46、聖リアン王国の聖女
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ユーリがアネッサと共にイスラークから帝都へ帰還すると、客人が待っていた。
「帰ったか皇后、ユーリ。お前たちが不在の間に到着した彼女を紹介しよう」
と、ここ最近で一番機嫌の良い様子の父が帰宅したばかりのユーリたちに紹介した一人の女性。
その人は金髪碧眼の愛らしい顔立ちの小柄な人で、お供に黒騎士を一人連れていた。
「お初にお目にかかります。聖リアン王国から参りました。第三王女サラ・エミル・リアンと申します」
やっぱり…と、ユーリは心の中でうんざりした。
ヒステリック気質なアネッサが何か騒ぎを起こしてくれるのではと期待もしたが、彼女は落ち込んだ様子で何も答えず俯いているだけだった。
ユーリも詳しくは知らないが、どうやら皇后はクラウベルク公爵と一悶着あったようだ。この項垂れている様子の理由は恐らくその事が原因だろう…。
正直…今、父親が用意した自分の婚約者候補を相手にする気分にはなれなかった。しかし、お相手は他国の王女様。最低限の礼儀は尽くさねばならないだろう。
仕方なくユーリは疲れた気持ちでサラ達に目を向ける。
彼女は万人に好かれるような愛嬌ある笑顔を浮かべてこちらを見つめている。その斜め後ろに佇む彼女の…おそらく護衛の騎士は角が生えた髑髏のような兜を被り、顔を隠していた。まるで、死神のようだ。
聖女の護衛にしては…異様な雰囲気の騎士にユーリは訝しむ目で彼を観察した。
「あぁ、この騎士は私の護衛でして…ほら、ユーリ皇太子殿下へご挨拶をして」
ユーリの視線に気付いたサラが、後ろの彼を振り返りながら促す。
「…騎士のユーゴです」
予想はしていたが…声色的に若い男のようだ。何となく、サラから騎士に対しての気安さを感じる…。サラがどこの男と親しげであろうと興味のないユーリは、二人は仲が良いのだろう。と、彼の中でその一言で終わらせた。
「ユーリ・ティア・マルドゥセルです。ようこそ我が国へ。こうしてサラ王女とお会い出来て嬉しいです」
ユーリは早く一人になりたい気持ちから、笑顔の仮面を被りサラに挨拶を返す。そして早々に「では、また晩餐の時にお会いしましょう。城では我が家のようにゆっくりとお過ごしください」と、言ってその場から立ち去ったのだった。
つれないユーリの態度に父親が何か言っていたが、ユーリにとっては全てがどうでもよく思えた。
ユーリは自室に戻りひと息吐くと、何もない空間から銀色の鍵を取り出した。
その鍵を手に、部屋の壁に近寄ると鍵穴も何もないのに鍵を差し込んで捻る。すると、壁一面が歪んで…やがて、扉が浮き出てきた。
ユーリは慣れた手付きでドアノブを捻り、扉を開いて中へ入っていったのだった。
魔法の部屋の中は、ユーリだけのプライベートな空間だった。四方全面を埋め尽くすように貼られた写真…平面のルクレツィア達を眺めて、ユーリは頭を抱える。
(何度思い返しても悔しい…)
頭を過ぎるのは、ルクレツィアとヴィレン二人の顔。婚約した彼らは口付けまで交わし、幸せそうに踊っていた。
ヴィレンに向けるルクレツィアの幸せそうな表情が、もう自分には向くことがないのだと思うと…苦しい。
「……くそっ…」
ユーリは誰もいないと思って、普段は見せない荒々しい様子で机の上に拳を叩き付ける。
「ヴィレンさえ…彼さえいなければ…!」
ユーリの予定ではこうじゃなかった。意気揚々とルクレツィアを迎えに行くつもりでイスラークを訪れたが、今、こうして負け犬のように城に戻って来ている自分の惨めさったらない。
邪魔なヴィレンをどうすれば…と、ユーリが考えていたら、後ろからクスクスと女の笑い声が聞こえてきた。
ユーリは驚いて勢いよく後ろを振り返ると、そこには何故かサラが立っていた。
「あら、ユーリ皇太子殿下…何やら荒ぶっておいでですね?」
「…どうやってこの部屋に入った?」
ここはユーリだけの秘密の部屋だ。ユーリが持つこの銀の鍵がないと、入れない筈なのに…。
ユーリがサラを睨み付けながら尋ねると、サラはまだクスクスと笑い続けて、その青い瞳を妖しく輝かせていた。
「はぁ…しかし圧巻ですねぇ。貴方の心の中を覗き込んでしまったようで、何だか申し訳ない気持ちです」
サラはルクレツィア達を眺めながら感心したように言う。ユーリは自分のプライベートに土足で踏み込まれ、気分が悪くなる。王女だから今は堪えているが、正直今すぐに突き飛ばしてでもこの部屋から追い出したい。
護衛も付けず、たった一人でユーリの部屋に乗り込んできたサラは、ユーリの気分を逆撫でるような笑みを浮かべたまま彼の側に近寄った。
「そう睨まないで、ユーリ様…」
急に気安く呼んできたサラ。
「私は貴方の、唯一の協力者になれるかもしれないのに」
頭にきたユーリは、国際問題になろうが、もうどうなろうと構わないとサラの細い首を絞めるように鷲掴みした。サラはそれでも笑顔を崩さない。何の抵抗もなく、ただケタケタ笑いながらユーリをおかしそうに見つめていた。
(この王女は…恐怖を感じないのか…?)
普通、大の男から首を絞められたら、女性でなくとも恐ろしさを感じる筈だ。
ユーリはこの王女がとても気持ち悪く思えた。何だか急に、目の前のこの女性が人の形を模っただけの異形に思えて、鳥肌が立ちすぐに手を離す。
すると、見計らったようにサラの形の良い唇がユーリに囁いたのだった。
「私があの邪魔な竜を、貴方の愛おしいルクレツィアの前から消してあげたら…ユーリ様は嬉しい?」
彼女の名前はサラ・エミル・リアン。聖リアン王国の第三王女であり聖女の名を冠した高貴な女性だ。
元々サラはエミルと名付けられた不遇の王女だった。王が気まぐれに手を出したメイドとの間に生まれたのが彼女で、彼女の母はエミルを産んで早々に命を落としてしまっていた。
王に見捨てられ王妃には嫌悪された赤子を暫くは産みの母親であるメイドの同僚達が面倒を見てくれていたけれど…その者たちも気付けば一人、また一人と王宮の中から消えていった。
そして彼女の周りから誰も居なくなった頃、成長したエミルは城の調理室に忍び込んでは、残飯を漁る日々を送っていた。
どんなに卑しい行為だとしても、それが彼女の生きる方法だった。
そんな彼女に運命を覆すほどの転機が訪れる。ある日エミルは天から力を授かり、王は自分が見捨てたはずの第三王女が常人を超えた治癒力と聖魔法を持っている事に気付いたのだ。
その日からエミルは人が変わったように明るくなり気品を漂わせる少女になった。エミルは、旧暦時代に現れ魔王を討ち倒したとされる『稀代の聖女サラ』の名を貰いエミルではなくサラと名乗り始めた。
残飯を漁りながら生きていたエミル…いや、サラを知る者たちは、皆口を揃えて『まるで別人のようだ』と彼女を評した。
天から力を授かり、その明るさと聡明さ、そして愛らしさで、人々はサラを愛さずにはいられない。そうして彼女は聖リアン王国に君臨する。
どこから現れたのか、黒騎士のユーゴという凄腕の護衛がサラに付き、その全ての危険から彼女を守っている。
サラを一番疎んでいた王妃は彼女を何度も暗殺しようと試みるが、ユーゴによって悉く失敗していた。
そんな王妃も現在では謎の病に侵されており、ベッドの中で四六時中苦しんでいた。身体に痛みが走るたびに悲鳴を上げているのだとか…。
今では、あんなに殺そうと躍起になっていたサラに、王妃は治癒魔法で病を治してくれと縋り付いているという…。
父親である国王もサラの能力に依存し、まるで操り人形のようになってしまい、兄弟達は表立って彼女に逆らおうとはしない。
サラは見事に下剋上を果たしていた。
さて、自国を掌握し思うがままに操る彼女が次に狙うのは…。
「聞くところによると、ヴィレンは火を吹く黒竜のようですね?」
ユーリはサラに改めて目を向ける。
「黒竜は、『私たち』のものです」
サラは聖女に相応しい慈愛のこもった優しい笑顔を浮かべて、胸の前で神に祈るように両手を握る。その手には、真っ黒な逆さ十字架が握られていた。
その十字架を見たユーリは…。
(この女…魔王教の信者なのか…)
近隣諸国でも魔王教の被害が一番大きい聖リアン王国の『聖女』が悪宗教の信者という闇を目撃してしまった。
笑ってはいるが、彼女の青い目は恨みと復讐心で満ちている。案外、『聖女様』は聖リアン王国を恨んでいるらしい…。
(これは…深く関わってはいけない部類の人間だ)
ユーリは正しくサラの底知れぬ危険性を理解して警戒する。しかし…。
(けれど…ヴィレンをどうにかしてくれるのならば…僕はこの聖女を利用する)
だから彼は、サラと手を組むという罪を犯したのだった。
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