44、魔王国国王からの手紙
ルクレツィアの返事を聞いて、ヴィレンは感極まる。
「ルー…!」
「——そこまでだ」
ヴィレンは再びルクレツィアに抱き着こうとしたのだが、彼女の父の手によってそれは阻まれた。
「それ以上の事を許した覚えはない」
ディートリヒの青紫色の瞳が、氷のように冷たくなってヴィレンを凝視している。
父親の怒り心頭な形相に、先ほどまでの浮かれたヴィレンの気持ちはどこかへと吹き飛んで行ってしまった。心なしか、ディートリヒに掴まれている自分の肩からミシミシと骨が軋む音が聞こえているし…。
「嫁入り前の娘を傷物にしたら、ただでは済まさないからな…?」
ディートリヒの恐ろしい圧力に、さすがのヴィレンも「はい…」と素直に頷くしかない。
何はともあれ、想いを通じ合わせたヴィレンとルクレツィアは幸せそうに互いを見つめ合いながら、どちらからともなく手を繋いでいた。
(…手を繋ぐくらいは許してやろう…)
突然、ヴィレンがルクレツィアに父親である自分の目の前でキスなんかしてみせるから、怒りで頭に血が上ったが…幸せそうな娘に免じて怒りの矛を収めることにしたディートリヒ。
「あのぉ…」
そこに、ひと段落ついた雰囲気を感じ取った赤髪の魔族の男が、遠慮がちに声を上げた。
「そろそろ、よろしいですかい? アレンディオ様からの書簡を、お渡しせにゃならんのですが…」
この男は手紙を手に持ったまま、ずっと話す機会を伺っていたらしい。
ディートリヒは気を取り直して、その魔族の男に目を向けた。背の高いヴィレンよりも高く…おそらく2メートル近くはあるであろう身長に、衣装の上からでも分かる鍛えられた筋肉と体格。魔法より、武闘派そうだ。と、ディートリヒはそんな印象を持った。
「お前は?」
「アレンディオ様にお仕えする鬼人族族長の息子トーヤと申します。そして、あっちの青い女が魚人族族長の娘マノです。以後、お見知りおきを」
トーヤと名乗った赤髪の男は、ディートリヒを真っ直ぐに見据えながらニッと笑う。
(先程から、やたらと挑戦的な目だ…)
ディートリヒが無表情の下でそんな事を思っていたら、トーヤが近付いて来た。
「すいませんねぇ…クラウベルク公爵様」
申し訳無さそうに頭を掻きながらトーヤは続ける。
「気を悪くせんで下さい。俺ぁ、戦闘民族出身なもんで、どうしても力比べが好きな性分なんです…」
強者を目の当たりにするとどうしても…と、トーヤは牙を見せながら笑う。平気そうにしているが、毛が逆立って見える…トーヤは今、戦闘本能を必死に抑えているのだろう。
「……そうか。でも安心しろ。辛かったら俺がお前の頭を冷やしてやるさ」
文字通り…とでも言うように、ディートリヒは指先に小さな氷の結晶を魔法で作ってみせる。トーヤは灰汁が抜けたような表情で目を丸くすると、「そん時はよろしく頼みます」と、笑っていた。
「さて…」
ディートリヒはこれ以上、トーヤやマノをこの場に居させるつもりはなかった。北の貴族だけではない。この場には今、アネッサとユーリ…皇族がいる。
(ちょうど不快にもルクレツィアの縁談を迫ってきた皇后にヴィレンの存在を見せ付けられた事は良いとして…)
ディートリヒの視界に、真っ赤な顔でぶるぶると震えるアネッサの姿が入った。
彼女は羞恥と怒りに満ちた表情で、ディートリヒを睨み付けている。ディートリヒは意地の悪い顔でニヤリと笑い、声を大にして宣言する。
「我が娘ルクレツィア・クラウベルクと魔王国第二皇子ヴィレン・イルディヴィート殿下の婚約が結ばれたことを、今ここで宣言する!」
周りの貴族達からは喜びと祝いの声が飛び交った。誰もが祝福し笑顔の中、暗い感情の表情を浮かべるのはアネッサとユーリ、二人だけ…。
アネッサはこれで思い知っただろう。ルクレツィアとヴィレンが想い合っており、そのヴィレンが魔王国の王子で、今回こうして使節団まで引き連れて公式的にイスラーク城を訪ねた意味を。たかが皇后ではもう何もこちらに介入する事は出来ないという事を…。
(魔王国とのやり取りを、これ以上聞かせるつもりもない)
「国王陛下からの書簡があると言っていたが…続きは場所を変えて話そうか」
ディートリヒはルクレツィア達に一言伝えると、トーヤとマノだけを連れてパーティー会場を後にしたのだった。
「——これが国王からの書簡だと?」
イスラーク城の応接室に移動したディートリヒは、トーヤから受け取った巻物を広げては驚愕の声を上げた。
「我が王国と帝国では扱う文字が違いますんで…それでもアレンディオ様が必死にお書きになったものなんです」
「アレンディオ様ったら、人族文字の一つひとつを一生懸命に確認しながら書いてて可愛かったよねぇ」
ニコニコと呑気な笑顔を浮かべて言うマノに、トーヤは「マノ。お前はそれ以上余計なこと言わんように、口閉じときなぁ」と、圧のある笑顔を向けていた。
ディートリヒは、まるで幼児が書いたような字体に初めは驚いたが、二人に聞いた話からアレンディオの努力が見えて今では少しバツが悪く感じてしまう…とりあえず、気を取り直して文面に目を通してみることにした。
結論から言うと、『トーヤとマノを帝国に置いていくから、ヴィレンを頼む』という、あまりにも中身のない内容だった。
ディートリヒは読んだ手紙をトーヤに手渡し、暫し考える。
(この程度の内容の手紙を持たせるために、わざわざ使節団まで寄越してきたのか?)
もしそうなら、アレンディオという男の考えが読めない…と、頭を悩ませるディートリヒ。
「……えぇと、それでお前たちはヴィレンの護衛として寄越された二人だという事だな?」
アレンディオからの手紙という事で、少しは身構えていたが肩透かしにあったディートリヒはため息を吐きながら目の前の魔族の二人を見た。
その瞬間、二人の雰囲気が変わった。ピリピリとした二人からの威圧感を肌で感じたディートリヒ。
獣特有の威圧感を放つ二人を見て、ディートリヒは二人がいくら人と同じ姿をしていようが魔族なのだと再認識する。
「いいえ? ディートリヒ様。それは違います」
マノが大きく目を開き、さっきまでの笑みを消して言う。濃い藍色の髪がザワザワと動いていた。
「俺達ぁ、アレンディオ様のご命令でヴィレン様を殺すために、ここにおるんです」
トーヤがそう言った瞬間、トーヤとマノの足元から鋭い氷柱が迫り上がるように勢いよく幾つも突き出てきた。
二人が瞬時に後ろへ下がっていなければ、この天井まで届きそうな氷柱達は彼らの身体を串刺しに貫いていたことだろう。
「殺す…? 今、ヴィレンを殺すと言ったのか?」
ディートリヒの殺気に焦った様子でマノが叫ぶ。
「トーヤ!」
どうにかしろ。と、名前を呼ばれたトーヤは冷や汗を流しながら薄ら笑いを浮かべていた。
「…すんません、堪忍してください。俺が言葉足らずでした」
どんどん低下していく室内温度の中で、寒さに身を震わせながらトーヤが懇願する。
「魔王国には魔族にすら隠された真実があります」
魔力量で言えば、ディートリヒは自分達より遥かに格上。トーヤはこれ以上ディートリヒを刺激しないように、慎重に言葉を選んで説明した。
「絶対に開けたらいかん『パンドラの箱』があるんです。そして俺たちはその箱が開けられてしまった時に…命を賭してでも、ヴィレン様をお止めしなければならない役目を仰せつかっています…」
まだ怒りの収まらないディートリヒだったが、取り敢えずは彼らの話に耳を傾けようと魔法を解く。常温に戻っていく室内に、トーヤとマノはホッと安堵していた。
「…その『パンドラの箱』がヴィレンだと?」
「はい…」
ディートリヒが静かに尋ねると、トーヤがすぐに返事をした。
「その件については…これから、手紙には書けんアレンディオ様からの本当の要件を、俺の口からお伝えさせてもらいます」
なるほど。使節団はカモフラージュ。アレンディオの本当の目的はこの中身のない手紙を渡す事ではなく、このトーヤとマノを通して自分に何かを伝えることなのだと、ディートリヒは理解する。
(…しかし…)
どんな理由であれ自分の息子の殺害命令を出すアレンディオに、同じ親として寄り添えないと不快感を露わにするディートリヒ。
「…そう、睨まんで下さいよ。アレンディオ様だって、出来ればヴィレン様を殺すような命令など出したくないはずです」
あの人は、自分の娘息子達3人を愛してますからね。と、トーヤは悲しそうな顔で笑っていた。
「私たちは確かにアレンディオ様よりご命令を受けてこの場におりますが、そのような最悪な事態にならないよう全身全霊をかけてヴィレン様を守れとも言われております」
マノが悲しそうな顔でディートリヒに訴えるように言った。
(このマノという女の物言い…アレンディオは俺の知らない敵を…ヴィレンを脅かそうとする何かがいる事を知り警戒しているようだ…)
ディートリヒは始め、ヴィレンを殺すよう命令した父親の話など聞く価値もないと思っていたけれど…彼は心を落ち着けるように息を吐いてから、再び二人を見た。
「分かった。ひとまずは、話を聞こう。それからどうするかは、俺が決める」
「…ありがとうございます」
トーヤは目を伏せて、感謝の気持ちを表すために深々とお辞儀をした。その隣ではマノも同じように頭を下げている。二人がヴィレンを本当に大事にしているのだとディートリヒにも伝わってきた。
先ほどのヴィレンの様子を見れば、おそらく彼はこの二人が知る自分自身の秘密を知らない。それなのに、ディートリヒには明かそうとしている。
(こいつらは一体、何からヴィレンを守ろうとしているんだ…?)




