19、この世で一番強欲な生き物
竜は高潔でありながらも強欲だ。古来から金銀財宝に目がない一族で、自分の『宝石』を守るためなら何だってする暴虐者となるし守護者ともなる。
(なるほど。このお嬢ちゃんが息子の『宝石』ってわけね)
その独占欲が、恋情からなのか友情からなのかは…まだ本人も分かっていないようだけれど。
ヴァレリアは目にも止まらない速さでヴィレンを思いきり抱き締めると、彼の小さな頭に無理やり頬擦りしながら言った。
「んもう、まだ子供のくせに生意気なんだから! お父さんに似て、馬鹿みたいに素直で単純で…ほんっとうに果てしなく愛らしい子だわぁ!」
「は、離せぇ!」
ヴァレリアの豊満な胸にギュムギュムと顔を埋めながらもヴィレンは大暴れしていた。それを押さえ込む彼女の二つの細腕はびくともしないのだ。
竜の熱烈で激しい抱擁に、ルクレツィアとディートリヒは少し顔を青くしながら言葉を失っていた…。
「——まぁ、そういうことなら私も安心して帰れるわ」
青褪めた顔で力尽きているヴィレンをやっと解放したヴァレリアがそう言いながら立ち上がる。そして居住まいを正すとディートリヒを見た。
「この子をよろしくお願いね、人間の魔術師さん。母としてお願いするわ」
「…こちらも、俺の娘の特殊な体質もありヴィレンには助けられている。これからも娘の側にいて貰えるならば有り難い」
ヴァレリアを警戒する対象ではないと判断したディートリヒは、小さく息を吐いてルクレツィアを床に下ろしながら答えた。
ルクレツィアの足が床につくと、彼女は一目散にヴィレンの元へ走る。
「ヴィレン、大丈夫?」
ヴァレリアの足元で放心状態に座り込んでいるヴィレンの肩を揺らしながら声を掛ける。するとヴィレンはハッとした顔をしてルクレツィアを見ると「最悪だ…」と僅かに涙目になりながら呟いていた。
ヴィレンがこの世で一番恐ろしいものは母親…このヴァレリアだ。何故ならいつも、問答無用でこのようにハグやらキスをしてくるから。こちらがどんなに嫌がっても、力尽くで実行してくるのだ。
まだ力も魔法もヴァレリアに敵わないヴィレンは懸命に抗うのだが、いつも無駄に終わる。それは彼にとって、屈辱以外の何ものでもない。
「俺…もう、小さな子どもじゃないのに…」
母親にベタベタされてヴィレンは嫌で仕方なかった。その上、そんな姿をルクレツィアに見られてしまい…思春期気味の彼は恥ずかしくて堪らない。
「何言ってんの。子供はね、親から見ればいつまで経っても小さな子どもと変わらないの!」
自信満々な顔で言うヴァレリアの言葉に、ヴィレンは「うぅぅ…」と小さく呻き声を上げながらますます俯いた。
「……その考えは俺も同意するが…ただ、ヴィレンは子供である前に男なのだから、母親といえど異性との過度な触れ合いに抵抗があるのだろう。少し気持ちを汲んでやってはどうか…?」
育児書を読み日々勉強しているディートリヒは、ヴィレンがあまりにも可哀想になり見ていられず、そして彼の心の傷になるのでは…と、心配してヴァレリアに意見してみた。
「……………」
ヴァレリアはディートリヒの言葉に目をぱちくりとさせたまま暫し固まり、そして「確かに。私も昔は父親から頭を撫でられた時、その父の手を折ってしまうくらいには嫌がっていたわね…」と、自身の経験に基づいて納得していた。
「分かったわ、ヴィレン。あんたが嫌がることはもうしない…だから、最後にもう一度だけハグさせて? ついでに頬っぺたにキスもさせて欲しいわ」
にこやかな笑顔で両手を広げるヴァレリアにヴィレンは睨み付けながら言った。
「…調子に乗るな、クソババァ」
ヴィレンはヴァレリアの腕の中で、再び『強制抱擁』という名の地獄を見たのだった。
止めとけばいいのに、反抗的に悪態をついて再び『母の愛』を味わったヴィレン。
その後、満足したヴァレリアに解放された、精神が死にかけのヴィレンにルクレツィアが心配そうな目を向けながら励ましの言葉を掛けていると…。
「お嬢ちゃん、貴女のお名前は?」
ヴァレリアに話しかけられたルクレツィア。
「…ルクレツィア・クラウベルクです…」
少し緊張しながら答えると、ヴァレリアはニコリと笑ってルクレツィアの頭を優しく撫でてきた。
「本当に可愛い子ね。ヴィレンったら、隅に置けないわ…」
そう言いながら明るい笑顔のヴァレリアだったが、彼女の深緑色の瞳がまるで獲物を狙うかのように鋭く細められて侮れない笑顔を浮かべる。
「ルクレツィア。ひとつ、忠告があるわ」
ルクレツィアの頭に優しく置かれていた手が、紫に輝く黒髪を撫でるように下へと流れていき、そして、ヴァレリアの細くて長い人差し指がルクレツィアの顎をクイと持ち上げた。
「貴女はこれから、覚悟した方がいいわよ」
顔を覗き込まれるようにヴァレリアに見下ろされたルクレツィアは「え…」と、戸惑いの声をあげる。
「竜はね、この世で一番強欲な生き物なの。欲しいものは必ず、徹底的に全てを手に入れる」
彼女のこの言葉に、ルクレツィアよりもディートリヒが表情を歪めていた。
「このヴィレンも可愛い形して、正真正銘の竜。ルクレツィア、気をしっかり持たないとね。もし、絆されてしまったら…貴女の残り全ての人生をヴィレンに奪われることになるわよ…?」
そう言ったヴァレリアの縦長な瞳孔がグググ、と大きく開いたのを見てルクレツィアは少し怯えてしまった。
「私の言葉を肝に命じておいてね、ヴィレンの『宝石』さん」
「奪うとか、人聞き悪い言い方をするな」
最後に締め括るヴァレリアだったが、そのすぐ隣にいたヴィレンが、ルクレツィアを助け出すように彼女の肩を抱いてヴァレリアから引き離す。その顔は不満げだ。
「俺はルーシーの友達だ。友達が嫌がるようなことはしない!」
「あらまぁ…ふふふ。ヴィレンも苦労するわね…」
ヴァレリアはクスクスと笑い居住まいを正しながら思う。
(ヴィレンも欲しいものがあるから、家にも帰らず今ルクレツィアの隣で機を窺っているのでしょう? 無害そうなふりしちゃって)
しかし、ここは母親として息子の為にこれ以上は言及しないでおくことにした。
「あの…」
そんな中、ルクレツィアがヴァレリアに話しかける。
「竜って、そんなに強欲なんですか?」
ルクレツィアの知るヴィレンは、デザートには拘りがあるらしく少し口煩いけれど、それ以外の宝石や服、食それにお金に対しての執着は人並みのように思う。
(ヴィレンに『強欲』って言葉は似合わない気がする…)
今までのヴィレンの行動を思い出しながらルクレツィアはヴァレリアの返事を待っていた。
「そうよ、自分が欲しいものに対してはね。ただその竜によって欲するものが違うだけで…」
ヴァレリアはそこで言葉を切って、少し考える素振りをみせる。
「ほら、大昔に『魔王』っていたでしょ? 彼は私たちと同じ竜なのだけれど…彼の欲するものが『世界』だったからこの世を征服しようとして、結局は人間に討たれたのよ」
自分の欲のために世界すら自分のものにしようとするなんて、世界一強欲な生き物よね。と、ニコッと笑うヴァレリア。
「せ、世界…」
ルクレツィアが圧倒されていると、ヴァレリアは話を続けた。
「そしてヴィレンはその魔王の血が流れる直系の血族…だから、ルクレツィアは今からでもしっかり心構えを…」
彼女がそこまで言ってから、ディートリヒが「待て」と話を途中で折る。
「魔王の直系だと?」
「えぇ。私の夫は最後の魔王の子孫よ。魔王国の国王をしているわ」
ヴァレリアの言葉に、ルクレツィアとディートリヒが勢いよくヴィレンを見た。
「…あら。ヴィレンったら、自分のことを何も話していなかったの?」
(つまり、ヴィレンは魔王国の王子ということ…?)
なんと、ここにきてついにヴィレンの正体が明かされた。




