48、皇子と聖女
帰り支度を整えながらレメディアスがお茶に誘ってきた。ルクレツィアは「ごめんね」と、申し訳なさそうに頭を下げる。
「この後、ヴィレンと約束してるの」
するとレメディアスは「あー…」と、声をもらして少しだけつまらなさそうな顔をした。
「婚約者と仲が良いのは結構だけどさ。たまには僕とも遊んでよね」
いじけた様子でそんな可愛い事を言ってくるレメディアスに、ルクレツィアはもう一度謝って次回の約束を取り付けてから、その場を後にしたのだった。
ルクレツィアは教室を出てヴィレンと待ち合わせ場所の学区内にあるテラスへと向かった。
(ヴィレンはまだ来てないみたい…)
辺りを見渡してみても、彼の姿はない。ルクレツィアは近くのテラス席へと腰を下ろして、趣味の読書でもしながらヴィレンを待つ事にした。
「クラウベルク公爵令嬢」
すると、すぐに声を掛けられたのでルクレツィアは本から顔を上げてその人を見上げる。そこにはマルドゥセル魔導帝国出身の者ではなく、聖リアン王国の貴族の男性が立っていた。
ルクレツィアよりも一つ年上らしい。
「お一人ですか?」
そこまで親しくない男性に急に話しかけられてルクレツィアが戸惑っていると、その男性は気安い様子で近付いてきては彼女の隣の席へと腰を下ろす。
「…あの…?」
男性の行動に驚きを隠せないルクレツィア。目を丸くして隣に座る彼を見ると、その男性…聖リアン王国の伯爵家の息子ジェレミー・メラーはルクレツィアにニコリと笑いかけてきた。
「僕、どうしても貴女と仲良くなりたくて」
どうやら彼はルクレツィアに気があるらしい。彼女に婚約者がいる事を、彼は知らないのだろうか…?
この学園に入学してから一カ月、このジェレミーからはこれまでに何度か話しかけらた事があり、ルクレツィアは彼と顔見知りになっていた。
ジェレミーは聖リアン王国には多い金髪の男で、綺麗な顔立ちをした人だった。黙っていても女性が寄ってきそうな…そんな、どこかプレイボーイな雰囲気のある華美な男だった。
「こんにちは、メラー伯爵子息。申し訳ありませんが、私は婚約者のいる身ですので…」
だから、ジェレミーの意図が何であれ過度に交流は持たないとルクレツィアが続けようとしていたら、その前にジェレミーが「えぇ。存じ上げておりますよ」と、笑顔のまま言った。
「でも、ただの婚約者でしょう? 夫でもないのですから…どうです、息抜きに僕とお茶でも行きませんか?」
なんて不躾な誘いをしてくるのかと、ルクレツィアはジェレミーのあまりの失礼さに怒りを覚える。
一言文句を言ってやろうとルクレツィアがジェレミーを睨み付けると、誰かが後ろからジェレミーの肩に手を置いた。
「お前、誰の断りを得てルーシーを誘ってやがんだ?」
ヴィレンだった。喧嘩を売る態度でジェレミーの肩を乱暴に後ろに引くと、彼の顔を覗き込みながらヴィレンは低い声で尋ねる。
「ヴィレン!」
彼の登場に、顔を明るくさせるルクレツィアと青褪めるジェレミー。
「よ、用を思い出したので。僕はもう行きますね」
ジェレミーはヴィレンの手を振り払うと、怯えた表情で逃げるようにその場から去って行った。
「ったく…」
ジェレミーの小さくなっていく情け無い後ろ姿を見つめながら、ヴィレンは不愉快そうにため息をついた。
「ヴィレン、ありがとう…」
ルクレツィアがホッとした表情で礼を言うと、ヴィレンの紫色の双眸がいつもより鋭い目付きでルクレツィアを見た。
「遅くなった俺も悪いけどよ…」
ヴィレンはどうやら怒りが収まらないらしい。竜族の独占欲は他の種族の比ではないのだ。
「お前、可愛いんだからもう少し警戒しろよ!」
急にヴィレンに怒られてしまったルクレツィアは、「えぇえ?」と、戸惑いの声を上げて目を丸くする。
「そして、もう少し自分が可愛い事に自覚を持て!」
「ちょ、ちょっとヴィレン…周りに聞かれたら恥ずかしいから…そんな大声で…」
照れと羞恥で顔を赤くしながらヴィレンを宥めようとするルクレツィア。周りの生徒たちが、なんだ何だとこちらを注目している。
(私…怒られながら褒められている…)
ヴィレンに『可愛い』と言われて嬉しい気持ちも大きいが、何より周りから注目されてしまい恥ずかしい。
「何が恥ずかしいんだ? 事実を言ったまでだ。俺は初めてルーシーと出会った時から、ずっと今日まで可愛いって思ってるぞ!」
婚約者となってからヴィレンは、ルクレツィアに対する言動が少し変わった。このようにストレートすぎる愛の言葉をかけてくるようになったのだ。
ヴィレンの何の捻りもない愛の言葉にルクレツィアは毎度ドキドキとときめいてしまう…。
「もう、分かったからヴィレン!」
ついに根を上げたルクレツィア。顔を真っ赤にしてヴィレンの手を掴み、懇願するように彼を見上げると…やっとヴィレンも口を閉じる。
(…俺の婚約者、可愛すぎかよ…!!)
ルクレツィアが他の男にちょっかいをかけられた場面を見た瞬間、怒りが湧いてきて収まりも付かなかったけれど…何故だろう。ルクレツィアが今自分だけを見つめていると思ったら、怒りも収まり何故だかどうでも良く思えてしまった。
「…次、もしまたあの男が近付いてきたら、思いっきり平手打ちをお見舞いしてやるんだぞ」
ヴィレンはそう言いながら建前で不機嫌そうな態度を示し、ルクレツィアの隣に座ったのだった。
「我が国の者が…申し訳ありませんでした。お恥ずかしい限りです」
不貞腐れているヴィレンにルクレツィアが困っていると、とある女性が声を掛けてきた。
ルクレツィアは声がした方へと目を向ける。
「あ…聖女サラ王女殿下」
ヴィレンが先ほどやって来た方向から、聖リアン王国の王女であり聖女サラとその隣に並ぶユーリ…そして二人に付き従う護衛騎士のユーゴがこちらへ向かって歩いて来ている姿があった。
サラはルクレツィアと目が合うと、申し訳なさそうな表情でニコリと笑う。
「俺が遅くなったのも、こいつらのせいなんだ…」
ヴィレンは不機嫌な顔で二人を見つめながら呟いた。どうやらヴィレンは『基礎魔術学』のクラスが同じこの二人に…主にサラに付き纏われているらしい。
これまで、ヴィレンから何度も愚痴を聞かされていたルクレツィアは、サラにあまり良くない微妙な感情を抱いていた。
ルクレツィアがビアトリクス魔法学園に入学して驚いた事は、レメディアス・ヴァイスローズの件もそうだがユーリ・ティア・マルドゥセルもこの学園に入学していた事だった。
皇族である彼が帝国ではなく他国の学校に通うことはとても困難に思えたからだ。
ルクレツィアの予想は当たっていて、ユーリが帝国を離れる事に難色を示していたマルセルだったが、サラとの婚約を受け入れる事を条件にユーリはマルセルから入学の許可をもぎ取っていた。
つまり、ユーリとサラは今婚約関係にあるということ。ルクレツィアがいくらサラの行動が気になるとしても、おいそれと皇太子殿下の婚約者に指摘する事は憚れていた。
(ユーリ殿下は自分の婚約者が他の男性に興味を示していても…気にならないのかな?)
ルクレツィアの中で、サラだけでなくユーリに対しても不満が塵のように積もり続けていた。
「私達もご一緒していいですか?」
サラが人好きのする柔らかな笑顔を浮かべて更に近付いてきた。
「いいわけねーだろ。俺とルーシーの時間を邪魔するな」
すかさずヴィレンがサラを睨みながら拒否するが、サラは厚顔無恥にもヴィレンの側に立ち、テーブルの上に置かれていたヴィレンの手をそっと握り締めながら言った。
「そう仰らずに…私達、同じ学友なのですから仲良くしませんか?」
ヴィレンの手の上に置かれたサラの手。ルクレツィアはその光景を見た瞬間、不快な気持ちになりもう我慢出来ないと思った。




