不滅の森
正確に思い出してみれば、僕は何一つとして何かが起こる瞬間を見たことがなかった。すべては起こった後の光景を見せられているのであって、時間でさえ、秒針が一目盛り分進んだあとの状態をみただけで、案外時間は、まだ一秒すら流れないまま終わりに到達するのかもしれない。記憶から記憶へ、その間に何が起こったのかを想像で埋め合わせることが、人を含めた全ての動物たちへ課せられた使命なのか。使命とかいって、言葉が神話じみている。神話の需要とは、昔でいえば天災や飢餓といった理解不能領域に対する対抗手段であるから、なるほど僕は昔から何も変わっていないまっさらな人間のようだ。科学とか心理学とかもてはやされつつ、文明には僕らの心の何も覆せないようだ。心もまた僕らの信じたい神話の最古なものだった。すべて経過後の、事後を目の当たりにするか思いついたあとの記憶に過ぎなかった。時間はひとつも過ぎていなかった。これは相手に嫌われるための遅刻の言い訳として大切にしまっておこう。
かといって生きない訳にもいかないのは社会という構造が、それをうまく利用しているせいだった。社会は存在するんだ。それを神話であると唱えたものは精神病として扱う。しかし恐怖のせいで社会にしがみつく他に手段は限られている。あらゆる文章で述べられてきた内容へそろそろ繋がってきたみたいだ。同時に僕が書くべきことはもうなさそうだ。社会の異常性なんて、すでにこの話題自体くたびれていて味がしないんだ。こんな話が終わったならさっさと森へ逃げよう。森では迷ったり誘われたりする。暗かったり眩しかったり、森は昼夜を経るあいだに数回の、ゆるやかな点滅を繰り返して生きている。視界から溢れるほどに放たれた光の束によって脳内映像には些細な影が落ちそれが絶え間なく流動し、人が人であるためのラインをハッキリと超過した処理負荷にもはや屈服せざるを得ない有様、涙の伝う頬をゆるやかに薫風と木漏れ日に撫でられハッとした瞬間目が覚めた森の闇夜、残していたはずの焚火の火は消され、瞬発的に繰り出された警戒心も束の間、林の合間を縫って覗く、いつかみた懐かしい都市風景の展望は、そこに暮らす人々のための明かりを常夜灯やヘッドライトや連立するビル群からなる夜景として広がりをみせ横たわる姿態に僕はいつまでも目を奪われていた。三日後、ある森の奥で僕によく似た変死体が発見された。だが実際のところ、森で死んだはずの僕がこうして文章を書いているこの事態はどういうわけか。僕の理想、変態性、それらの融合とほぼイコールである寂しさは、すでに発散され尽くし空しく霧散したあと、その痕跡の煙がキッチンの換気扇から逃げて白濁と煌めいていた。