」
ルクレツィアは力の限り叫び、ヴィレンの名前を何度も呼び続けた。
『——レン、—ィレン——!!』
(なんだ? 誰かの声が遠くで聞こえる…)
ヴィレンは気がつくと、真っ暗闇の中に立っていた。その暗闇の上から、女性の声が微かに降ってくる。
(どこだここ? 俺、何してたっけ…?)
そんな事を考えていたら、暗闇の向こうからこちら側の先の方へと、どんどん映像が流れ去っていった。
(これ…全部ルーシーとの思い出だ)
ヴィレンがこの世で最も愛し、大切な『宝石』の女の子。この子のためなら、ヴィレンは何にだってなれる。
ルクレツィアと初めて出会った日の事から今日までの思い出が、映像として何度も繰り返されながら流れていく。
彼女との思い出は、ヴィレンにとってかけがえのない宝物だ。
彼女と出会った事でたくさんの人とも出会った。たくさんの事を学び、たくさんの事を知った。
ルクレツィアとの思い出は、それ自体が宝石のように全てがキラキラと輝いている。
ヴィレンは確かに、幸せだったんだ——。
すると、ルクレツィアとの思い出の記憶の中に、何か違う記憶が混ざり始めた。
(なんだこの記憶…俺、知らねーぞ…?)
その映像には確かに自分が写っていて…でも、今とは違って髪は短く、目の色は紫ではない。
その記憶にはルクレツィアが居ない代わりに、一人の少年がいた。
まるでユーゴのような異国の顔立ちの少年。黒髪黒目のその少年は…。
(あれ、こいつの目…)
ヴィレンはある事に気付いた。
(俺がルーシーから色をもらう前の目の色と同じだ…)
知らない記憶はどんどん増えていく。記憶の中の自分は、その少年の事を『リク』と呼んでいた。
『ねぇ、ヴィレン。もし僕が竜になったら、友達になってくれる?』
——『リク』がそう尋ねてきた時、『俺』はなんと答えたのだっけ?
『この夜空みてーなリクの黒い瞳が気に入った!』
『ヴィレンの青空みたいな目も綺麗だったよ』
——この時『俺』は、何を思っていたのだっけ?
『まだ死にたく、ない…君と世界中を旅すると、約束したのに…』
——この時、俺は…!!
ヴィレンの、ルクレツィアとの輝かしい思い出が塗り潰されていく。
『リク』との刹那で美しい友情と血塗られた『魔王』の記憶が…ヴィレンの中を埋め尽くしていくのだった。
(そうだ、リクは…俺にとっての大切な『宝石』だったんだ…)
ルクレツィアの事は変わらず愛してる。リクの事を思うと胸が張り裂けそうにつらい。
(あいつは、この世界の人間達に殺された…!)
思い出されるのは、『彼』の無惨な最期の姿。ヴィレンの中に爆発するような怒りが込み上がる。リクの死に際の表情が今でも鮮明に思い出されるのだ。
本能のままにこの怒りをぶつけてやりたい。きっと、それはヴィレンが昔魔王になった理由なのだろう。でも…今のヴィレンには、もう一人の『宝石』がいる。
怒りに我を失いそうな中でも、意識の奥にルクレツィアの姿がちらつく。まるで救いの光のような彼女の存在が抑止となり、ヴィレンを後一歩のところで正気に戻すのだ。
リクとの友情、ルクレツィアへの恋情…この二つの間でヴィレンはどうすればいいのか分からず、彼の心は宙ぶらりんだ。
ヴィレンが思わずその場に蹲ると、道を分かつ分岐点のように彼の両極にとある人物達が現れた。
それはルクレツィアとリクの偶像だった。二人とも何も言わないが笑顔でヴィレンに笑いかけており、まるで自分を選べと言っているよう…。
ヴィレンは二人の『宝石』の間で頭を抱えていた。
「……ルーシー…」
ヴィレンは涙を流しながら顔を上げる。
『約束したでしょ。私たちはお互いが一番の味方だって…』
「ルーシー! ルーシー!!」
彼女の名を呼んでも呼んでも、返事は返って来ない。でも…。
ヴィレンはルクレツィアを見た。彼女は彼にとって、温かな眩しい光だった。
(俺はルーシーを選ぶ!)
ヴィレンは心からそう願い、涙を溢しながらルクレツィアの偶像へ繋がる道を走った。
救いを求めるようにルクレツィアへと手を伸ばす。そして、彼女に触れる手前で…はたと気付くのだ。
(………あ…)
自身の両手のひらを呆然と見つめて、思う。
(……俺の手、真っ赤で汚ねぇ…)
人間たちを皆殺しにした。破壊の限りを尽くした。
こんな汚れた自分の手で、あのキラキラと輝く『宝石』ルクレツィアに触れてもいいのだろうか…?




