1、偉大なる魔術師と見捨てられた少女
リラです。連載スタートします。
よろしくお願いします。
ガチャン。と大きな音が立ち、周りの者は何事かと注目した。
「…もう一度、言ってみなさいよ…!」
荒い息をあげて顔を真っ赤にした幼い少女が席から立ち上がり、一人の少女を睨み付けている。
周りの者は、またか…とうんざりした気持ちになった。
ルクレツィア・クラウベルク公爵令嬢。紫に煌めく綺麗な黒髪と神秘的に輝く紫色の瞳。幼いながらも申し分のない美貌を持つ彼女なのだが、まだ10歳とは思えないほどに性格が苛烈だった。
美貌よりもその苛烈さが悪目立ちしており、彼女を煙たがる者は多くいた。
「私が、お父様に捨てられたって…そう言いたいの!?」
ルクレツィアは目にいっぱいの涙を溜めて、憎しみのこもった表情で隣に座る令嬢に叫んだ。
今日は皇子が開催するガーデン・ティーパーティーだった。帝都に住む高貴な少年少女達を集めて楽しい時間となる筈だったのに…監督責任者を担う皇后が、やれやれといった様子で小さく息を吐いた。
「ち、違いますっ…ただ、ルクレツィア様のお父様は何故いらっしゃらないのかと疑問に思っただけなのです…」
ルクレツィアの勢いに圧倒されて泣きそうになっている伯爵令嬢が、か細く震える声で答えていた。
本日のパーティーでは、ルクレツィアと同年代の子供たちが集められている。しかし、まだ幼い子供たちなので、保護者も同伴しているのだ。…ルクレツィア以外は。
ルクレツィアの父、ディートリヒ・ヴィル・クラウベルク公爵はこの国で最も優れた魔術師であり、魔塔を管理する『北の氷王』と呼ばれる人物だった。
このマルドゥセル魔導帝国は魔術師の国だ。皇族はもちろん、高位貴族は当然のように皆が魔術師であり魔法の使えない者は低位貴族か平民に稀にいる程度。
魔法が使えない者のことをこの国では『魔力なし』と呼び、差別され見下される風潮があった。
そんな国で偉大なる魔術師という称号の『ヴィル』を継承したディートリヒは国民達の憧れであり、そして英雄だった。
震える伯爵令嬢を責め立てるルクレツィアに、周りの目はどんどん白くなっていく。ヒソヒソとルクレツィアの行いを非難する声も上がってきた。
ルクレツィアは今自分が非難の的になっていることに気付き、怖気付いて口を閉じる。
(なによ、なによっ…皆、私がノーマンだからって馬鹿にしているんだわ!)
素晴らしい父を持つルクレツィアは、魔法の使えないノーマンだった。
彼女の不幸は何かと問われたら、きっとノーマンだったことよりも、父が偉大すぎることなのだろう…。
帝都では有名な話だった。
何故、ルクレツィアだけが帝都に住み、ディートリヒは北の領地に住んでいるのか。
何故、幼い娘を何年も帝都に一人残してディートリヒは帝都に足を運ばないのか。
その答えは、ルクレツィア・クラウベルクがノーマンであるが為に父親に見捨てられているから。
「またノーマンが騒いでるよ…」
「いくら可愛くったって、ノーマンであの性格は…俺なら無理だなぁ」
「偉大な魔術師の娘だからってノーマンと婚約させられている皇子殿下はお可哀想…」
少年少女が嘲笑し、その親達は顔を顰めている。
ルクレツィアの目からはついに涙がこぼれ落ち、頭を抱えて蹲るが誰も助けてはくれない。
(私だって、お父様の娘だ! クラウベルクだ!)
周りの嘲りに耐えるように固く目を瞑り、心の中で必死に言い聞かせた。
「さっさと帰れよ、ノーマン」
どこかから、そんな声がはっきりと聞こえて…ルクレツィアは目を開く。
(……でも、私はノーマンなんだ…)
消えたくなるくらいに、心が痛い。好きで『魔力なし』に生まれてきたわけじゃないのに…と、悔しさが込み上がる。
ルクレツィアは荒々しく手で涙を拭うと、屋敷に帰ろうと勢いよく立ち上がった。
「…あ、」
すると、すぐ目の前に綺麗な少年が立っていた。ちょうどルクレツィアに手を伸ばし声を掛けようとしていたのか、行き先の失った手を気まずそうに引っ込めている。
その少年はルクレツィアの婚約者でもある、この国の皇子ユーリ・ティア・マルドゥセルだった。月のように煌めく銀髪が美しい、天使のような少年だ。
「…所用を思い出しましたので、私はここで失礼します」
ルクレツィアは俯いたまま、パーティーホストのユーリにカーテシーをすると、足早に出口へと向かう。
「ルクレツィア嬢!」
すると後ろからユーリが腕を掴んできた。
「……そこまで送るよ」
ユーリは気遣うような笑顔を浮かべてから、ルクレツィアをエスコートするための手を差し伸べてくる。ルクレツィアは少し考えてから「…お願いします」と、ユーリの手を掴んだのだった。
「ルクレツィア嬢、これからはもう少し…落ち着いて話す努力をしてみよう?」
馬車までの道のりで、ユーリがルクレツィアに言った。
「…私だけが悪いのですか?」
ルクレツィアは再び目にジワリと涙を浮かべながら、震える声でユーリに尋ねる。
「あの令嬢は、私を貶めようとわざわざあのような事を言ってきたのですよ…?」
ルクレツィアははっきりと覚えている。あの伯爵令嬢は始め、悪意ある笑みを浮かべて自分に父親のことを指摘してきたのだ。
「殿下も私がノーマンだからと…だから私が我慢するべきだと仰っているのですか?」
「…そうじゃないよ、ルクレツィア嬢」
興奮するルクレツィアにユーリは疲れたように息を吐く。
「ただ僕は…もう少し君が周りの者たちと馴染んで欲しいと思っているだけなんだ」
ユーリは心優しい少年だ。この国の皇子としての教養もあり美しさも兼ね備えている。きっと将来、国民達を正しく導いてくれる皇帝となるのだろう。けれど…。
(ユーリ殿下は、原因はいつも私にあると考えている)
ルクレツィアにとって、聖君だろうがなんだろうがそんなことはどうでもいいことなのだ。彼にノーマンだと嘲られた事はないが、庇ってもらったこともない。
ユーリが手を差し伸べてくれるのは、いつだってルクレツィアが傷付いた後だ。自分が笑われている間、ユーリはただの傍観者となる。
優しいけれど、優しくない。それがルクレツィアにとってのユーリだった。
「…この辺りで結構です」
「……うん、そっか」
ルクレツィアが手を離すと、ユーリは少し安堵した様子だった。
「屋敷まで送ってあげられなくてごめんね。僕がパーティーホストだから、抜けることは出来なくて…」
「いえ。ここまでエスコートして頂きありがとうございました」
ルクレツィアは丁寧にお辞儀をしてユーリと別れる。そして、暫くして到着した馬車に乗り込み、自分の屋敷に帰っていった。
(…今頃、皆はパーティーで楽しく過ごしているのかな)
ルクレツィアは、自分の泣きべそな目に苛立ちながら涙を拭ったのだった。
屋敷に到着したルクレツィアの姿を見た門番は、挨拶することなく静かに扉を開いた。
ルクレツィアはそのまま敷地内へと入り、そして屋敷の扉を開く。玄関ホールでは使用人達が動き回るいつもの光景だった。
皆、ルクレツィアにチラリと視線を送るが話しかける者はいない。使用人にさえ馬鹿にされ見下されているのだ。それがルクレツィアの当たり前だった。
最低限の衣食住は提供してくれるから、ルクレツィアも何も言わずに使用人達の無礼を傍観している。
ルクレツィアは真っ直ぐ二階にある自室へと向かい、到着すると勢いよく扉をしめて、大きく深呼吸をした。
自室の中だけが、ルクレツィアが唯一ちゃんと呼吸出来る場所だった。本当は部屋に引きこもっていたいけれど…ただでさえノーマンなのに、そんな事をしてクラウベルクの名に泥を塗ったら本当に捨てられるかもしれない。
ルクレツィアはトボトボと歩き大きなベッドの脇に立つと、ぽすっとダイブするように体をベッドへ預けた。その時——。
——ガサ、と窓の外で木の葉が揺れる音がした。
「……?」
ルクレツィアは疲れた顔をベッドから上げて、音の正体が気になりベランダへと出る。下を覗き込んでみたが、誰もいなかった。
「…気のせい…?」
と、ルクレツィアが呟くと…ポタ、と上から何やら赤い液体が滴り、ちょうどルクレツィアの鼻先にその液体が落ちてきたのだ。
「!?」
驚いて上を見上げるルクレツィア。
そこには、手負いした様子の小さな黒い竜が木の枝に引っかかっていたのだった。
「え!?」
初めて目撃した竜にルクレツィアは思わず小さな叫び声を上げる。
この世界には、人間以外の種族もたくさん住んでいてエルフはたまに見かけるけれど、竜はとても珍しい。
ルクレツィアの住むこの国は人間が統べる魔術師の国だが、世界には獣人の国や魚人達の地底湖の国もあるらしい。
その中でも竜は魔族にカテゴライズされる種族で、人間では辿り着けないような瘴気に包まれた未開の地に竜の国があるという。なんでも遥か昔、何千年も昔の時代で魔王が統べていた国だとか。
そんな中、竜と貴重な出会いを果たしたルクレツィアは驚きのあまり固まっていたが、すぐに竜が怪我していることを思い出して赤子ほどの大きさの竜を助けてやろうと手を伸ばした。
ベランダの塀に足をかけて、恐ろしいので下を見ないように黒竜に手を伸ばす。
すると竜の目がパチリと開いて、真っ黒な瞳がルクレツィアの姿を映した。
グル…、と小さな唸り声をあげる竜。
「手当てしてあげるだけだから…降りておいでよ」
ルクレツィアが両手を伸ばして声を掛けるが、竜は上体を起こすと彼女の手が届かないところに身を寄せた。
腕が痺れてきたのを感じて、ルクレツィアは一度部屋に戻ろうと視線を下に向けた時、ぐらりとバランスが崩れてルクレツィアの体はベランダの向こう側へと傾いた。
ここは二階だ。まだ小さなルクレツィアが下に落ちたら、怪我だけでは済まないだろう。
ルクレツィアの頭からサァッと血の気が引き、何処かへ掴まろうと腕をバタつかせるが届かず…。
いよいよ体の半分がベランダの塀から向こう側へ出た時に、何かがぱしりとルクレツィアの腕を掴んでこれ以上傾くのを阻止してくれた。
「あぶないぞ!」
ルクレツィアがガクガクと震えながら腕の先に目をやると、そこには見知らぬ少年がいた。焦った表情で木の枝の上から身を乗り出してルクレツィアの腕を掴んでいる。
「た、たすけ…」
ルクレツィアの怯える声に少年は仕方なさそうな様子で彼女の腕を持ち上げるように引き寄せて、あっという間にルクレツィアを抱きかかえてしまった。
そして身軽に木の枝から降りると、ベランダでルクレツィアを下ろす。片腕で自分と同じくらいの身長のルクレツィアを軽々と持ち上げるなんて凄い力だ。
ルクレツィアは驚きのあまり、落ちそうになっていた恐怖はすっかり何処かへ飛んでいき、目の前に立つ少年に目を向ける。
黒髪に黒い瞳の少年は至る所に怪我をしているらしく、血が滴っている。
「もしかして、君は…」
ルクレツィアは確信していた。
「さっきの黒い竜?」