23、少女と魔法の扉
ルクレツィアは帝都の屋敷の使用人達とまるで態度の違う彼らに驚き、そしてどこか緊張した面持ちだった。
そんな彼女の様子に気付いたディートリヒは「大丈夫だ」と、ルクレツィアに優しく声を掛ける。
「この城には元々、魔法を使えなかったカレンが暮らしていたんだぞ。ルクレツィアが魔法を使えないからと言って、この城でお前を蔑む者は一人もいない」
ルクレツィアは次に、こちらに優しい目を向けてくるレイモンドを見た。彼はルクレツィアと目が合うと、肯定するように頷いて歩き始める。
レイモンドが列を成す使用人達の前で足を止めて、姿勢を正すとルクレツィア達に向けて改めて丁寧なお辞儀をしたのだった。
「我々使用人一同は、ルクレツィア様のお帰りをずっと心待ちにしておりました」
レイモンドの言葉に、ルクレツィアの胸に込み上がるひとつの感情があった。
「ルクレツィア・クラウベルク様、我が小さな主人。お帰りなさいませ」
彼の言葉に続き、使用人達も声を揃えて「お帰りなさいませ!」と言った。
ルクレツィアは手と口が震えて、何も言えなかった。代わりにディートリヒの首元に、熱を持った目元を押し付けるように抱き付く。
「…どうやら、ルクレツィアは感動しているようだ」
彼女の震える小さな背中を優しく摩りながら、ディートリヒが困ったように笑って言った。
これまで蔑まれ、無視されてきたひとりぼっちの人生。ルクレツィアは自分がここまで歓迎されるとは思っておらず…すごくすごく、嬉しかったのだ。
「ルクレツィア様」
すると使用人の列から一人の女性が前に出てきて、レイモンドの隣に並び立ちルクレツィアの名を呼んだ。
「お初にお目にかかります。私、ルクレツィア様の教育を担当させて頂きます、レオノーラ・スペンサーと申します」
レオノーラと名乗った女性はディートリヒの少し年上くらいの綺麗な女性で、何となくだがディートリヒと似た顔立ちだ。
「アルゲンテウスの軍団長をしているスペンサー侯爵の夫人であり、俺の姉だ」
ディートリヒが捕捉してレオノーラについて説明をしてくれた。ディートリヒの姉…ということはルクレツィアの伯母にあたる人物なわけで…。
「…ディートリヒ様。私の記憶が間違いでなければ、ルクレツィア様のご年齢は10歳…立派な淑女です。そのように、抱きかかえて馬車を降りなければならないような幼子ではありませんよ」
レオノーラが鋭い視線をディートリヒに向けながら、淡々とした口調で物申している。この城で、あの北の氷王にはっきりと苦言を呈することが出来るのは、きっと彼女だけだろう。
ディートリヒは不機嫌な表情を浮かべて「これまでしてやれなかった事を、俺はルクレツィアにしてやりたいんだ」と、レオノーラに反論していた。
「娘を溺愛するお気持ちは理解致しますが、ルクレツィア様のお立場というものもお考えください。父親がそのように扱っては周りへの示しがつきません」
しかし譲らないレオノーラは、表情を険しくさせながらディートリヒを論破していた。まさに正論を説かれて、ディートリヒも思わず口を噤む。
その様子を見ていたルクレツィアは、レオノーラに対して厳格で冷淡そうな印象を抱いた。要は、少し怖い人だと思い苦手意識を持ったのだ。
ディートリヒの後ろに隠れるようにしてレオノーラを見ていたヴィレンも強張る表情で「こえー」と、小さく呟いていた。
ルクレツィアはディートリヒに言って下ろして貰うと、レオノーラに向けて皇太子妃教育で培った綺麗なカーテシーをしながら挨拶をした。
「ルクレツィア・クラウベルクです。スペンサー夫人、どうぞご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いします」
優雅なお辞儀をするルクレツィアを見下ろしながら、レオノーラが「かしこまりました」と答える。
「姿勢や所作は及第点ですわね。今後とも、クラウベルクの公女として品位と気高さを決してお忘れになりませんよう…お気を付けください」
「はい…」
元クラウベルク公女であるレオノーラ・スペンサーという人物は、どうやら一筋縄ではいかない女性のようである。
ルクレツィアは、これから自分はレオノーラから教えを乞うのかと思うと、少しだけ億劫さを感じてしまった。
「ルクレツィア。もし、旅疲れなどなければ俺が城の中を案内しよう」
レオノーラに対してルクレツィアが怯えている事をいち早く察したディートリヒが助け舟を出すように話題を変えた。
ルクレツィアはパッと顔を明るくさせてから、ディートリヒを見上げて頷く。
「…では、私はルクレツィア様とヴィレン様のお荷物の整理がございますので、失礼いたします」
レオノーラはツンと澄ました顔で淡々とそう言うと、こちらに丁寧なお辞儀をして城の中へと入っていってしまったのだった。
「…感じ悪いヤツだな…ルーシー、もしあいつに虐められたらすぐ俺に言えよ。やっつけてやる!」
トトト、と軽い足取りでルクレツィアに駆け寄ってきたヴィレンが頼もしい笑顔を浮かべている。
「姉上は…スペンサー夫人は昔から皆に対してもああいった態度の女性なんだ」
そんな彼らに対しレオノーラをフォローしているのか、ディートリヒが気まずそうな顔でルクレツィアの頭を撫でながら言った。
「あ…大丈夫です。皇太子妃教育を受け持ってくださった先生も厳しい方でしたから…慣れてます」
ルクレツィアも気を遣いながらそう答えて、ふと昔の事を思い出す。まだ自分がひとりぼっちだった時の、まるでモノクロのような寂しい思い出。
教育係の教師にたくさん叱られて、たくさん鍛えられてきた。そして…たくさんノーマンだと蔑んだ目で見られてきた。
(同じ『厳しい先生』だけれど…教育係の先生とスペンサー夫人はどこか違う気がする…)
どこが違うのか、今はまだはっきりとルクレツィアにも分からないけれど…。
「まぁ…気を取り直して城の中を見て回ろうか」
「はい! 楽しみです」
「俺も何があるか楽しみだぜ!」
ルクレツィアは気持ちを切り替えて、ディートリヒとヴィレンと共に城の中へと入っていった。
そんな彼らの後方では、レイモンドが何か言いたげな顔でレオノーラが姿を消して行った方向を見つめていたのだった。
*
イスラーク城の中はとても広く、もう一時間は見て回ったというのにまだほんの一部しか案内されていないと知り、ルクレツィアは驚いていた。
「この城で探検したら楽しそうだな!」
「そうだね。でも迷子にならないようにだけ、気を付けないとね」
ヴィレンとルクレツィアが横並びに歩きながら楽しそうにお喋りしていると、前を歩いていたディートリヒが足を止めた。
「お父様、ここは何のお部屋ですか?」
ルクレツィアは息を呑みながら、その部屋の扉を見上げていた。
これまで見てきたどの部屋の扉より一回りも二回りも大きい、氷で出来た立派な大扉だ。かなり分厚い氷で出来ているのか、向こう側が透けて見えることはなかった。
興味津々な気持ちで氷の扉に手を触れてみたルクレツィア。その扉は冷気を感じるが触ってみても冷たくはなかった。不思議な感覚だ。
彼女の隣でヴィレンも同じように氷の扉に触れてみる。すると、「冷た!?」と驚いた声とともに即座に手を離していた。
ディートリヒがそんな二人の様子をみてクスクス笑い、そして説明する。
「その扉の先にあるのは部屋ではない。更に、クラウベルクの血筋でなければ開く事が出来ない魔法の扉なんだ」




