32、追っかけデザイナーと写真機
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ルクレツィアとヴィレンが氷の扉を通ってイスラーク城へ戻ると、ディートリヒとグリムが二人を待っていた。
「お父様、お兄様!」
ルクレツィアはパァッと表情を明るくさせて、ディートリヒへ抱き付いた。
「戻ったな、ルクレツィア。約束通り、街へ行こうか」
「はい!」
娘に抱き付かれて嬉しいディートリヒは、緩んだ笑顔を浮かべてはルクレツィアを抱き締め返した。そして、すぐに隣でじっとこちらを見つめるグリムの視線に気付き、慌てて表情を引き締めてみる…。
(何度見ても、ディートリヒ様のこういったお姿は見慣れないなぁ…)
グリムは新生物を発見した気持ちだった。魔塔の魔術師も含めてグリム達は今まで、冷淡な雰囲気であり戦場でも敵に恐れられる完全無欠な恐怖の魔塔主という強者の姿しか知らなかったので…このように気の抜けた隙だらけなディートリヒが珍しいのだ。
「こほん。そろそろ馬車に向かおう。待っている者もいるしな」
今日のルクレツィアは、ディートリヒとヴィレン、そして護衛のグリムと一緒にお出掛けだ。とても楽しみである。
ディートリヒがグリムに護衛を提案した後、後日ディートリヒの元にグリムが訪れてそれを承諾した。
彼の中で色々な思いと葛藤があったのだが、結局はヴィレンやニックからルクレツィアを守ろうとした気持ちも自分の本心だと気付いて受け入れることにしたのだ。
『良かったの?』と、ルクレツィアが尋ねれば、グリムは『…まぁ、妹を守るのも兄の務めだし…』と顔を真っ赤にさせながら恥ずかしそうに答えていた。
グリムがルクレツィアの護衛になった事で、彼の住居も魔塔からイスラーク城内へと移動されたのだった。
ルクレツィア達が馬車へ向かうと、そこには二人の大人の姿があった。レイモンドとレオノーラだった。
「げぇ、レオノーラもいんのかよ…」
彼女の姿を見て、すぐに渋い顔をするヴィレン。
ルクレツィアの教育係である彼女は、ある日、人間が使う文字を教えて欲しいとヴィレンに頼まれたことをきっかけに、ヴィレンの教育にも心血を注いでいた。主に教養方面を。
「ヴィレン様、正しいお言葉遣いを心掛けてください」
ギロリと鋭い視線がレオノーラから飛んできて、ヴィレンは思わず目を逸らす。
(…こんな筈じゃなかったんだけどな…)
彼はレオノーラが苦手だった。母ヴァレリアとは違う方向性で、レオノーラを恐ろしく思う。
ちょっと文字を教えて貰えればそれで良かったのに…まさか、礼儀作法の授業まで強要されるとは…と、ヴィレンは軽い気持ちで彼女に文字を習おうとした自分の過去の行いを後悔していた。
(それもこれも、あのユーリって奴がルーシーに手紙なんか送ってくるから…)
そう。ヴィレンはルクレツィアが他の男から手紙を受け取っている事実を知ってしまい、ヤキモチを妬いたのだ。
好きな女の子が他の男に恋文を貰う…なんて、許せるわけがない。だから、自分も負けじとルクレツィアに恋文…いや、まずは手紙を書いてやろうと思ったのだ。
そんな少年は自身の恋心ゆえに、鉄仮面先生の容赦なく厳しい授業に耐える毎日…。
でも、たまにあるルクレツィアとのダンスの練習が密かな楽しみになっているヴィレンは、今のところ授業を辞めたいとは考えていないようだ。
始めこそ厳しく冷たい印象のレオノーラだったが、ルクレツィアの中ではもうその印象は消え去っていた。
ルクレツィアが氷の扉を通り数時間行方不明になっていた日…魔塔からイスラーク城へ帰ってきた彼女の姿を見つけたレオノーラは、城から飛び出してきてはルクレツィアを力いっぱいに抱き締めた。
驚くルクレツィアだったが、余程心配していたらしい彼女はその目に涙を溜めて肩を震わせていたのだ。
『初日からこんなにも心配をさせるなんて…!』
と、涙するレオノーラの姿を見てルクレツィアは、だから皇太子妃教育係の教師とレオノーラは違うと思ったのか。と、納得した。
(目が全然違う。厳しくとも、レオノーラ先生の目は温かくて、私を全く蔑んでいなかった)
ただレオノーラはしっかり公私を分ける人であって、自分は別に彼女から疎まれていないのだと分かると、ルクレツィアはレオノーラが大好きになったのだった。
「姉上……いや、スペンサー夫人。その手に持っているものは?」
ずっと気になっていたらしいディートリヒが、レオノーラに尋ねた。
「何って…写真機ですが?」
実は、イスラーク城にはこの世にひとつしかない画期的な工学魔道具があった。それが今レオノーラが手にしている『写真機』という魔道具だ。
ルクレツィアの母、カレンが生前に思い付いたようにレオノーラへ話した事がきっかけで生み出された魔道具。カレンの世界にある機械の仕組みと知識を利用して、レオノーラが発明したものだ。魔石を動力源として誰でも簡単に使用出来る。
元クラウベルク公女のレオノーラも類に漏れず、とても優秀で天才的な魔術師だ。よって、カレンの『確か…レンズに光を集めて…フィルムに焼き付けると…被写体が映って写真になるの……たぶん』という、ふわっとした説明からでも、彼女は魔術式を組み込んだこの写真機を完成させてしまった。
彼女がここまで写真機の制作に必死になっていたのも、全てはカレンのためだった。レオノーラとカレンは義姉妹の前に、とても仲の良い友人だったのだ。
衰弱していくカレンの『家族写真を撮りたい』という願いを叶えるために生み出された魔道具が、この写真機であった。
だからイスラーク城には、画家が描いた肖像画とは別にカレンが映る写真がたくさんあった。
その写真の一つひとつがとても綺麗な額縁に収められており、いつも使用人達の手で指紋ひとつないよう磨かれている。
ルクレツィアは初めて見る母親の写真に、母はこの城の者たちにとても愛されているんだなぁ。と、少し羨ましく思ったほどだ。
そして、現在ルクレツィアの部屋にも写真が二枚飾られている。一つは、ディートリヒとヴィレン、グリム、そしてレオノーラとレイモンドと一緒に撮った写真だ。
もうひとつは、ディートリヒとカレン、そしてまだ生まれたばかりの赤子の自分が映っている家族写真だった。レオノーラが、いつかルクレツィアがイスラークに帰ってきたら渡してあげようと準備していたものだった。
写真の中のカレンは、黒髪で色白でとても小さな女性だった。この国では見かけない顔立ちをしており、ディートリヒより年上と聞いていたがまだ少女のように見える幼い顔立ちの人だ。
毎朝、カレンはどんな声なのだろうと思いながら『おはよう、お母様』と挨拶するのがルクレツィアの日課になっている。
「ただ買い物に行くというのにそのような物が必要なのか? そもそも、何でスペンサー夫人まで付いて来るんだ」
ディートリヒが少し嫌そうな顔でレオノーラに苦言を述べるが、レオノーラはどこ吹く風という様子で聞こえないふりをしていた。
「いらっしゃいませ、クラウベルク公爵様!」
イスラークの街の外れにある人通りの少ない路地にジェイの店はあった。
「このような小さな店にまで足を運んで頂き、感激でございます…」
「なに、俺もお前の作品は気に入っている…城に呼んでもよかったが、そうしたらお前の限られた作品しか見れないだろう? ルクレツィアも、それは悲しむと思ってな」
ディートリヒが優しい目をしてルクレツィアの頭を撫でてやると、ルクレツィアは肯定するように笑顔で頷いた。
「ジェイ、お久しぶりね」
「まさかここまで追っかけてくるとはな」
ルクレツィアとヴィレンがジェイに話しかけると、ジェイはときめいたような表情を浮かべながら言った。
「は、はい…僕はこの一生を服作りに捧げるつもりです。でしたら、僕は僕のためにお二人のお側で服を作りたいのです!」
ジェイの決意は固いようだ。ジェイの店は帝都にある兄の店の暖簾分けのような形で出店したものだった。オーナーは変わらず兄であり、ジェイは店長兼デザイナー、という形だ。
ジェイが何度も兄を説得し、頼み込んで、やっと認めてもらえた出店だった。
(『ノーマンの店』ではきっと、あまり自分の服は買って貰えないだろう…でも、僕は僕の限られた人生を悔いなく精一杯に生きたい)
それが我儘だと分かっていても、諦められない夢だった。
「素晴らしいデザイナーにここまで言って貰えるなんて、とても誉れな気持ちだわ」
温かな笑顔を浮かべるルクレツィア。その笑顔を見たジェイは思った。
(あ…ルクレツィア様の笑顔が帝都にいた頃と違う…。このイスラークでの日々がとても幸せで満ち溢れているんだな…)
そして、ルクレツィアの周りにいる者達に目を向ける。
ディートリヒ、ヴィレン、グリム、そしてレイモンド…皆が優しい目をしているのだ。…一人を除いて。
(………どうしてあの貴婦人は、あんな気迫のある恐ろしい顔で僕を見るんだろう…?)
まるで敵兵を視察する軍人のような鋭い目付きだ。
(こんな野暮ったい男に、果たしてルクレツィア様に相応しい服が作れるとでも言うの…? もし不相応なデザインを描きでもしたら…ただじゃおかないわ)
と、いう顔なのである。




