54、危機を救ってくれたのは…
「あれ? ルーシーは?」
『基礎魔術学』の下級クラスにやって来たヴィレンはルクレツィアの姿が見当たらないので、ちょうど帰ろうとしていたレメディアスを捕まえて尋ねた。
「今日は午後にある授業の『植物薬科学』の実験準備の担当だからって、実験室に向かったよ」
レメディアスが答えると、ヴィレンは残念そうな顔を浮かべる。
「んだよ…。昼飯、一緒に食おうと思って迎えに来たのに…」
と、つまらなさそうな表情で口先を尖らすヴィレン。クラスに残っていた女生徒がヴィレンの姿を見て喜びの悲鳴を上げていた。ルクレツィアという婚約者がいるにも関わらず、外見の整ったヴィレンは女子たちの高い人気を集めているらしい。
ヴィレンは騒ぐ女生徒を気にする素振りもなく…騒がれることに慣れた様子で自分とは関係ないところでやってくれ、といった態度だ。
レメディアスは思う。
(ルーちゃんには悪いけど、ヴィレンよりグリムさんの方が素敵だよね。ヴィレンって見た目の良さに反してガサツで子供っぽいし。それに怒りっぽい。比べてグリムさんは上品で落ち着いていて、優しいし…何より大人でスマート!)
恋する少女は盲目なのだ。つい数日前、キス事件でグリムが怒り狂ってはヴィレンの息の根を止めようとしたことを、レメディアスは知らない。
「…僕はこれから用事があるから手伝えないけど…実験準備をするなんて大変だろうし、君がルーちゃんを手伝ってあげたら?」
落ち込む様子のヴィレンが少しだけ哀れになり、レメディアスはそう助言した。
(本当は、僕がこれから手伝いに向かおうと思っていたけど…)
もし自分だったらグリムに助けて貰えたら嬉しいし、ルクレツィアもきっと喜ぶはずだ。だから、その役目をヴィレンに譲ってあげようと思った。
「…! そうだな!」
パァッと顔を明るくさせたヴィレンにレメディアスはルクレツィアの行き先を教えてやる。
「お前いい奴だな! じゃあ、またな。レメディアス!」
ヴィレンは元気よくレメディアスに手を振ると、駆け足でルクレツィアの元へと向かったのだった。
校舎と校舎を繋ぐ外廊下を歩くルクレツィアは大荷物を抱えて、実験室へと向かっていた。
『植物薬科学』を選択する生徒は数が少なく、どちらかといえば不人気な授業だ。けれど、ルクレツィアは『馬人族』のロウ・ロウリの影響で薬剤師の認定資格を取ろうと思っていたので、この授業を副専攻として選択した。
こうして当番制で準備を行っているのだが、人数が少ないので必然的に数名ずつで当番を回していってる状態だ。今日はルクレツィアの当番だった。
本当は、ルクレツィアとあと二人の生徒の三名で準備を行う予定だったのだが、サラとのあの不名誉な噂のせいで、自分はどうやら嫌われて避けられているらしい…。
準備倉庫室で残りの二人を待っていたが、いつまで経っても来ないので、仕方なく一人で準備する事にしたのだった。
この学園で、聖女であるサラを慕う者は多い。ユーリの婚約者、というのも大きな理由の一つだろうが、彼女の治癒魔法は本当に凄いのだ。
(まるで神様なような、神々しくも綺麗な魔法だった)
ルクレツィアは入学したばかりの頃、サラが怪我をした生徒を治療してあげている場面に出会した事がある。
金色に輝く治癒の光は、それこそ『救い』そのもののような神聖さを感じた。
そんな特別なサラに憧れる気持ちは良くわかる。方や自分は、やっと初歩魔法を使える程度の魔術師…。
この大荷物を運んでいる間にも、すれ違う生徒たちからは厳しい目や蔑む目を向けられていた。もうルクレツィアは、皆が愛する聖女様を虐めたご令嬢として有名らしい。
ルクレツィアは小さく息を吐く。まるでこれでは、自分は小説の中に登場する嫌われ者の悪役だな、なんて事を思った。
心の中でぼやいたところで仕方がない。早く準備を整えたらヴィレンの元へ行こう…と、気を取り直して前を向くと…。
「こんにちは、クラウベルク公爵令嬢」
ルクレツィアの進行方向からジェレミー・メラーがやって来たのだった。
「手伝いますよ」
彼はニコリと笑いかけてきて、そして手を伸ばしてきた。
(…しまった。今、両手が塞がっているから平手打ち出来ないよ、ヴィレン…)
緊張した顔でルクレツィアは一歩下がる。
「結構です。お気遣いありがとうございます」
はっきりと線引きを示す物言いでルクレツィアは断る。するとジェレミーは少しだけ焦ったような顔をした。
「……そんな事言わないで下さい。僕、手伝いますから…」
ルクレツィアは眉を顰めながら、何故か食い下がってくる目の前のジェレミーを見つめた。
(彼、先日とどこか雰囲気が違うような…?)
ジェレミーの、切迫した緊張感が伝わってくる。そして、怯えているようにも見える。
ジリジリと詰め寄ってくるジェレミーに、ルクレツィアは言った。
「あの…それ以上、近寄らないで下さい」
失礼だとは思ったが、ルクレツィアは思ったままの事を伝える。
「貴方、どこか様子が変ですよ…。顔色が悪いようですけれど……大丈夫ですか?」
すると、ルクレツィアの言葉にジェレミーは突然憤慨し始めるのだった。
「いいから! 僕の言うことを聞けよ!」
驚くルクレツィアにジェレミーが手を伸ばしてくる。ルクレツィアは反射的に初歩の氷魔法を使ってジェレミーを拒否した。
彼の手が凍り付き、ジェレミーの動きは止まる。
「…………」
ジェレミーは自身の凍った手を見つめて、そしてルクレツィアへと向き直った。
「…今、僕に魔法を使ったのですか?」
「……私は忠告しました。近寄らないで下さい」
ジェレミーは呆然と立ち尽くす様子を見せていたが、ゆっくりとルクレツィアに向けて手を翳す。
「どうして…お願いだ…僕の言う通りにしてよ…」
何故かジェレミーは泣きそうな顔で懇願してきた。
「少しの間だけでいいから!」
ジェレミーが叫ぶと、突風がルクレツィアを襲った。彼女の両手を塞いでいた実験器具やら資料やらが入った箱は吹き飛ばされて中身が乱雑に飛び散る。
「…メラー伯爵子息…?」
ルクレツィアは緊張でどきどきした。ジェレミーも実力のある立派な魔術師だ。そんな彼に、ルクレツィアが魔法で対抗出来るのだろうか…。
「お、お願い…僕を助けると思って…!」
(…やっぱり、彼、どこか様子がおかしい!)
ジェレミーは再びルクレツィアを捕まえようとしてきたのだが、彼が彼女に触れる瞬間、バチッと爆ぜる音がしてジェレミーは何かに弾かれた。
見ればルクレツィアの周りには防御魔法が張られているではないか。ルクレツィア自身も驚いていた。
(今、この指輪から防御魔法が…?)
ルクレツィアも知らなかった事実に、思わずヴィレンの『竜の心臓』で作った指輪に目をやる。
ジェレミーは躍起になって再び魔法を使いルクレツィアを捕まえようとした。今度は土魔法でゴーレムを生み出すと、ルクレツィアに向けて放つ。
「きゃ!?」
体を強張らせたルクレツィアは思わず目を瞑り身構えるが、彼女の身には未だ何も触れてこない。
恐るおそる目を開くと、ルクレツィアを守るようにゴーレムの振り下ろした拳を剣で受け止めている、一人の黒騎士の背中が見えたのだった。
その黒騎士が誰なのかはっきりと認識したルクレツィアは目を大きく開いて息を呑む。
何故ならその人は、サラの護衛騎士ユーゴだったからだ。
ユーゴが軽く剣を振うと、ゴーレムは簡単に崩れて土へと還る。
「な、なんで貴方が……」
ユーゴの登場にジェレミーは明らかに怖気付いていた。
「お前はもういい。さっさと行け」
「ぅ、うぅう…!」
青褪めた表情のジェレミーは、呻き声をあげながら脱兎の如く駆け出し逃げて行く。ルクレツィアはそんな様子を呆気にとられた表情で眺めていた。
ユーゴがこちらを振り返る。ルクレツィアはビクリと肩を揺らした。
「……悪かったな」
ユーゴはそう言って剣を帯刀すると、辺りに散らばった荷物を拾ってくれた。
「い…いえ…」
サラの護衛騎士が自分を助けてくれるなんて意外だ…と、思いながらも、ルクレツィアも荷物を拾う。
あらかた拾い終わった所で、ルクレツィアはユーゴに礼を言うべきか悩んだ。
(よく分からないけれど、助けてくれた上に荷物拾いも手伝ってくれたし…)
あまり良い関係ではないにしろ、感謝すべき事にはきちんと礼を伝えねばと、ルクレツィアはユーゴにお礼を言うことにした。
「あの…ありがとうございました」
するとユーゴは黙ったまま、ルクレツィアを見下ろす。この不気味な髑髏の兜の隙間から、ルクレツィアを観察するようなユーゴの視線を感じる…。




