27、竜の魔法の言葉
ドライアドの外ではグリムと魔法を放った魔術師が睨み合っていた。
「お前は…グリム・ベガ。邪魔するな! あの竜は俺のモノだ!」
自分の魔法がドライアドによって防がれた事に舌打ちしては前に出てきた一人の赤髪の男が傲慢にもそう言った。ヴィレンを一目見て竜だと気付いたらしい。
「もしかして、お前もあの竜を召喚獣のコレクションに加えたいのか?」
「ニック…」
男の名を呟いてグリムはその赤髪の男を睨みつけた。どうやら、ヴィレンをテイムしようとしているのはこのニックという男のようだ。
「違う。今、小さな女の子がいたのに魔法で攻撃しただろ?」
グリムが責めるように言うと、ニックは「あぁ」と思い出したような顔をして「誰なんだ、あの子供は?」と続けた。
「ディートリヒ様のご息女様だ」
グリムがルクレツィアの正体を伝えると、周りの魔術師達は途端に彼女を注目する。ちょうど、ルクレツィアとヴィレンがドリアードの腹の中の小枝たちを掻き分けて外に出てきた所だった。
ニックは目を丸めてルクレツィアを見る。
魔塔主の娘に攻撃魔法を…と、この男が後悔と反省をする事は無かった。逆に愉快そうに大笑いして、ルクレツィアを見下ろす。
「この子供が、あの魔力なしでディートリヒ様に捨てられたと噂の娘なのか!? なんでここにいるんだ?」
全員がとは言わないが、マルドゥセル魔導帝国出身の魔塔の魔術師達は魔術師としてのプライドも高いため普通の帝国民よりも強くノーマンのことを価値のない劣等種として見ている者が多い。ニックもそういった内の一人だった。
腹を抱えて笑うニックに、他国出身のグリムや半数の者は不愉快そうに顔を歪め、帝国出身であるもう半数の者はルクレツィアがノーマンと知り関心を失ったような白けた表情を浮かべていた。
基本的に魔塔の魔術師は他人に無関心だ。ニックのようにノーマンを馬鹿にする時間すらも無駄だと考える。ニックのように攻撃的な者はごく一部の者だけだった。
ルクレツィアはディートリヒが治めるこの北の地でも起こった差別に悔しさと悲しさからグッと堪えるように下唇を噛み、目を伏せて…するとヴィレンがルクレツィアの背に手を添えて「大丈夫だ」と言った。
ルクレツィアがハッと気付いた時には、ヴィレンの竜の鉤爪がニックの顔面の肉を引き裂いた後だった。
「ぐぅっ…!」
目で追えない速さだったためヴィレンの攻撃を躱せなかった。毒魔法で弱っていた筈なのに…どうして竜が突然元気になったのか、ニックには分からずただ呻き声をあげるしかない。
「さっきまではルーシーが怪我しないように手加減してたけど、もうそんな事は気にしなくていいな」
ヴィレンの明るく笑う声が逆に不気味だ。そう、彼はもう手加減しなくていい。何故なら彼の大事な『宝石』は安全な場所…つまりヴィレンの後ろにいるのだから。
周りの魔術師達も唖然とした顔でヴィレンを見る。彼の『本気』を垣間見てしまったようで…誰もその場から動けなかった。
片目を潰されたニックは、よろめいて一歩後退する。そんな彼に聞こえるようにヴィレンは言った。
「ルーシーの魔力を少し…いや、結構貰ったから体力が回復したぜ」
ニックは顔の傷を押さえながら驚きの表情を浮かべる。だって、ノーマンは『魔力なし』だからノーマンと呼ばれているわけで…。手のひらに生温かい血がぬるりと絡み付いていく。思ったよりも出血が酷い。
「お前ら人間はいつも、ノーマンだとかそうじゃないとか、ごちゃごちゃうるせぇな」
そう言ってニックとその周りの魔術師達を睨み付けるヴィレン。
「ルーシーには俺がいるから、そんな事どうでもいいんだよ。あいつを泣かせたり傷付けた奴は俺が許さねー、ただそれだけの事だ」
紫の瞳の奥にある縦長の瞳孔が開いたまま鋭くこちらを見ている。その時、ニックはヴィレンに対して得体の知れない恐怖を感じた。
(…何で俺…今、前に読んだ古代文明時代の文献の事を思い出したのだろう…?)
その時代にこの地に住む生物たちを無慈悲に蹂躙したという『魔王』の存在を文献を読み知った時、ニックが心の奥底から感じた恐怖と同じ…。
ゴクリ。彼は緊張から唾を飲み込んで、嫌な汗をかいていた。
このままニックへの報復が続くのかと思われたが、ヴィレンはすぐに振り返り俯いているルクレツィアの元へと向かう。
そして、ルクレツィアと目線を合わせるように屈むと、彼女の両頬を両手で挟むように掴んで上を向かせた。
「俺が隣にいる限り、お前はもう下なんて見るな!」
こちらを覗き込んでくるヴィレンと目が合う。
「お前はお前のままでいいんだ!」
傷付いた表情を浮かべていたルクレツィアだったが、ヴィレンにそう言われた瞬間、ハッとした顔をした。
「堂々と前を向いてればいい! 嗤う奴がいれば、俺がこうやってこらしめてやるから」
まん丸に開かれたルクレツィアの瞳の中には、ニカッと頼もしく笑う一人の男の子が映っている。
「だから、俺を信じてさ…顔を上げて笑ってろ、ルーシー!」
ルクレツィアの目の奥が熱くなる。今しがた『笑っていろ』と言われたのに…涙がこぼれないようにぐっと目に力を入れて笑って見せる。そんな彼女に、ヴィレンは嬉しそうに微笑んだ。
「もしさ、前を向くのが怖くなったら、その時は俺を見ていればいい」
と、キザな台詞を恥ずかしげもなく堂々と自信満々に言うヴィレンに、ルクレツィアは思わず声を上げて笑ってしまった。
不思議だ。ヴィレンがそう言ってくれたら、ルクレツィアの中の悲しい気持ちが一気に晴れていくのだから。
ルクレツィアは無意識に魔法を使えない自身の事を恥ずかしく思っていたのだろう。だから『ノーマン』の言葉に強く反応し、周りの目に怯え、その度に下を向いていた。
(私は、私のままでいいんだ…)
だってこんな自分を認めてくれる人が一人でもいる、それが真実なのだから。
そう思うと、ルクレツィアは何だか呪いが解けたように清々しい気分になった。彼女が下を向くことは、もうないだろう。
(…これはヴィレンにしか使えない魔法だ…)
ルクレツィアは思った。
(私がいくら悲しんでいても、あっという間に笑顔に変えてしまう魔法…)
ディートリヒと話し合えと背中を押してくれた時、皇宮でアネッサ皇后から庇って味方してくれた時、エリーチカに本気で怒り助けに来てくれた時。
今もこうして、自分のために怒ってくれている。
この竜の少年はずっと自分に寄り添って、思い遣ってくれたルクレツィアの大切な友人…それとも…?
「うん…これからもずっと、ヴィレンだけ見てる…!」
その言葉にどんな意味が含まれるのかなんて、まだ子供のルクレツィアには正しく理解出来てはいないけれど、素直にそう思ったから笑顔と共にヴィレンに伝えた。
すると途端にヴィレンの顔が赤くなって…どうやら彼はこの言葉の意味を正しく理解しているようである。
魔術師達の完全なる戦意喪失な様子を感じ取ったグリムが、ヴィレンを注視しながらゆっくりと近付いてきた。それに気付いたヴィレンが威嚇するように、グルグルと喉を鳴らして呻き声を上げる。
「…僕に敵意はない」
グリムは緊張しながらヴィレンに言った。
「現れた奴が突然襲い掛かってきたら、君だって応戦するでしょ?」
ごもっともなグリムの正論に、ヴィレンが思わず口を噤む中、グリムはルクレツィアに手を伸ばして何かを手渡した。
「とりあえず、僕が今持っている解毒剤だ。早くこれを飲んで…顔色が悪いよ」
グリムの言葉にヴィレンはハッとしてルクレツィアを見ると、彼女の顔色は確かに悪い。
命に関わる即死性の毒ではないが、竜であるヴィレンを衰弱させるほどの威力を持つ毒なのだから…たとえ間接的であったとしても毒はルクレツィアの身体を確実にじわじわと蝕んでいっていた。
ヴィレンは慌ててグリムの手から解毒剤を奪い取ると、その小瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、念の為に中身が悪い物ではないか確認してからルクレツィアに渡す。
そんな用心深いヴィレンの様子を、グリムは不機嫌そうに眉を顰めながら眺めていた。




