29、空白の時間
ディートリヒは珍しく落ち込んだ様子を見せるヴィレンに小さな息を吐く。
(こうなった事の発端は怒り任せに魔塔に攻め込んだヴィレンにあるが…今はひとまず叱るのは後にしておいてやろう)
そして、膝をつきしゃがんではルクレツィアと共にヴィレンの身体も纏めて抱き締めてやった。
「ヴィレン。お前も無事で良かった」
見れば傷だらけのヴィレン。娘のために彼がどれだけ激闘したのか窺い知れる…それも、この国でも優秀な者が集まる魔塔の魔術師相手にだ。
抱き締められた瞬間、ヴィレンは悔しかったのか涙をボロボロとこぼし始めた。
「ディートリヒ、俺っ…このままの俺じゃ嫌だ…!」
「お前はまだ10歳の子供だからな。幸いここは魔塔だ…これから学んでいけばいい」
するとヴィレンは声を押し殺して泣きながら、コクリと頷いていた。
ディートリヒはルクレツィアとヴィレンを腕の中から解放すると改めて周りを見渡した。
大きな穴の空いた壁、魔獣達の死骸、疲れ切った顔の魔術師達…を見て今度は大きな息を吐く。
次にグリムを見て、彼に声を掛けたディートリヒ。
「グリム、ルクレツィアを保護してくれてありがとう」
「…いえ。僕もお嬢様をきちんと守ってはあげられませんでしたので…」
と、申し訳なさそうに目を伏せるグリムに、ディートリヒは「そんな事はない。お前の墓守犬がいなければ、俺も間に合わなかったかもしれない」と感謝の気持ちを込めて優しい声で慰めた。
「さて…」
ディートリヒは改めてルクレツィアを見た。まだ彼女の目元に涙の痕が残っている。
本当に無事で良かったと、ディートリヒはまたルクレツィアを強く抱き締める。
「ルクレツィア…今までどこにいたんだ?」
ディートリヒは抱擁を解くと、苦しそうな表情を浮かべてルクレツィアの華奢な両肩を掴んでは尋ねた。
「お前は、半日も姿を消していたんだぞ…!」
どれだけ探し回った事か…と、呟くディートリヒに、ルクレツィアは驚きから目を大きく開いて目の前の父親を見つめた。
何故ならルクレツィアは、氷の扉を通って一時間も満たない時間しか魔塔で過ごしていないのだから。
ディートリヒの話では、ルクレツィアが氷の扉に引き摺り込まれ姿を消してから、ヴィレンと共に彼女を探し回って四時間以上もの時間が過ぎていたと言うのだ。
「これまでずっと…何度もルーシーの魔力を辿ったけどダメだった。まるで、ルーシーが《《この世界に存在していない》》みたいに魔力を辿れなかったんだ」
だから二人は当てもなくルクレツィアを探すしかなかった。城や魔塔の中は勿論、街にも捜索隊を派遣し、それでも手掛かりひとつ無かった為、捜査網を街の外にまで拡げようとしていた所だったのだ。
そんな矢先に、ヴィレンはディートリヒと共にイスラークの都を出て近くの山を捜索しようとしたところで、突然現れたようにルクレツィアの魔力を感知した。
焦りのあまりディートリヒに行き先も告げずに真っ直ぐこの魔塔へ飛んできたのだという。
ルクレツィアは二人の話を聞いても信じられなかったが、ふと、ヴィレンが開けた穴の向こうに目を向けると、空には朱色が滲んでいた。北の空は帝都と比べて日が暮れるのが早いとはいえ…。
(…夕暮れ空…)
ルクレツィアがイスラーク城にいた時は、確かに昼頃だった。ルクレツィアには分からない。ディートリヒやヴィレンと自分の間にあるこの『空白の時間』のズレが気味悪く感じた。
「ま、待ってください! 僕が彼女を保護したのはほんの数十分前ですよ?」
彼らの会話に違和感を感じたグリムが焦る表情で言うと、ディートリヒは難しい顔をして黙り込んだ。
「…ルクレツィアは、確かに氷の扉を通っただけなんだな?」
「は、はい」
ディートリヒは小さく息を吐いてから「この事については、俺の方で調べてみよう」と言って、この話題を終わらせる。
(はぁ…考えるべき事がたくさんあるな…)
まずはルクレツィアの無事な姿が見れて一安心だ。とりあえず…。
「ヴィレン。頼むから、これからは行き先ぐらいちゃんと知らせてから行ってくれ」
山に取り残されたディートリヒは、ヴィレンを追跡するのに一苦労だった。お陰でこうして到着が遅れてしまったのだ。
「うっ…ごめん…」
今日は精神的に参っているからか素直に謝るヴィレンに、ディートリヒは小さな息を吐くだけでそれ以上は何も言わなかった。その代わり…。
「城に帰ろうか」
レイモンドや他の皆が心配している、とディートリヒに言われて、ルクレツィアは自分が思うよりも大事になっているようで申し訳ない気持ちになる。
このまま城へと帰りそうな雰囲気に、ルクレツィアはチラリと後ろを振り返った。そして、タタタっと小走りに掛けては、グリムのお腹に飛び込むように抱き付いたのだ。
ルクレツィアの予測不能な行動に驚くグリム。そんな彼を見上げながらルクレツィアは笑顔で感謝を告げた。
「グリム。たくさん守ってくれてありがとう!」
「……っ…」
感謝され慣れていないグリムがどうしていいのか分からずに固まっていると、すぐにヴィレンがやって来て嫉妬した顔をしてはグリムとルクレツィアを引き剥がした。
「お前! ルーシーに近付くな!」
「…僕からは何もしていないけど」
睨み合う二人だったが、ディートリヒがこちらに近付いてきていたので、グリムはヴィレンから視線を外し顔を上げる。
「グリム。良かったら戦闘兵士を辞めてルクレツィアの護衛をしてみないか?」
『雪銀の魔兵団』には細部に渡り様々な部署がある。中でも主に武力を担当する部署が、グリムの所属する戦闘兵士と言われる部署だ。
マルセルとの約束でディートリヒが帝国の防衛前線地に派遣した兵士の大半が、この戦闘兵士である。
「えっ、僕がですか…?」
まさかそんな事を提案されるとは思わず、グリムは思わず言葉に詰まった。
「俺がいつもこの子達に付いてあげるわけにもいかないしな。今回のような事があるとますます心配だし…グリムが引き受けてくれたら有難い」
するとヴィレンが興奮したように叫んだ。
「いらねー! 俺がルーシーの護衛になる!」
「うるさいぞヴィレン。お前はすぐに暴走するから護衛には向かない、駄目だ!」
さっきまで落ち込んでいた筈なのに…何やらグリムに対して強い対抗心を持っているらしいヴィレンはいつもの調子を取り戻してきていた。
ディートリヒは騒ぐヴィレンを叱り付けてからグリムへと向き直り、改めて口を開く。
「それにルクレツィアもお前に懐いているようだしな」
と、優しい目をしてルクレツィアを見つめながら娘の頭を撫でるディートリヒの姿に、グリムは不安になった。
「…何故僕なんですか? 僕はイクス隊長の元でもしっかりと働いてきました。功績だって残してます!」
実は、グリムは今でこそアルゲンテウスに所属しているが、当初、入隊を希望した際に一度ディートリヒに断られた経緯があった。
それを無理やり入隊試験を受けて、誰よりも優秀な成績で合格をもぎ取ったので、ディートリヒもそれ以上は何も言って来なかったが…。
「僕は誰よりも貴方のために貢献出来ている戦闘兵士のはずです! 僕は…ディートリヒ様にとって必要のない人材ですか?」
ディートリヒからの護衛の提案は、まるで自分がアルゲンテウスに必要ないと言われているように思えたのだ。




