26、恋に落ちる瞬間
晴れてきた煙幕の中にいたのはヴィレンだった。ヴァイスローズ公爵家で見せた半竜状態のヴィレンが、怒りを露わにした表情でこちらに顔を向けた。
「俺からルーシーを奪おうとする奴は…全員敵だ!」
竜は『宝石』のためならば、暴虐者ともなるし守護者ともなる。
突然姿を消したルクレツィアに、ヴィレンはルクレツィアを攫われたと思い彼女の魔力を辿ってここまで取り返しにやって来ていたのだった。
壁の破壊音に、さすがの魔術師たちも無関心ではいられずに部屋から出てきていた。
まるで古代文明の伝記で伝えられている『魔王』とよく似た姿の半竜人に、部屋から出てきた魔術師たちは好奇心に目を輝かせていた。
「ヴィレン、違うの! これは私が…」
ルクレツィアが弁明するよりも早く、ヴィレンが炎を吐いた。グリムは突然現れた強敵すぎる相手に顔を顰めながらも、自身も魔法で応戦する。
グリムがこの国の言葉ではない言語で何かを呟くと、ヴィレンの周りに色鮮やかな赤い炎の羽根を持つ大きな鳥が現れた。
グリムは召喚士だった。魔獣を調教するのとは訳が違い、『召喚獣』と呼ばれる特別な聖獣を喚び寄せて自身の力として行使する者のことだ。
召喚士はなりたくとも聖獣に認められない限りなれるものではなく、それはこの国最高の魔術師であるディートリヒであっても召喚獣を喚び出す事は不可能なのだ。なので、とても稀有で特別な力と言える。
「不死鳥、この炎を纏い喰い尽くせ」
グリムの命令に応えるかのように、フェニックスは舞い上がりヴィレンが吐いた炎をその身に纏わせてグリムとルクレツィアを炎から守った。
そしてヴィレン目掛けて勢いよく下降する。ヴィレンが攻撃モーションに入った火の鳥へ向けて、今度は黒ずんだ炎を噴いた。
前回お茶会で見た時よりも禍々しい黒い炎だとルクレツィアは少しだけ恐ろしさを感じてしまう。
黒い炎に巻かれたフェニックスは炎の中で塵となっていく…。
「…聖獣が…くそっ、炎を焼き尽くす炎ってなんだよ…!」
驚愕の表情を浮かべるグリムは、戸惑いから愚痴を呟き…ヴィレンを改めて見る。
(こいつはさっき、『ルーシーを奪おうとする奴は』と言っていた…)
彼の誤解が解ければ怒りは収まるのではないかと思ったグリムは、ヴィレンと対話を試みる。
「待て。僕たちの間には何か行き違いが…」
ヴィレンはグリムの声を掻き消すように咆哮した。ヴィレンの目に映るのは、ディートリヒではない他の男に抱かれたルクレツィアの姿。とてもとても、気に入らなかった。
「ルーシーは絶対に誰にも渡さねぇ!!」
正気を失った様子の猛獣の姿に、だめか…と、諦めた気持ちですぐに次の召喚獣を召喚するグリム。
「墓守犬、いけ!」
召喚された三匹の黒い大きな狼がヴィレン目掛けて飛び掛かった。
しかしヴィレンは背中から竜の翼を生やし、狼の群から逃れると真っ直ぐにグリムの方へと向かう。一刻も早くルクレツィアを取り返そうとしたのだ。
グリムを助けようとしたのか、はたまた好奇心でヴィレンを捕獲しようとしたのか…野次馬だった魔術師達も応戦し魔法を唱えてヴィレンを攻撃し始めた。
多勢に無勢。たった一人のヴィレンを襲う、優秀な数多の魔術師達の魔法。
ルクレツィアはヴィレンが降り止まない魔法で打ちのめされていく姿を、信じられない気持ちで言葉を失いながら呆然と見つめていた。
その中で、誰の魔法なのか金色に輝く鎖がヴィレンの身体に巻き付いて、彼は床へと墜落する。
「…誰かがあいつを『調教』しようとしてる」
ボソリと呟くグリムの言葉にルクレツィアはハッとして青褪めた。
「やめて! 彼は私の友達なの!」
悲痛な叫び声を上げてヴィレンを見ると、鎖に抑え付けられながら彼は咆哮を上げていた。
ルクレツィアはグリムの腕の中で力いっぱいに暴れて、「うわ!?」と驚く彼の意表を付いて腕の中から飛び出す。
「そっちはあぶない!」と叫ぶグリムの声が後ろから聞こえたが、ルクレツィアは構わずに魔法が降り注ぐヴィレンの元へと走った。
オルク伯爵令嬢の初級魔法でもあんなに怖がっていた筈なのに…例え帝国でも優秀な魔術師達が放つ魔法だとしても、ヴィレンを助けたいという強い気持ちがルクレツィアを勇敢に動かしていた。
「ヴィレン!」
ルクレツィアがそのままヴィレンの元へと駆けて行くと、ヴィレンの目が開き、その紫の瞳にルクレツィアの姿を映す。その瞬間、半竜人から人型へと戻っていった。
「ルーシー…」
グググ、と鎖に抵抗するようにヴィレンが起き上がろうとしていた。
突然現れた小さな少女に、魔術師の大半の者が戸惑って魔法を使うのを止めたのだが…しかし、一部の過激な者達だけが構わずにルクレツィアとヴィレンへ魔法を放ったのだ。
「っ…守護の宿木! 彼らを守るんだ!」
グリムは無作法な魔術師達に驚きながらも召喚獣を喚び出して、ルクレツィア達を守ってやった。
ルクレツィアとヴィレンの周りの床から何本もの小枝が勢いよく生えていった。それは大きな集合体となり、一本の木よりも太い堅固な巨木となる。
下では木の根がザワザワと動き続け、上の方は女性の上半身へと変化していった。その女性の頭から幾つも生えた枝には青々とした葉が生い茂っていた。まるで髪の毛のようにも見える。
ドライアドの木はルクレツィアとヴィレンを飲み込むように自分の腹の中へ…つまりは木の中へと閉じ込めてしまった。魔術師たちの魔法はドライアドが二人を腹の中に飲み込んだことで彼女達に当たることはない。
ドライアドの中では、身構えていたルクレツィアが恐るおそる周りを見渡すと、一面が茶色と緑に埋め尽くされている空洞になっていた。
至る所にこびり付いている光る苔のようなもののおかげで、中はとても明るい。幻想的で綺麗な光景だが、今はそれよりもヴィレンだ。
ルクレツィアは涙目になりながら、すぐ隣で倒れているヴィレンの身体に巻き付く金の鎖を取り外そうと手を伸ばす…。
「この鎖をすぐに外してあげるからね」
ヴィレンの身体を見れば、すごく傷だらけで…ルクレツィアは悲しくて泣きそうになった。
「…だめだ…」
ヴィレンが振り絞るように言う。
「今、俺に触るな…毒魔法をかけられてるから…」
だからこんなにも衰弱しているのかと理解したルクレツィアは、忠告されたにも構わずにヴィレンに触れる。彼に触れた瞬間、ルクレツィアの手は黒ずんでいった。
「やめろ! ルーシーが傷付く事だけは、絶対に…!」
ヴィレンが焦りながらルクレツィアに自分から離れるよう言うのだが、彼女はふるふると頭を左右に振ってそれを拒否した。
ルクレツィアは思ったのだ。
「私も、ヴィレンが傷付くことが嫌なんだもん…」
だから例え毒に侵されようともヴィレンに触れる事を厭わない。
涙を溢してルクレツィアがニコリと笑うと同時に解けた鎖…身体が自由になったヴィレンは何も考えずに、まず目の前のルクレツィアを強く抱きしめた。
(自分が傷付つこうとも俺を助けようとしてくれる女の子なんて、初めてだ…)
ヴィレンは、自分が強いと自負している。魔王国でも、まだ子供のヴィレンに勝てる竜はそんなに多くいない。
だからヴィレンは他人の誰かに庇われた事もないし、助けようと手を差し伸べられた事もない。そもそも、最強種の竜は皆が自身の力を誇示することに誇りを持っている。親は子を全力で守るが、基本的には弱き者は淘汰される種族なのだ。
そしてこの腕の中にいる少女は、確かに自分が『守るべき者』と認識している女の子だ。明らかに自分よりもその子の方が弱いのに…。
「ルーシー、もう俺の側からいなくならないで」
そう言いながら、ヴィレンの胸の奥がぎゅうっと締め付けられた。
ヴィレンにとってルクレツィアはとても大事で大切な女の子だ。それは変わらない。でも…。
(なんだ…このどうしようもなく込み上がる苦しい気持ち…)
これまでとは違う知らない感情に彼は気付く。
ヴィレンが本当の意味で恋に落ちたのは、きっとこの瞬間なのだろう。




