15、父のターン
「——聞いているんですか、公爵! これは賠償問題だけでは済みませんよ。裁判を起こし、その竜を殺処分に…」
「…子ども達はヴィレンが懲らしめた。となれば、俺はその保護者達を懲らしめればいいわけだな…?」
振り返るディートリヒに殺気の籠った目で睨まれたオルク伯爵は、ヒュッと心臓が縮む。
途端に彼の足元からパキパキと音を鳴らして氷が駆け上がってきた。あっという間に氷はオルク伯爵の首元まで登り、そして口元を塞ぐ。身動きどころか、呼吸もままならない。
「子供の責任は、親の責任だものな…」
初夏の季節、あんなに青々としていた空が鈍色へと変わり暗雲が広がっていく。そして、ポツポツと何かが公爵邸の庭園に降り注いだ。
「……あ、雨…?」
ヴァイスローズ公爵が空を見上げて呟く。
どんよりと暗くなった空には分厚い積乱雲が鎮座している。目を細めて見ると、雲の奥では雷が激しく駆け回っていた。
「痛っ…」
パーティー参列者の他の貴族が小さく叫ぶ。雨が降っているのかと思ったが、これは…。
「…雹だ…」
ヴァイスローズ公爵は青い顔で叫んだ。
「雹が降っている! 皆、防御膜を張れ!」
貴族たちが慌てながらも協力し合い空に向けてドーム型の防御膜を張ろうとする頃には、小石ほどの大きさだった雹が大人の拳ほどの大きさになりこの薔薇園に降り注いでいた。
「クラウベルク公爵!」
ヴァイスローズ公爵は元凶の男に叫ぶ。
「この雹を止めてくれ!」
その頃には雹も形を変えて人の腕ほどの氷柱になっていた。数人がかりで張られた防御膜に氷柱が突き刺さりビシビシとヒビが入っていく…。
もう、これは自然災害の域を超えている。ここは戦場なのかと思うほど…まるで、降り注ぐ無数の氷の矢だ。
「ディートリヒ!!」
余裕のないヴァイスローズ公爵は懇願する気持ちで叫び続けていた。
ディートリヒの青紫色の目が彼を見る。ついに防御膜を突き破った氷柱がヴァイスローズ公爵の足元に突き刺さった。
「っ…!!」
(もう、めちゃくちゃだ…何もかも!)
ヴァイスローズ公爵は愕然とした面持ちで、今自分の目の前に広がる絶望的な光景を眺めていた。
空を埋め尽くす黒い積乱雲、割れていく防御膜、泣き叫ぶ子供達、焼き尽くされた薔薇園、雹でズタズタになっていく庭園…。
公爵が恐れから思わず一歩後退した時、「お父様」とルクレツィアがディートリヒを呼ぶ。
「私のために怒ってくれてありがとうございます…でも、このままじゃ皆さんが怪我をしてしまいます」
「しかし! ルクレツィア…お前がこんな怪我をして、俺は…!」
怒りの余り血走った目で娘を見つめ、苦しそうに顔を歪めて反論するディートリヒに、ルクレツィアはもう一度「お父様」と呼ぶ。
ディートリヒは悩んだ末に仕方なく、魔法を解いた。すると積乱雲は霧散していき、再び輝く太陽が顔を見せる。雹が、止んだのだ。
ヴァイスローズ公爵はホッと安堵した。他の貴族や子供達は怯えて、この場に皇族もいる理由からディートリヒがこれでも手を抜いているのだとは知らずに、偉大なる魔術師の力の片鱗を実体験し恐怖していた。
「…ヴァイスローズ公爵」
ディートリヒに名を呼ばれた公爵はドキリと心臓を凍り付かせて彼を見る。そこには、ルクレツィアを大事そうに抱きかかえるディートリヒの姿があった。
「…俺の娘を泣かせたら、ただじゃおかない…」
そしてギロリと、主犯格であろうエリーチカを睨み付けるディートリヒ。エリーチカはあまりの恐ろしさに泣き出して、父のヴァイスローズ公爵が娘を守ろうとエリーチカの元へ走った。
「クラウベルク公爵! わ、私の娘に…何のせ責任があるとい言うんだ!」
先ほどのこともあり口が震えて上手く話せない。怯える表情を見せるヴァイスローズ公爵だが、それでも勇敢にディートリヒへ異議を申し立てる。彼もまた、帝国の優秀な魔術師の一人なのだ。ディートリヒには遠く及ばないが…。
「その白い女がルーシーに水を浴びせたんだよ」
ヴィレンがエリーチカを指差しながら言う。
「そしたら周りの奴らも笑いながらルーシーに水をかけて…んで、その女がでけぇ火の玉でルーシーに危害を加えようとしたんだ」
そして次にオルク伯爵令嬢を指差すヴィレン。
彼はルクレツィアの姿を探すために竜になって上空から薔薇園を見下ろしていた。
すぐに彼女の姿を見つけたのだが…その一連を見てしまったヴィレンは怒りのあまり、クレーターが出来るほどに勢いよく着地し、その際に地面を割ってしまったのだった。
ヴァイスローズ公爵は青褪めた顔で娘のエリーチカに目を向ける。
正当防衛を唱えるにしては竜の行いはあまりにも過剰防衛だとは思うが、それにしても自分の娘は無力なノーマンの少女に寄って集って魔法を使用したと言うのか…と、その悪質な行いに信じられない気持ちだった。
(よりにもよって、ディートリヒの娘に…!)
疑心暗鬼の目を向けてくる父にエリーチカは歯痒い気持ちだった。
本当はただ、水をかけて馬鹿にするだけのつもりだった。そうすれば、水やりの時に誤ってルクレツィアに掛かってしまったという言い訳も立つから。
(それをオルク伯爵令嬢が調子に乗るせいで…こんな大事に…!)
エリーチカはギリリと奥歯を噛み締めて、何とか自分だけは罪から逃れようと頭をフル回転させた。
「お父様っ、私はただ…皆さんと薔薇の水やりをしようとして事故でルクレツィア公女様にかけてしまっただけなのです…!」
エリーチカはお得意の気弱そうな表情を作って父に訴えた。
「そしたらオルク伯爵令嬢が急に…乾かしてあげるとルクレツィア公女様に火の魔法を……あぁ、恐ろしい!」
あくまでも自分は加害者ではないのだと言い張ったエリーチカ。オルク伯爵令嬢は「えっ」と声をもらした。
「ま、待ってください! 私が火魔法を使っていた時、エリーチカ様も笑ってましたよね!?」
全ての罪を被せられそうな事態にオルク伯爵令嬢が顔面蒼白にエリーチカに詰め寄ると、彼女は肩を震わせながら父親の胸に縋り付いた。
「私っ、彼女とはずっとお友達だと思っていたけれど…こんな恐ろしい人だったなんて…!」
エリーチカの白々しい演技にオルク伯爵令嬢の頭に血が昇る。
「エリーチカ様! それはあんまりです! 私は貴女のために——」
「——もういい!」
叫んだのはヴァイスローズ公爵だった。
「誰がこの事件を引き起こした発端なのかは明白だ。この罪は徹底的に問わせて貰うから、覚悟しろよ。オルク伯爵!」
未だ氷付けのオルク伯爵を睨み付けて、ヴァイスローズ公爵はエリーチカを守るように抱き締めた。
ルクレツィアは全ての責任をこれまでずっと仲良くしてきた友人の一人になすり付けたエリーチカの性根に眉を顰めていた。簡単に友達を裏切り、切り捨てるその浅ましさ…。
(オルク伯爵令嬢は自業自得なところもあるけれど…それでも、信じてた人に裏切られて可哀想…)
放心状態で涙を流すオルク伯爵令嬢を見て、何故かルクレツィアの方が胸が苦しくなった。
「…ディートリヒ。まさかあの白い女の言葉を信じてねーよな?」
「………あぁ」
ヴィレンが腹立たしい表情でエリーチカを睨み付けながら言う。
(思うままに力を振るうのは簡単だが…しかしそうすればこちらの立場が悪くなるだけ)
ディートリヒはルクレツィアを見た。
(俺だけが悪者になるのはいいが、ルクレツィアを巻き込みたくない…)
ここは怒りを飲み込むことにした。しかし、いつかはこの借りを返してやる。
「ヴァイスローズ公爵、良かったな。今回、ちょうどいい生贄がいて」
ディートリヒは公爵に冷え渡る視線を向けながら、次は逃さない。と、目で語る。ヴァイスローズ公爵は思わず緊張で唾を飲み、そしてディートリヒから目を逸らした。




