05:婚約大作戦
首都に移動して数日が経った。
ブラックウェル公爵家のタウンハウスは首都の中心地近くにあり、敷地もとても広く流石は経済を担うブラックウェルの別荘という感じであった。
タウンハウスにも専任の使用人たちが在籍しているが、公爵のお膝元ではないためにギスギスとした緊張感はあまりない。使用人たちからのアリアの監視や公爵への報告は行われているようだが、以前より厳しいものではない。
何より公爵が居ないので、アリアは思いのほか快適に過ごせていた。
弟であるクロードの暮らしが心配ではあるが、今のアリアには何も出来ないのでただただ無事を祈るのみだ。
出発前に確認したところ、クロードは地下室に戻されたものの以前のような虐待はないようで満足のいく食事や読書等は出来ているようだ。
そして、アルフレッドとの婚約大作戦も始まろうとしていた。クロードを無事に保護するためにも、アルフレッドの婚約を自然に成立させ公爵を満足させなければならない。
タウンハウスに来て数日経った頃にアルフレッドからデートのお誘いの手紙が届いた。
ルイスからの助言でアリアとアルフレッドの出逢いは列車で偶然出会い会話に花が咲いたことにした。そこでアリアに興味を持ったアルフレッドからアプローチを受け、首都でデートを重ね婚約に至るという流れだ。
最初のデートは首都の中央広場の噴水前で待ち合わせをすることになっている。
アリアは約束の時間より少し早めに噴水前に着くと、噴水の周りにあるベンチに腰掛けアルフレッドを待った。
メイドにデートに行くと伝えると、いつもより念入りにおめかしをしてくれた。
いつもよりさらに気合の入った格好に少し緊張をしたしまう。
この噴水は待ち合わせ場所の定番らしく多くの人で賑わっている。
そんな多くの人の中でも、アリアの容姿は目を惹くもので自然と注目が集まっていた。
噴水前に伏し目がちに座るアリアはとても美しく水に反射する光と相まって幻想的でもあった。
しかし、アリアは自分の容姿に興味がないため、何故自分が注目されているのかわからない。慣れないおめかしが変なのではないかと心配さえしていた。
暫くするとアルフレッドがやってきた。容姿端麗なアルフレッドがこれまた容姿端麗なアリアの元に駆け寄るのを見た周りの人々はざわつかずにはいられない。結婚相手として人気のある二人が一緒にいる姿はすぐに噂になることになる。
これが二人の狙いでもあった。二人の関係をほのめかすことで、二人が真剣交際をしていると周囲に思わせたかったのだ。
「ごめんね、待った?」
アルフレッドがアリアの隣に座って言う。アルフレッドからはふわりと花の香りがした。
イケメンは香りも良いのか…。
「いえ、今来たところです。」
絶賛淑女演技中のアリアは奥ゆかしく微笑む。
「今日はお出かけのお誘いを受けてくれてありがとう。」
「いえ、首都のことはあまりわからないのでお誘い嬉しいです。」
「…」
「…」
二人の後ろで噴水の音が流れる。
「…」
「…」
二人は微笑み合ったままだ。
会話がない‼‼
アリアはデート等したこともなく、貴族女性が何の話をするのかも知らない。アルフレッドはニコニコとこちらを見ているだけで何を考えているのかわからない。
どうやら二人とも待ち合わせのことしか頭になく、デートの内容については考えていなかったのだ。
周囲の人々がアリアたちに注目している中でこの状態はまずい!
アリアは慌てて口を開いた。
「えっと、喉も乾いたので良かったらカフェでも行きませんか?」
アリアはアルフレッドの顔色を伺いながらしどろもどろに提案をする。
「うん、近くにおすすめのカフェがあるからそこに行こうか。そこのテラス席から見える花が綺麗なんだよ。」
アルフレッドはそう言うと立ち上がりアリアに手を差し出した。
そして、そのままアリアをエスコートしカフェまで歩き出すのだった。そんな二人の姿は周囲には初々しく映ったようで、映画のワンシーンのようにも映る。
アルフレッドの案内したカフェのテラス席に着くと、二人はお茶を飲みながら他愛もない話をした。もちろん良く見えるテラス席なので、またもや周囲の注目を浴びている。
しかし、噴水前に引き続き何を話したら良いかわからない二人は1時間程で解散を余儀なくされた。アルフレッドがアリアをタウンハウスまで送った際には、次回のデートまで恋人同士は何をして過ごすのか調べてこようと固く約束したのだった。
初回のデートは短い時間で終わってしまったが、互いのことを知るには良い時間であった。それに物知りなので話をしていて楽しい。
アルフレッドは現在26歳なので、アリアより二つ年上らしい。
物心ついた頃にはすでに知能が高かったらしく、10歳で大学レベルまでの学業は修了していたらしい。アルフレッド自身も新しいことを学ぶことが好きなようで、その後は何ヵ国か留学をして20歳に帰国したとのことだ。
帰国後は父親の仕事を手伝ったり、自身の好きな植物の研究をしていたようだ。
アリアが在籍していた学校のある国にも留学経験があるらしい。
アリアが見たところによると、アルフレッドは大の甘党らしく一緒に過ごしたカフェではケーキやクッキー等のスウィーツをパクパクと食べていた。
列車でルイスとも話す機会があったアリアだが、ルイスによるとアルフレッドは頭が良すぎて何を考えているかは長年一緒にいてもわからないらしい。しかし、アルフレッドが出す結論で間違っていたことはないので全幅の信頼を置いているようだ。
とてもマイペースであまり動じることもなく、アルフレッドの周りにはゆったりとした空気が流れているように感じる。ルイスはそんな彼を危なっかしく思い、秘書として日々世話を焼いている模様。
本人は今のところ後継者になることに興味はなく、好きな植物の研究をしながら平和にのんびりと暮らしたいらしい。
アルフレッドの周囲や幼馴染であり親友であるルイスはアルフレッドの兄ではなくアルフレッドが後継者に就くことを強く望んでいる。
ボールドウィン伯爵も傲慢な長男ではなく次男のアルフレッドを後継者にしたいと考えているが、本人にやる気がないので強引に後継者に指名するわけにもいかない。少しでも興味を持ってくれたらという思いから、息子二人にそれぞれ領地管理をさせ様子見をしているらしい。
恋愛に興味のないアリアにとってアルフレッドは自分で選んだ婚約者ではないが、婚約者云々は関係なく信頼関係を築きたいと思える人物である。
初回のデートの終わりに恋人同士が何をして過ごすのか約束をしたアリア。
しかし、首都に友人がいるわけもなく誰にも相談が出来ないので、ありったけのロマンス小説を買い込み連日読み続けた。
幸いロマンス小説の恋愛ストーリーには似たような流れがあるようだ。
出逢いは運命的な偶然であったり、幼い頃からの友人であることが多いらしい。アリアとアルフレッドの出逢いは列車の中で偶然出会ったことになっているので、ギリギリ合格圏内だろう。
基本男性がフィジカル的に強く女性がか弱く守られる存在であり、女性はそっと男性に寄り添い支えることが多いようだ。アルフレッドは特別弱いわけではないが、小説内の男性のような強さはない。むしろアリアの方が戦闘能力に優れ、アルフレッドを守る役割を担っている。
これまでのようにおしとやかな淑女を演じ続けておくべきだろう。正直、自身の身体能力を隠しつつ人を守ることは難しいが、やりきることで今後の明るい未来がやってくるはずだ。
小説によると人気のデートスポットは食事やショッピング、演劇鑑賞や湖畔での散歩等があるらしい。友人ともこのようなお出かけをすることがあるが、恋人同士でも同様のことをするらしい。友人と違う点は互いのスキンシップが多いということだ。異性とスキンシップをしたことはあまりないが、小説を参考に頑張ってみよう。
他にも女性は美容を極めたり、ライバルに打ち勝つことも必要なようだ。アルフレッドは女性にとても人気なので厳しい戦いになりそうなため、日課の筋トレのメニューを増やすことで備えておくべきだろう。
アリアが大量のロマンス小説を読み終えた頃、アルフレッドから二回目のデートのお誘いがきた。
今回は待ち合わせではなく、アルフレッドがアリアのタウンハウスまで馬車で迎えに来てくれた。
「迎えにきたよ。今日もよろしくね。」
アルフレッドはそう言うと優しく微笑んで、手に持っていた花束を渡す。
花束のメインは鮮やかなピンク色のプリムラオブコニカという花で可愛らしい。
「あ、ありがとうございます。」
予想外のプレセントに素で照れてしまうアリア。花束をもらったことは初めてで嬉しいような恥ずかしいような気持ちになってしまう。
でも、皆が見ていない家でプレセントをもらっても周囲へのアピールにならないのでは…?
アリアが少しピンクに染まった頬をごまかすように周りをキョロキョロと見る。するとメイドたちがこちらを見て少しキャッキャッと話している。
流石秀才アルフレッド、外の貴族だけではなくブラックウェル家にも仲良しアピールをすることで、公爵への印象を良くしようという魂胆か。
アリアはアルフレッドを尊敬の眼差しで見る。
「花にはそれぞれ花言葉があるんだ。この花の花言葉も後で調べてみてね。」
アルフレッドが優しく言う。
アリアは返事をすると、花束をメイドに預けてアルフレッドの場所に乗り込んだ。もちろん馬車に乗る際はアルフレッドが優雅にエスコートをしてくれる。
今日のデートプランはアルフレッドが準備をしてくれたようで、植物園に連れて行ってくれるらしい。これまで殺伐とした世界で生きてきたアリアは植物園に行ったことはなく、密かに楽しみにしている。
朗らかな晴天の中、植物園に到着した。
日差しが気になるので帽子を被っているアリア、爽やかな風と花の香りが頬を撫でる。目の前には様々な花や緑が広がっており艶やかな景色だ。
デートということで少しヒールのある靴を履いているので、上手く歩けるか心配ではある。世の貴婦人はこんな苦行をしてまでお洒落に気を遣っているとは恐れ入る。
「そんなに広くない庭園だけど、ちょっと歩くから。」
アルフレッドが腕を差し出してくれる。
「ありがとうございます。」
アルフレッドの申し出に感謝をしつつ、ぎこちない動きで彼の腕にそっと自分の手を添える。男性とこんなに近い距離で歩くことはないので胸がドキドキと鼓動してしまう。
何だろうこの甘酸っぱい空気は…花の香りに惑わされているのだろうか。
これまでアリアの周りにはギルドの屈強な男たちしか居なかったために、アルフレッドの腕は新鮮に感じる。
二人は歩き出すと、植物の話を中心に会話を弾ませる。
「お花には花言葉なんてあるんですね。私あまりそう言ったことを知らなくて。」
「うん、調べてみると色々な解釈があって面白いよ。最近はあまり聞かないけど、昔は花を贈ることで自分の気持ちを伝えたりもしてたんだよ。」
「帰ったらいただいたお花の意味も調べてみますね。」
アルフレッドは一体なんと言う意味の花をくれたのだろうか。帰宅しても楽しみがあるのは嬉しい。
「アルフレッド様は何故そんなに花や植物が好きなんですか?」
「うーん…植物は本当に素直な生き物で、愛情をかけて育てた分だけ綺麗に咲いてくれるんだ。季節によって色々な表情を見せてくれるし、身近に季節を感じることができるよ。外を歩くとたくさんの植物があって、色々な思いをはせることもできる。」
アルフレッドは穏やかで平和な日常が好きだ。確かにアリアはこれまでその瞬間の人生を生きることに精一杯で花に目を向けることなどなかった。ふと花に目を向けることで一呼吸置くことも必要なのかもしれない。自分もお気に入りのお花を見つけてみたいものだ。タウンハウスでも庭師やメイドたちがお花を手入れしてくれているので、帰ったら目を向けてみよう。
「あ、この花とかアリア嬢に似合うよ。ジャスミンの花。」
アルフレッドはそう言うと、地面に落ちていたジャスミンの花をひとつ拾い目の前で見せてくれる。
ジャスミンの花は深緑の葉にちょこんと咲いていて、真っ白な花びらが愛らしい。
「可愛らしい花ですね。ジャスミンの花言葉は何ですか?」
こんなに素朴で可愛らしい花が自分に合うとは思えないのだが、花言葉は何なのだろうか。
「愛らしいって意味だよ。」
アルフレッドはさらりとそう言うと、手に持っていたジャスミンの花をアリアの髪に飾った。
「へっ⁉」
不意打ちの言葉に声がひっくり返ってしまうアリア。顔もみるみるうちに赤くなってしまう。
「いつも一生懸命で愛らしい。」
構わずにそう続けるアルフレッドは微笑むだけで照れている様子はない。
私が愛らしいってどういうこと!?
むしろ暴れてばかりで雄々しい姿しか見せていないのに、愛らしいって…!?
初めて言われた言葉に情報の処理が出来ないアリア。感じるはずのない髪のジャスミンの花が熱いように感じてしまう。
「あ、あそこのガラスドームでお茶や軽食を出してくれるんだ。そこで休憩しよう。」
アルフレッドはアリアの混乱も意にも介さず歩き出した。
いやいや、愛らしいって言っておいてもう食事の話!?この男は恥ずかしいとかないの!?
こっちは変に顔が熱くてどうして良いかわからないのに‼
ふと周りを見渡すと、いつものように周りの人々がアルフレッドとアリアに注目していた。
その光景を見てなんとか一息深呼吸をする。
……なるほど、そういうことか。
アルフレッドは周囲に注目されていることに配慮し、仲睦まじい姿をアピールするためにそういった行動に出たのだ。
そうでないと自分が愛らしい等と言われるわけがない。確かに現在のアリアは淑女に徹しているために、愛らしいという言葉を使っても差し支えないのだろう。
普通に植物園を楽しんでしまっていた気を引き締め直して、自分もアルフレッドに負けないよう作戦実行に精進しなければ‼
アリアは心の中で自分の頬を叩いて気合を入れ直すと、少し前に歩くアルフレッドに駆け寄る。
「あ、あのっ、よろしければニックネームで呼び合いませんか?」
アリアはアルフレッドの服の端を遠慮がちにつまんで言う。
この仕草やニックネームの提案はロマンス小説から学んだものだ。適度なスキンシップと親しい間柄だからこそ出来るニックネーム呼び、我ながら良い作戦のはずだ。
「うん、いいね。じゃあアリアって呼んでもいい?僕のことはアルって呼んで。昔大切な友人がそう呼んでくれてたんだ。」
アルフレッドがアリアに向き直って言う。
「ありがとうございます、えっと…ア、アル。」
「うん、アリア。またこう呼びたかったから嬉しいよ。」
アルフレッドは目を細めてはにかむ。
「また…?」
アリアは一瞬首を傾げる。
しかし、それよりもアルフレッドの演技力に感嘆したアリア。自分もギルドで数多くの潜入を経験し、演技力には自信のあるほうだったがアルフレッドには敵わないようだ。天才は演技も出来てしまうとは…。
その後はまた他愛もない話をしたり、食事をすると解散した。
初回よりデートらしいデートは出来たが、心臓が大きく跳ねることがあったりとアリアにとっては大変な一日であった。恋愛に免疫のない自分に不甲斐なさを感じると同時に恥ずかしいような嬉しいような初めての感情を抱いた日でもあった。その日の夜はなかなか寝付けず、時折アルフレッドの言葉を思い出してはベットで転がり回ることを繰り返した。
「いったぁぁああい‼」
タウンハウスにアリアの悲鳴のような声が響き渡る。使用人達がこの声を聞くのは今日だけでもう12回目だ。
最初の頃は護衛騎士が血相をかいてアリアの部屋へ集まっていたが、今となってはアリアの悲鳴は時々流れるBGMレベルの認識になってしまっている。それ程アリアが連日声を上げているのだ。
「アリア様、そろそろ休憩されてはいかがでしょうか?」
見かねたメイドがアリアに声をかける。アリアはここ数日この調子で部屋に籠っている。
アリアは今までにない強敵と戦っている。その敵とは傷だらけの手に握られた刺繍針である。実はアリアは細かい作業が大の苦手で、学校で貴族の嗜みとして刺繍を習ったことはあるのだが、毎回出来上がる刺繍は化け物の様な見た目のものばかりであった。刺繍の先生からは出来上がっているものを買った方が良いと太鼓判を押されたほどである。
指先に幾度となく刺さる針、時間をかけて刺繍をしても出来上がるのは本人ですら何かわからない物体、アリアの背後には失敗した刺繍布が積みあがっている。
ギルド時代に違法カジノ組織に潜入し正体がバレたときよりもピンチを迎えているアリア。
アルフレッドから花束をもらった御礼に自分で刺繍を入れたタイをプレゼントしたいのだが、一向に満足のいく刺繍を刺すことができない。終わることのない地獄に迷い込んだ気分だ。
アルフレッドと会うのは明日だというのにどうしよう…。
小説には手作りのプレゼントが喜ばれると書いてあったのだが、こんな悲惨な出来のプレゼントを貰っても嬉しいわけがない。明日は失敗を見越して買っておいたカフスボタンを持参しよう…。
アリアはじんじんと痛む指先を押さえながら天上を煽いだ。
そしてやってきたアルフレッドとのデートの日、今日はアリアの提案で演劇鑑賞の後にレストランへ行く予定だ。
「こんにちは、今日は生憎の雨だけど演劇鑑賞だから楽しめそうだね。」
いつものようにアルフレッドがアリアを迎えに来る。
「はい、演劇鑑賞も初めてなのでとても楽しみです。」
そう微笑むアリアの目の下にはクマが張り付いている。結局朝方まで刺繍にチャレンジしていたため、今日は一睡もしていない。演劇が楽しみなのは事実だが、それ以上に鑑賞中に眠ってしまわないか心配だ。
「あれ、今日は珍しく手袋をしてるんだね。」
馬車へエスコートするためにアリアの手を取ったアルフレッドが首を傾げる。
アリアはいつでもすぐに動けるようなファッションを心がけているので、手の感覚が鈍るファッション用の手袋は極力つけていない。
しかし今日は針で傷だらけの指を隠すためにレースの手袋をしているので、アルフレッドが不思議に思うのも無理はない。
「こ、こういうファッションもたまには良いかなって…」
そう答えるアリアの目は完全に泳いでしまっている。心なしか事情を知るメイドからの生温かい視線も背に刺さっている気がする。
「今日の服装もアリアに似合っているよ。」
アルフレッドがどう思っているのかわからないが、明らかにおかしい態度のアリアにつっこむことはなかった。
その後、二人は演劇を楽しみレストランへ移動した。
ちなみに予想通りアリアは演劇中に眠ってしまい、ちゃっかりとアルフレッドの肩に身を寄せ夢の世界に旅立っていた。幸い演劇場は暗かったために、アルフレッド以外でアリアが寝ていた事実に気付いてはいないだろう。
自身が誘った演劇で眠ってしまうという失態をアルフレッドが責めることはなく、いつも通りに接してくれた。
レストランに着き注文を終えると、二人はワインを飲みながら一息つく。
「あのっ、今日はアルに渡したいものはあって…」
アリアはポーチから花束の御礼であるカフスボタンのケースを取り出す。
パサッ
「あっ」
カフスボタンのケースに引っかかってタイがテーブルの上に落ちる。アリアが一応持ってきた手作り刺繍があしらわれたタイだ。
それに慌てたアリアは急いでタイをポーチに戻そうとする。
パシャッ
カランッ
アリアの手が水の入ったグラスに当たってしまい、水がアリアの手にかかってしまう。
「大丈夫?水だからシミにはならないけど、濡れちゃったし手袋外したほうがいいかな。」
アリアは傷だらけの指先を見せることに躊躇う気持ちはあったが、濡れた手袋をつけたままにしておくわけにもいかず渋々外した。そして、すぐに手をテーブルの下に隠す。
「渡したいものってそのタイのこと?」
アリアが手とともにカフスボタンのケースをテーブルの下に潜らせてしまったためにアルフレッドは渡したいものがタイだと感じたようだ。
そして手を引っ込めているアリアの代わりにテーブルに落ちてしまったタイに手を伸ばす。
「だ、だめっ、それは…」
アリアの制止は間に合わず、アルはすでにタイを手に取って刺繍を見つめている。
だめぇぇえええ‼
アリアは心の中で叫び声をあげる。
アルフレッドが見つめる刺繍はピンク色のとげとげした何かとそれに不随する緑色の塊、極めつけはいびつな線のアルという文字であった。
「僕の名前が刺繍してある。もしかしてアリアの手作り?」
「いやっ、それはそうじゃなくてっ…こっちのカフスボタンが花束の御礼のプレゼントです‼」
両手に持ったカフスボタンのケースを勢いよく差し出す。
「…。」
アルフレッドが見つめる先はカフスボタンではなく、アリアの指先だ。
アリアが視線に気付き手を引っ込めようとしたとき、アルフレッドがアリアの手を優しく掴んだ。
「もしかして、この針の怪我を隠すために手袋をしてたの?寝不足なのも刺繍を頑張ってくれたから?」
アルフレッドの言葉にアリアの顔はすぐに真っ赤になった。
これだから天才は嫌いだ‼何でそんなに察しがいいの!?
隠していた刺繍を見られたアリアは恥ずかしいやら情けないやらで感情が忙しい。
「えっと、そうなんですけど、そうじゃなくて…何か手作りのものを渡したくて刺繍に挑戦したんですけど、そ、その…私とても不器用で上手くいかなくて…だ、だからカフスボタンを渡そうと思ってて……だから、それはプレゼントじゃないんです…」
「僕は手作りの刺繍のタイ気に入ったよ?もちろんカフスボタンも嬉しいけど。」
「いやいやいやっ、本当人様に見せれるものじゃないので、そのタイはこちらに返してください‼」
「そんなことないよ。このピンクの毬藻可愛いよ。よくできてる。」
「それは毬藻じゃなくて、ガーベラです‼」
毬藻の刺繍って何なのよ!?毬藻にも花言葉的なのがあるわけ!?
ピンクのガーベラの花言葉は感謝だ。アリアは1輪のピンク色のガーベラとそれに添えられた1枚の葉を刺繍したつもりであったが、アルフレッドの目にはピンク色の毬藻という未確認生物に見えたらしい。
「なるほど…」
もう一度刺繍を見つめ直すアルフレッド。まじまじと自作の刺繍を見られて、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「ピンク色のガーベラの花言葉は”感謝”だね。こちらこそ素敵なプレゼントをありがとう。大切にするよ。」
アルフレッドは本当にアリアのプレゼントを気に入ったらしく、ニコリと微笑むと丁寧にプレゼントを仕舞った。
いやいやいやいや‼大切にしないで‼そんなタイをつけて公衆の面前にでも出られたら恥をかかせてしまう‼
アリアは顔を手で覆い、がっくりと項垂れることしか出来なかった。
食事の後はアルフレッドが指のための傷薬を買ってくれて解散となった。アリアが暫くの間恥ずかしさで悶絶する日々を過ごしたのは言うまでもない。
そんなハプニングがありながらも、その後何度かアリアとアルフレッドはデートを重ね互いにプレゼントを贈り合ったりもした。もちろんアリアの手作り刺繍のものは渡していない。一度デートでアリア作のタイをつけてきたときは、アリアは高速の速さでタイを外し、アルフレッドのポケットに突っ込んだ。アルフレッドは残念がっていたが、アリアとしてはデートの時間ずっと黒歴史の一つであるタイを見せられることは苦痛でしかなかったので仕方ない。
作戦の一貫でデートを重ねていたアリアだが、アルフレッドといる時間はとても心地よく新しいことを色々教えてくれるので楽しかった。何よりアルフレッドといると、穏やかな時間をのんびりと過ごせるのが良かった。これまでその一瞬一瞬を必死に生き抜いてきたので、こんなにも安らぐ時間があるのだと知らなかったのだ。自分はいつも戦うことで自分の場所を探してきたが、公爵との一件が終わればアルフレッドのような生き方をしてみたい。
デートの回数も増え、周囲の人間にも二人が良い感じであると十分認知されただろう。公爵もアリアやタウンハウスの使用人からの定期報告でアルフレッドとの良好な関係を報告で聞いていたので満足しているようだ。公爵はアルフレッドがアリアに惚れこんでいると思っており、アリアへの評価を上げたらしい。実際はアルフレッドと裏で口裏合わせをしているだけなのだが、今のところそれもバレていない。
恐ろしいほどに順調に進んでいる計画も新たな局面を迎える。そろそろアルフレッドから婚約の申し出を受ける段階だ。
明日はハワード公爵家主催の大きな夜会が開かれる。そこで初めてアルフレッドのエスコートで夜会に参加する。
周囲もブラックウェル公爵令嬢アリアと爵位が伯爵でありながら国内2位の権力を持つハワード家子息アルフレッドのカップルが誕生しているかもしれないという噂で持ち切りだ。家族でもない男性にエスコートされ公の場に参加するということは、親密な関係であると公言するようなもの。明日の二人の入場で婚約まで棒読みという確信に変わるだろう。
現在の計画では何度か二人で夜会に参加し、その後アルフレッドからプロポーズを受ける予定だ。
明日は注目を受けることは確実なので、いつもより気合を入れた見た目で参加しよう。
迎えたハワード家の夜会。
メイドの尽力もあり、精一杯着飾ったアリアはアルフレッドのエスコートで会場に入った。アルフレッドの表情はいつもと変わらず何を考えているのか読み取ることはできない。しかし、心なしかいつもより気合を入れた装いにも見える。
家格や容姿の目立つ二人が揃って夜会に参加すると、案の定周囲の注目を集めた。
「アルフレッド、アリア嬢!」
二人が入場してすぐに、事情を知るルイスが駆けつけてくれた。
「今日は参加してくれてありがとう。調子はどうだ?」
ルイスが二人に声をかける様子を周りの貴族はそれとなく聞き耳を立てる。
アルフレッドはいつものようににこにこしているだけなので、アリアが答える。
「こちらこそ素敵な夜会をありがとうございます。久しぶりの夜会で緊張しますけど。」
「それなら良かったよ。今日は珍しいワインもあるし是非試してくれ。それと、向こうでカイル達が呼んでるから、少しアルフレッドを借りるぞ。」
ルイスはそう、アルフレッドを連れてアリアの元を離れた。確かカイルとはアルフレッドやルイスの旧友で現在は遠方の地に住んでいるらしい。久しぶりの再会で何か話すことでもあるのだろう。
早速一人になってしまったアリアは壁の花となるべく、ワインを持って一息つくことにした。この後はアルフレッドとダンスをし、そこそこ交流をして解散する予定だ。
「アリア嬢、以前もお話したのを覚えていますか?」
アリアが休憩しているとすぐに一人の男性がやってきた。この男性は伯爵家の次男で…名前は覚えていない。
「御機嫌よう。月虹祭でお声をかけてもらいましたよね?」
アリアも笑顔で答える。名前は覚えていないが…。
「良かった。近頃は夜会に参加されなかったので寂しかったんです。よろしければ、一緒に踊りませんか?」
手を差し出す男性。
「えっと…」
ファーストダンスはアルフレッドとしたかったのだが、どうしたものか。
「アリア嬢!僕も以前楽しく会話しましたよね?ダンスは是非僕と!」
アリアが返答に困っているとまた名前を忘れてしまった他の男性がやってくる。
それがきっかけで多くの貴族男性がアリアを囲む事態となる。
「おい、抜け駆けだぞ!ダンスは是非私とっ…」
「アリア嬢、最初からダンスはしんどいでしょうからあちらで一緒に軽食でもどうですか?」
「それより庭園で散歩でも…」
アルフレッドが離れたことをチャンスと思ったのか、たくさんの男性が隙をついてアリアを誘う。中には婚約者もいるであろう男性もいるが、皆格の高いブラックウェル公爵令嬢の目に留まろうと必死だ。
後ろは壁で逃げ場がないアリアは男性達の圧に気圧されてしまう。
「あの…私は……」
アリアが対応に困っていると、
「アリア‼」
アルフレッドの大きな声が聞こえた。事情を察したアルフレッドが助けにきてくれたようだ。アルフレッドにもこんな大きな声が出るときがあるのかと少し驚いてしまう。
その声で気まずそうにするアリアを囲う男性たち。流石にボールドウィン伯爵家の子息といい感じの女性に声を掛けることはばつが悪いらしい。
「アリア、一人にしてごめんね。僕と一緒にダンスしよう。」
アルフレッドは周囲の男性をかき分けてやってくると、アリアにいつもの優しい笑顔を向けて手を取った。
流石の周りもアルフレッドに直接意見を言うことはできず見守るだけだ。
アリアも安心したようにアルフレッドの手を握り返すと、二人は流れるようにダンスホールに出た。
ちょうどダンスの曲が始まるタイミングで、軽く互いで挨拶をすると手を取り曲に合わせてステップを始める。
落ち着いたメロディが奏でられる中で、アリアは少し緊張をしていた。
アルフレッドとダンスの練習をしたこともなければ、相手がいる中でダンスをしたことがないアリア。公爵家でダンスの練習をする際はいつも一人だったので、上手くアルフレッドに合わせられるか不安だ。
何より互いの距離が近いのでなかなかダンスに集中ができない。アルフレッドがにこやかにこちらを見つめることでさらに緊張が加速する。
幸いアルフレッドは落ち着いており、優しくリードしてくれるので周りからも不自然には見えていないだろう。アリアも表情だけはなんとか保とうと穏やかな顔をキープしている。
二人は気付いていないが、周囲もアルフレッドとアリアの姿に見惚れていた。そつなくダンスをする二人、目立って上手というわけではないが優れた容姿も相まって引き込まれるものがある。
曲が終わりに向かい、二人が互いに挨拶をするとアリアはやっと一息つくことができた。
続けてダンスをするのか一旦ダンスフロアを離れるのかどうするのだろうか…アリアがそんなことを思っていると、通常であれば次のダンスの曲が流れ始めるはずなのに穏やかなメロディが流れるだけだ。
アリアは首を傾げ、周囲もざわざわとしている。
一体これは何なんだろう。
「アリア」
目の前のアルフレッドが落ち着いた声で名前を呼ぶと、身をかがめ片膝をついた。
さらにざわつく会場。
アリアもまさかの事態に目が泳ぐ。
えっ
まさかこれ…
えっ
でもプロポーズはまだ先のはずっ…
えぇええっ!?
アリアは予想外の事態に頬が紅葉し棒立ちになるだけだ。
「アリア、これ受け取ってくれるかな?婚約しよう。幸せにすると約束するよ。」
アルフレッドはそう言うと、小さなケースを開け淡いラベンダー色の宝石のついた指輪を見せた。
それはラベンダーダイヤと言われるもので、色見をアリアの瞳と合わせたらしい。しかも、このダイヤは世界で珍しいもので、国内で持っている者はいなかったはず。わざわざアルフレッドは国外から取り寄せたらしい。
偽物のプロポーズにこんなお金をかけてくれるなんて…
アリアの手が小さく震える。
「アリア?」
返事をしないアリアにアルフレッドは優しく首を傾げた。
アリアはアルフレッドの目を見つめ返すと、小さく頷くことしかできなかった。
それに笑顔を見せたアルフレッドはアリアの左手薬指に指輪をはめると、その指輪の上に軽く口づけをした。
見守っていた周囲も盛大な拍手を贈る。
計画的な契約上の婚約でまさかサプライズプロポーズを受けるとは思っていなかった。この日は夜まで胸の鼓動が収まることはないだろう。薬指に輝く指輪がアリアを不思議な気持ちにさせるのだ。
こうして予定より早く公爵の指令をクリアしたアリア。今後生活はボールドウィン伯爵領に移り、またも慣れない生活が始まる。公爵がどう動いて来るのかも重要となってくる。