50、メイドが語る一般的見解
「——お嬢様。お湯加減はいかがですか?」
「うん。丁度いいよ、ありがとう」
サティが準備してくれた湯船に浸かり、ルクレツィアは扉の向こうに立つサティに礼を言った。
「ここでの暮らしに不便はない? サティともう一人料理人のベリスだけだと屋敷の管理も大変だよね…」
「そんな事ありませんよ、お嬢様。グリムさんもいらっしゃいますし、トーヤさんとマノさんも非常に協力的にお手伝いしてをして下さるので助かっています」
サティはそれから、マノはベリスに付いて買い出しに出掛けている事、トーヤが力持ちなので家事を手伝って貰い助かったことなどを話し始めた。
「…お嬢様は、学園のご様子はいかがですか?」
サティに尋ねられて、ルクレツィアはゆらゆらと揺れる水面を見つめる。
思い出されるのは、サラが泣いていた姿…。
どうしても気になるルクレツィアは、ぽつりぽつりとサラの事をサティに相談してみる事にした。その結果…。
「いえ。お嬢様は何も悪くありませんよ」
サティはハッキリとした口調で言い切った。
「お嬢様。私も浴室の中に失礼しても、よろしいですか?」
「うん…?」
ルクレツィアが返事を返すと、メイド服の袖を捲し上げたサティが中に入ってきた。
「せっかくお風呂に入ったのですから、髪も洗ってスッキリしてしまいましょう」
サティはそう言って、ルクレツィアの紫に煌めく綺麗な黒髪を指で梳きはじめる。
最近、ルクレツィアのお気に入りの匂いがするシャンプーを手に取って、彼女の頭皮を優しく揉むように洗うサティ。
ルクレツィアは心地良くて目を閉じる…。
「自分の婚約者に気安く接してくる女性が現れたら…それは誰だって嫌な気持ちになりますよ!」
そんな中、サティは先ほどの話の続きを開始した。
「それにその方自身にも婚約者がいらっしゃるのに、他の男性と仲良くなりたいなど…あまり理解が出来ない発言ですね」
どうやらサティはサラの発言と行動に不快さを感じているらしい。
「お嬢様は何も悪くありません。だから、ご自身を責めないでくださいね」
サティの言葉にルクレツィアは元気付けられた。自分の味方だと言ってくれるサティの優しさが、ルクレツィアの胸に沁みていく。
「でも…そんなに心配なさらなくとも大丈夫だと思いますよ?」
「どうして?」
急に揶揄うような口調で話し始めるサティ。ルクレツィアは目を開き、すぐ上にいる彼女の顔を見つめると、サティとすぐに目が合った。
「だって、ヴィレン様がお嬢様以外の女性に目移りする事なんて、絶対に有り得ませんからね!」
そしてサティは自信満々な表情でニコッと笑って、機嫌良さそうに再び手を動かしてはルクレツィアの頭を洗い始める。
ルクレツィアも再び目を閉じて、ヴィレンの顔を思い浮かべていた。
『死ぬほど愛してるぞ!』
『私も。愛してるわ!』
すると、自然と笑みがこぼれるルクレツィア。
「うん…そうだね」
彼女は温かな気持ちでそう答えたのだった。
——ここは学園都市にあるサラの屋敷。
「メラー伯爵子息…いや、ジェレミー。貴方にはがっかりです」
「…申し訳ございません、聖女様…」
ユーゴを後ろに控えさせ、一人用のソファーに腰を下ろして足を組むサラは、呆れた表情で目の前に立つジェレミーを見上げていた。
「早く、ルクレツィアとヴィレンの仲を引き裂いて貰わないと…」
「………」
サラに責められて、ジェレミーは俯いた。
「貴方。良いところはその顔だけなんだから、しっかりやって下さいよ」
ジェレミー・メラーは聖リアン王国でも貴族令嬢達の人気を欲しいままにする顔立ちの整った青年だった。
そんな彼からのアプローチを受ければ、ルクレツィアだってすぐに心変わりするとサラも初めは簡単に考えていたけれど…。
(今の婚約者が美しい男だものね…)
まぁ、もう仕方ないかなと思っている。それでも、この目の前のジェレミーにはまだ働いて貰わなくてはならない。
サラの目的はヴィレンだった。彼女が所属する教団『魔王教』では、魔王となり得る黒竜を長年探し求めている。その器にヴィレンが相応しいのか、確認する必要があったのだ。
ユーリに、ヴィレンを排除してあげると大口を叩いた手前、早くサラが思い描く結果に繋げたいのだが…ヴィレンには手強い魔族が二人も付いているし、そもそもヴィレン自体が手強い…。
(手っ取り早くヴィレンの竜の姿を確認する方法はないかしら…)
サラが簡単に思い付く方法なんてたかが知れている。ルクレツィアを危険に晒し、ヴィレンを激怒させる事。そうすればヴィレンは怒りに我を忘れて竜化するだろう。
しかし、それも叶わなそうだ。ルクレツィアには常にあのダークエルフの召喚獣の気配が付き纏っているし、何より彼女の右手に嵌められた黒い指輪から強力な防御魔法を感じる。
召喚獣は何とか処理出来たとしても、あの防御魔法はサラでは太刀打ちできそうにない。それは、ユーゴもきっと同じだ。
だからこうして、非効率だと分かっていてもジェレミーや自分を使って二人の仲を引き裂こうと躍起になっている。
ユーリがもう少し協力的でいてくれたら助かるのだが…彼はサラを嫌っているので、『婚約者』の立場を貸してはくれたものの、後は傍観者と決め込んでいる。おそらく、どこかでサラに見切りを付けて裏切る機会を窺っているのだろう。
しかし、サラにとっては『大国マルドゥセル魔道帝国の皇太子の婚約者』という立場だけでも、非常に価値がある。そのおかげでこの学園内の生徒たちも少しずつ掌握しつつあるからだ…。
(そもそも、この私がこんなにもヴィレンにアプローチしてるのに見向きもされないって…女としては傷付くわね…)
サラは自傷気味に笑って、目の前で落ち込む様子のジェレミーに目を向けた。
「このままでは…貴方の病気の妹さんを助けてあげる事は出来ませんね」
「そ、そんな…っ」
途端にジェレミーの表情は絶望に染まる。サラはニヤリと笑った。
聖リアン王国の王妃も、ジェレミーの妹も…サラが操りたい者の近しい者を病気に侵して人質にとることは、彼女の常套句だった。そうすれば、皆がサラに平伏す。治療出来るのは、彼女しかいないから。
「嫌なら成果をあげて下さい。ルクレツィアを貴方のものに…この際、どんな手を使ってもいいから。暴行でも強姦でも…」
サラが黒い笑顔を浮かべてそこまで言うと、彼女の後ろから「サラ」と、責めるような声があがる。ユーゴだった。
「そこまでする必要はないだろ…」
「ユーゴ、うるさい!」
サラは叫び声を上げて、彼の言葉を掻き消す。
「……もう出て行ってください」
サラに睨まれたジェレミーはびくりと肩を揺らした後、そそくさと部屋から出て行った。
ジェレミーのその顔は追い詰められた表情を浮かべていて…ユーゴは彼が出て行く様子を静かに眺める。
「…なんなの? もしかして、ルクレツィアの事が好きなの? 彼女を庇うなんて、恋しちゃった?」
「……そんなんじゃないけど」
サラに話しかけられた事でユーゴはジェレミーが出て行った扉から、サラへと視線を動かす。
「あんた、昔から私以外の女の子に優しかったもんね」
サラはジェレミーに向けていた聖女らしい口調ではなく、王女とは思えない平民のような口調でユーゴに嫌味を言う。
「高校の時だって、あんたは…」
「サラ!」
今度はユーゴがサラの言葉を遮った。
「昔の話は、極力するな」
「…そうだね」
サラはハッとした表情で口を噤むと、少しバツの悪そうな顔をしていた。
「私だって……本当はこんな事したくないよ…」
罪悪感だってある…と、呟いた彼女は改めてユーゴを見上げる。




