49、婚約者のいる日々
「ちょっと、サラ王じょ…」
ルクレツィアが彼女を咎めようと声を荒げた時、ヴィレンがガタリと立ち上がりサラを見た。
「…お前、いい加減にしろよ?」
随分と身長差のある二人だが、ヴィレンに鋭い目付きで見下ろされているというのにサラはニコニコと笑っている。
ヴィレンはそんなサラの態度に腹立たしく思い、彼女の胸ぐらを掴もうとするがユーゴが間に入ってきてそれを阻止された。
ユーゴがヴィレンの手をギリギリと握り締めている。その隣でユーリが冷ややかな表情を浮かべながらヴィレンに言う。
「…悪いね、僕の婚約者が。ただ君と本当に仲良くなりたいだけなんだと思うよ」
「俺に仲良くなる気はねーから。婚約者のお前がよく言い聞かせとけ」
余程ストレスが溜まっているのか…ヴィレンはユーゴの手を振り払うと、日頃の鬱憤からユーリに無礼極まりない態度と言動で悪態をついて「ルーシー、もう帰ろうぜ」と、ルクレツィアの手を引きその場から退散した。
ルクレツィアは手を引かれながらもユーリとサラを振り返る。
ユーリとはすぐに目が合った。何故か傷付いたような表情で自分を見つめている…。その後ろではサラが悲しそうに涙を流していた。
(…もしかして、本当にただヴィレンと友達になりたいだけなのかな…)
泣いているサラに周りにいた生徒達が心配そうに声を掛けている様子を見て、ルクレツィアは少しだけ罪悪感を感じてしまった。
学園都市には、昔ディートリヒやレオノーラが学園に通っていた時に使用していたタウンハウスがそのまま残っていたので、ルクレツィアとヴィレンもその屋敷を使っている。
護衛としてグリム、そしてルクレツィアの専属メイドのサティもイスラークからこの学園都市に付いて来てくれていた。
学園の中までルクレツィアにお供すると言い張っていた二人だったが、自分は王族でもないのに大袈裟だとルクレツィアはそれを断り、彼女の授業中はタウンハウスで仕事をして貰っている。
そしてヴィレンのお供としてイスラークにやって来たトーヤとマノも、今では学園都市のタウンハウスで一緒に住んでいた。
ルクレツィアとヴィレンが屋敷に帰ってくると、彼女たちの帰宅に気付いた黒い影が数匹、ものすごいスピードで屋敷の庭から飛び出してきた。
「! チャーチ!」
その正体とはグリムの召喚獣、墓守犬達だった。皆、ルクレツィア目掛けて興奮したように飛び掛かってきたので、ヴィレンが素早くルクレツィアを横抱きにしてチャーチグリム達の熱烈な抱擁を回避する。
「おい、犬っころ達。何度も言うが、その大きな体格と強い力のお前たちが全力でルーシーに飛び付いたら、ルーシーが潰れちまうぞ?」
ヴィレンが呆れた表情でチャーチグリム達に言うと、彼らは反省を示すように耳と尻尾を垂らして「くぅん…」と鳴いた。
「ルクレツィア、大丈夫だった!?」
ヴィレンに下ろして貰っていると、慌てた様子のグリムが庭から飛び出てきた。両腕の袖を捲り、手には泡のついたブラシが握られている。
「ルーシーは俺が守ったから、大丈夫だ!」
得意げな様子でヴィレンが言うと、グリムはホッと安心した表情を浮かべた。
「何してたの?」
ルクレツィアがグリムに尋ねると、どうやら彼は今チャーチグリム達に強請られて身体を洗いブラッシングしてやっていたらしい。
「私も手伝うわ!」
グリムの召喚獣の中でもチャーチグリムと仲の良いルクレツィアは目を輝かせながらお手伝いを申し出た。チャーチグリム達も嬉しそうにブンブンと尻尾を振り始める。彼らもルクレツィアにとてもよく懐いていた。
「ちょっと待ってルクレツィア…風邪を引くといけないから、屋敷の中から何か羽織るものを取ってくるよ!」
グリムが慌てた様子で屋敷の中へと姿を消した。
(お兄様ったら…心配症なんだから)
ルクレツィアはクスリと笑って早速腕捲りすると、グリムが準備していた大きな桶に手を突っ込みチャーチグリム達を一匹ずつゴシゴシと泡立てながら洗ってやる。
「よし、俺も洗ってやるよ犬! かかってこい!」
ヴィレンもやる気を出すように腕捲りしては、ルクレツィア達の元へ走って行った。
チャーチグリム達はとても嬉しそうに二人に体を洗われている。
「ヴィレン、楽しいね!」
サラとユーリへの暗い感情が晴れていくように、ルクレツィアは明るい表情でヴィレンに笑いかける。
そんな彼女を、ヴィレンは眩しそうに目を細めながら見つめていて——。
「ルーシー」
ヴィレンに名前を呼ばれたルクレツィアは無防備な顔で目の前の彼を見上げた。
すると、ヴィレンがキスをしてきたのだ。
「…んん」
思わずこぼれる声と吐息。ルクレツィアが真っ赤な顔でヴィレンを見つめると、彼も同じように頬を赤く染めて、ゆっくり顔を離していく。
「死ぬほど愛してるぞ!」
なんて、照れ臭そうにはにかむヴィレンに、ルクレツィアも釣られて笑顔になった。
「キスしたのがバレたら…お父様に怒られちゃうよ?」
ルクレツィアは恥ずかしさを誤魔化すようにヴィレンにそう言うと、ヴィレンは余裕な表情で答える。
「どうせ俺たち以外、犬しか見てないんだから…大丈夫だろ」
その時、ルクレツィアの羽織りを手にしたグリムが鬼の形相で屋敷から飛び出してきた。
「その犬を通して僕に全部筒抜けだってことを、今日君は学ぶんだね!」
なんと、さっそくグリムにバレたらしい…。
「嘘だろ!? 頼む、ディートリヒには言わないで…殺される!」
「その前に僕が息の根を止めてあげるよ」
可愛い妹に手を出されて、グリムはひどくご立腹のようだ。
そんな二人の光景を見て、ルクレツィアは声を上げて笑った。
「ヴィレン!」
青褪めた表情で慌てる彼の名を呼び、腕を引いてはそのままの勢いでヴィレンの頬にキスをする。
「私も。愛してるわ!」
ヴィレンもたまには、ストレートな愛の言葉でときめいてしまえばいい。
ヴィレンは思いも寄らなかったのか、顔を真っ赤にさせて唖然とした表情でルクレツィアを見ていた。
「ルクレツィア!? 君まで何をしているんだ!?」
ルクレツィアとヴィレンが互いの愛情を確かめ合う中、グリムの怒りはヒートアップするのであった…。
「お嬢様、おかえりなさいませ!」
そこに通りかかったサティが声を掛けてきた。彼女の隣にはトーヤが立っており、二つもある大きなランドリーバスケットを軽々と抱えていた。乾いた洗濯物を取り込んでいたみたいだ。
「あ、サティ! ただいま…」
その時、一匹のチャーチグリムがその泡だらけの大きな体をブルブルと震わせる。すぐ真横にいたルクレツィアは…。
「…まずはお風呂に入りましょうね、お嬢様」
「……そうだね」
すっかり泡まみれになったルクレツィア。目をぱちくりとさせる彼女の後ろで、そのチャーチグリムはグリムに叱られていた。
サティに連れられてルクレツィアが先に屋敷の中へ入った後に残されたのは、ヴィレンとグリム、そしてトーヤ。
「ヴィレン様、人族の学校はどうですか?」
トーヤが尋ねると、ヴィレンは「変なヤツがいる」と不機嫌そうな顔で答えた。
「…例の聖女のこと?」
グリムも話に加わって尋ねると、ヴィレンは頷きながらも「いや…」と歯切れの悪い返事をする。
「あの女はムカつくけど…それよりも、一番やべーのは、あの黒騎士だな」
聖女サラの護衛騎士ユーゴ。まるで鬼のような髑髏の兜を被り、禍々しい雰囲気を醸し出している黒騎士だ。正直、『聖女様』の騎士に相応しい装いではない。
ヴィレンは先ほどユーゴに握られた自身の腕に目をやった。少し痣になっている…。
「ヴィレン様、その腕の痣は…」
「あぁ、あの黒騎士…竜の俺に痣付けやがった」
ハッとした表情でヴィレンの痣を見つめるトーヤに、ヴィレンは黒い笑顔を浮かべながら答える。
痣なんて大した傷ではないのだが、そもそも人間の握力だけで竜の肌に傷が付く事はない。つまり、あの騎士は…。
「本当にその黒騎士は人間なんですかい?」
「知らね。でも…あの、ユーゴってやつ。日に日に死臭が強くなっていってんだよな」
人よりも鼻が利くヴィレンは顰めた顔で続ける。まるで、少しずつ腐敗していく死人のような匂いだった。
「あいつは絶対にルーシーに近付けない方がいい」
と、ヴィレンがそう締め括ったので、グリムは「ディートリヒ様に報告しておくよ」と静かに言った。




