42、魔王国第二王子
「気を悪くしないで欲しいのだけれど…ルクレツィア嬢は、昔の暗い雰囲気と比べて変わったね」
明るくなった。と、気を取り直したユーリの言葉にルクレツィアは嬉しそうにはにかむ。
そう。昔のルクレツィアはいつも暗い表情で俯き、攻撃的で、心に余裕のない少女だった。
「きっとお父君…クラウベルク公爵にとても大切にされてきたんだろうね」
ユーリがそう続けると、ルクレツィアは満たされたような笑顔を浮かべながら「はい」と自信を持って肯定していた。
「お父様もですが…お兄様、それに城や魔塔の皆が側にいてくれましたから…」
照れた様子で答えるルクレツィアを眺めながら、昔、ルクレツィアからの手紙で兄が出来たという内容があったことを思い出したユーリ。
(確か…ダークエルフだったはず…)
ユーリがそんな事を思いながらぐるりと会場内を見回すと、こちらを注視する成人した一人のダークエルフの男が遠くの方に立っていた。
(あの男か…)
ユーリは端目でグリムの姿を確認してから、すぐに目の前のルクレツィアへと視線を戻す。グリムはどうやら、皇太子であるユーリに配慮して近付いて来ないみたいだ。彼の弁えた態度にユーリは好感を持った。
(ただ、僕を監視するようなあの目付きは勘に障るけどね…)
しかし、彼は脅威ではない——と、ユーリは結論付ける。
「それに…」
ルクレツィアの言葉はまだ続いていた。
「ヴィレンが側にいてくれましたから」
そう、ユーリにとっての脅威はあの竜だ。
「…………」
温度を失っていく目で、照れくさそうに目を伏せて笑うルクレツィアを見下ろすユーリ。
(…他の者を思い出す時と明らかに笑顔が違う…)
まるで、『特別』みたいな。これまでユーリが記事や写真でルクレツィアを知るたびに、嫌でも目に入ってきたヴィレンという存在。
昔、自分がルクレツィアを妻として迎えるまでの間、他の男から守っていればいいとヴィレンに思っていた事もあったけれど、目障りな存在には変わりない。
(初めて会った時から、彼の事は気に入らなかったんだ)
どうしてこんなに、ルクレツィアをヴィレンに奪われた気分になるんだ…いや、まだ奪われたわけじゃない。焦るな。
ユーリはルクレツィアが顔を上げてこちらに目を向けてくるまでに、温かみのある笑顔の仮面を被り黒い本性をひた隠した。
「…僕も彼には感謝しているよ」
「感謝…ですか?」
ユーリの言葉にキョトンとした顔でルクレツィアは首を傾げた。
(そう…僕の代わりに他の男から貴女を守ってくれていたからね)
ユーリは言葉には出さずにそう思いながら、ルクレツィアの頬に触れようとした。すると、ルクレツィアは驚いた表情をしつつも、反射的にユーリの手から逃れるように顔を逸らす。
「あ、の…?」
そっと伸ばされたユーリの手は、戸惑うルクレツィアに触れる前に止まる。彼女の明確な拒否を感じ取ったユーリは「ごめん、驚かせてしまったかな? 髪が乱れていたから、ただ整えてあげようと思っただけなんだ」と、その場を取り繕うための嘘を笑顔で紡いだ。
するとルクレツィアはホッと安堵した様子で頷き、ひとつの乱れもない綺麗に整えられた髪を慌てた様子で撫で付けていた。
(…分かりやすいくらいに安心した顔…僕は今、彼女に線引きされたんだな)
悠長に構えている時間はないのかもしれないとユーリは思った。ルクレツィアを誰かに奪われる前に、自分のものにしないといけない…。
「…そういえば、その『ヴィレン』の姿が見えないようだけれど…?」
ちょうど話題にも上がったし、実はずっと気になっていた事をルクレツィアに尋ねてみたユーリ。すると、ルクレツィアの愛らしかった笑顔が曇った。その時…。
会場の大扉が大きな音を立てて開いたかと思えば、門番の「魔王国より使節団の方々のご到着です!」という声が聞こえてきたので、ルクレツィアとユーリは大扉の方へ目を向ける。
そこには、帝国とは雰囲気の違う異国の民族衣装に身を包んだ多くの者たちが列を成して会場の中へと入場していた。
その者たちは確かに人の形をしているが…中には明らかに人間とは違う姿の者も混じっている。その場にいた人間たちは、普段は目にしない大勢の魔族の姿に緊張した面持ちを浮かべていた。
続いて、門番の言葉が会場内に響く。
「魔王国第二王子ヴィレン・イルディヴィート様のご入場です!」
それを聞いてユーリは驚く。
(…は? 魔王国第二王子…? どういう…)
名を呼ばれて入場してきた一人の男の姿を確認した後、ハッとして目の前のルクレツィアを見れば、ルクレツィアは…。
ユーリはその時、自分の傲慢な気持ちに気付いた。自分は皇太子で、元婚約者だから自分には誰も勝てやしないって。
(…あ。僕が消えた…)
ルクレツィアの視界から自分が消えるその瞬間を目撃するまでは、そう、信じていた。
この胸の中に広がる苦いものは、人生初めての敗北の味。
敗北を認めたくないユーリは、無意識にルクレツィアの手を掴む。今にも自分の元から去って行ってしまいそうな彼女を引き止めたかった。
驚いた顔をしてこちらを振り返るルクレツィアに、自分を置いてどこへ行くのかとユーリが目で訴えていると、彼女は言った。
「すみません、ユーリ殿下。私、行かなくちゃ」
振り返ったルクレツィアの表情を見て、ユーリの手から力が抜ける。するとルクレツィアはこちらに何の未練もなく、『その男』の元へと走り去ってしまったのだった。
(確かにさっきまで、彼女の目に映っていたのは僕だった筈だ…なのに…)
ユーリの動揺に揺れる視界の中で、どんどん小さくなっていくルクレツィアの後ろ姿。彼女が見せた、あの表情が目にこびり付いて離れない。
(もしかして貴女は今…僕以外の誰かに恋をしてるの…?)
そう思うとユーリの中に絶望感が込み上がっていき、その場に立ち尽くす彼は、彼女を追いかける事なんて出来なかった。
『魔王国第二王子』の入場に、貴族達が驚いた顔で注目する先には、今到着したばかりの一人の魔族の男が立っていた。
頭の高い位置でひとつに結んだ艶やかな黒髪を靡かせながら、彼は颯爽と歩く。黙ってさえいれば誰もが見惚れるほどに美麗な貴公子…ヴィレン・イルディヴートだ。
北の社交界でこれまでに何度もルクレツィアと共にヴィレンの成長を見守ってきた貴族達は、ヴィレンが今、初めて公式の場で『王子』だと明かした事で驚きを隠せないようだった。
会場中が騒めく中、ヴィレンはというと…大して周りの様子など気にした素振りもなく、息を吸い込むと大声を放った。
「ルーシー!!」
ヴィレンは今すぐに会いたい人の名前を元気よく叫ぶ。すると、騒めく人混みの中から一人の女性がこちらに向かって駆け寄って来ている姿を見つけるヴィレン。
ルクレツィアだった。ヴィレンが早く会いたかった女性が、自分を真っ直ぐに見つめながら自分の元まで走って来ている。
「よぉ、ルーシー。待たせ…」
「——ヴィレン!!」
気安い様子で軽く手を上げながら笑うヴィレンに、ルクレツィアは脇目も振らずに飛び付くように抱き付いた。
「おっと!」
ヴィレンは驚いた顔をして、ルクレツィアを抱き止める。
いつもは高貴なクラウベルクの公女様らしく落ち着きを払った淑女のルクレツィアなのだが、この時だけは違った。
普段の彼女なら周りの目がある中で、まるで小さな子どものように誰かに抱きついたりしないだろう。
「なんだよ、ルーシー。俺がいなくて寂しかったのか?」
驚きはしたものの、ヴィレンはすぐに満更でも無さそうな顔で笑ってルクレツィアを揶揄う。すると、彼女は彼の胸に埋めていた顔をすぐに上げては怒った表情で言った。
「遅いよ!」
「わ、悪りぃ…」
まさか怒られるとは思っておらず、ヴィレンはルクレツィアの勢いに負けて、つい謝ってしまう。
「一ヶ月以上も帰ってこないから…私、心配してたんだよ」
「悪かったよ。でも、俺にも遅くなった理由があってさ…」
少しバツの悪そうな表情を浮かべるヴィレン。
「すぐに帰るって言ってたくせに…」
「約束を破ってごめん…なぁ、機嫌直してよ」
ヴィレンは許しを乞うように、ルクレツィアの顔を覗き込みながら甘えた声で言う。
ルクレツィアはヴィレンの腕の中からそっと離れると、彼を真正面から真っ直ぐに見上げた。
「約束を破ったとか、そういうのじゃなくて…」
その紫色の双眸が、照れてるような恥ずかしそうな…上目遣いに潤み、ヴィレンを求めるように見つめている。
「…寂しかったから、怒ってるの…」
口の先を尖らせたまま顔を赤くして呟くように言うルクレツィアの姿に、ヴィレンまで顔が赤くなる。
(な、なんだルーシーのやつ…なんで急に…こんな可愛い事を言うんだ…?)
普段は恋の駆け引きなんて頭にない単純なヴィレンだが、彼が図らずとも離れていた時間がルクレツィアを素直にさせたようだ。
ルクレツィアはというと、ヴィレンと触れ合い自分の恋心を再認識していた。彼の顔を見るだけで、こんなにも満たされる気持ちになるなんて…と。
「おかえりなさい…ヴィレン…」
「うん。ただいま、ルーシー」
約一ヶ月ぶりに再会した二人は、お互いの大切さを実感しながら笑い合ったのだった。




