01:プロローグ
建国記念日を祝う月虹祭の宴の最終日、パーティ会場は例年より多くの貴族で賑わっていた。
そして、皆そわそわしつつ入場口の扉をちらちらと見ている。
秘密に包まれたブラックウェル家の公爵令嬢が初めて公の場に姿を現す。
その噂を聞きつけるや否や欠席を予定していた貴族の多くがこの会場に詰めかけた。
それほどブラックウェル家の秘密は周囲に好奇心を沸かせ注目をさせるのだ。
また、経済を司るブラックウェル公爵令嬢に取り入り、婿としてブラックウェル家に入りたい者も多くいるのだろう。
「ブラックウェル公爵令嬢はまだいらっしゃらないのだな。」
「今年で24歳って噂だけど、今更婚約者探しにでもやってくるのかしら?」
「この歳まで表に姿を現さないなんてよっぽど見た目や性格に問題があるに違いないわ。」
会場はブラックウェル家の噂で持ち切りとなり、期待や一種の怖さのような感情で満ち溢れている。
「ウォルター・ブラックウェル公爵並びにアリア・ブラックウェル公爵令嬢のご入場です‼」
浮ついた会場にドアマンの声が響いた。
一瞬で水を打ったように静まり返る会場、全ての人間が開く扉に目を向ける。
そして、予想外の光景に会場は息を飲んだ。
いつもの穏やかな表情を携えるブラックウェル公爵にエスコートされた女性はまるで女神のようないで立ちをしていた。
165㎝程の身長にスラリと伸びた腕と足、肌は白雪のように白く上品で薄紅色の頬に良く似合っている。
長く揺れるその髪はシルバーブロンド色で滑らかな輝きを放っている。ぱっちり二重の瞳は薄いラベンダー色でみずみずしく透き通っていた。
大方の予想に反して目見麗しい容姿をしたその女性は男性はもちろん同性の女性ですら見惚れる程であった。
最初はその眩い存在ゆえに声をかけることさえも躊躇していた人々だが、徐々に吸い寄せられるように公爵とアリアの周りに集まる。
アリアは爵位等関係なく全ての貴族たちに平等で丁寧な対応をし微笑む。
才色兼備とはまさに彼女のことを表しており、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花のような凛とした女性である。
「ちょっと失礼しますね。」
アリアは話をしていた貴族の青年に微笑むと、ドレスの裾を上品に揺らしバルコニーへと優雅に歩いた。
見惚れるような所作でバルコニーに出ると、アリアは静かに扉とカーテンを閉めた。
その瞬間に携えていた笑みはなくなり、眉間にしわを寄せる
「くそが…」
小声で悪態をつくと、履いていたヒールを投げ捨てどかりと地面に座る。
その姿は貴族たちと談笑していた人物と同一だとは思えない程だ。
父親と名乗るウォルターは面倒な貴族の相手を私に任せフェードアウト、慣れない貴族の相手や動きにくいドレスで疲労困憊だ。
一番腹が立つのはこのヒールとかいう靴だ。美脚に見せるためだか何だか知らないがこんなかかとの高い靴を履き続けるなんて拷問でしかない。
そもそも数か月前までは砂漠にある小屋やじめじめした地下のシェルター等で生活していたというのに突然誘拐され公爵令嬢として生活することになるとは夢にも思わなかった。
前までは自身の所作や日焼け等何も気にしなくて良かったのに、今では全ての言動に気にかけないといけない。多くの平民が憧れる貴族はとんでもなく不便な生活をしているらしい。
ブーツを履きたい。
ドレスのひらひらを引きちぎりたい。
大きな口を開けて笑いたいし、会場の豪華な食事も手あたり次第もぐもぐしたい。
ヘアセットが崩れるので頭をかきむしることもできないアリアはただ頭を抱え座り込むだけだった。
「やってらんねー…」
アリアの愚痴は止まらない。
ウォルターにボールドウィン家の次男を誘惑し婚約まで漕ぎ着けろと言われたが、あんなに大勢の貴族と話したのにボールドウィン家の人間は誰一人として居なかった。
完全に時間の無駄だったじゃねーか。
アリアは気分を変えるようにすくりと立ち上がる。
その時だった。
ガチャガチャという音が閉めたはずの扉から聞こえてくる。
注目の的であるアリアが一向にバルコニーから戻らないため、痺れを切らした貴族が無理やりにでも入ってこようとしているようだ。
もうゴマすり貴族の相手はたくさん‼
アリアは咄嗟にバルコニーの手すりを掴むと軽快にその策を乗り越える。
ギルドにいたアリアにとって2階の高さから飛び降りることは容易であり、ドレスを着ていても華麗に庭園に着地をした…はずだった。
アリアの予想に反し、バルコニーの下には一人の青年が歩いていた。
「やっば…‼」
アリアは青年を認識するとすぐに空中で身体を品って捻って青年との接触を回避した。
軽快に庭園に飛び降りると、アリアとその青年は向かい合う形となり自然と目が合う。
青年の身長は175㎝程で髪は薄桃色髪と同じ薄桃色の瞳は少し目じりが垂れ下がっており甘くおっとりとした印象を与える。
体型は細身で指はスラリと長く綺麗だ。
青年はアリアが突然飛び降りてきたにも関わらず、驚いた表情等は見せず何を考えているのかわからない表情でアリアを見ている。
「あのっ…」
アリアが何かを発そうとしたその時、青年の後ろに黒い人影が見えた。そして、手には月の光に反射したナイフが握られている。
アリアは咄嗟に青年の頭を左腕で抱え自身の胸に押し付けると、もう片方の手でドレスの下に隠していた使い込まれた短刀を取り出した。
そして、躊躇うこともなく流れるようにその短刀で不審者の首を切りつけた。
少量の血が青年の頭に飛ぶ。
不審者に与えられた傷はかなり浅いものであったが、不審者は声を出す暇もなく地面に崩れ落ちた。
地面に倒れる不審者は少し痙攣をしており、意識もない。
アリアの短刀には即効性の毒が仕込んであり、少しでもその毒に触れると意識が失われる。一定時間が経過すると意識は戻るようになっており、命に別条はないものだ。
や、やってしまったーーーー‼
アリアは一瞬で我に戻り、自身がしてしまったことを認識する。
ギルド時代の癖で敵を認識すると同時に条件反射で反撃してしまったが、普通の貴族令嬢は相手の首を搔っ切らないし、2階から飛び降りたりもしない。
この青年が誰かは知らないが、いでたちからして貴族であることは間違いないだろう。
可憐なブラックウェル公爵令嬢がこのような暴挙に出たことがバレれば一大事だ。
ここはすぐに退避しなければ‼
先程青年に顔を見られた気もするし、むしろ目もあった気さえするが、夜の暗さで見えなかったと信じ何者かバレないうちに立ち去ってしまおう。
アリアは肩に掛けていたショールを青年の頭に強引に乗せると、がしがしと頭の血を拭き彼の顔をショールで隠したままに身を翻す。
「すぐに護衛騎士の元へ行ってください‼」
アリアは青年にそう叫びながら、令嬢とは思えない速さでその場を走り去るのであった。
青年がショールを頭から取った時にはすでにアリアの姿はなく、先程の出来事が嘘のようにあたりは静まり返っていた。
「天女様は武闘派だったのか…」
もう姿の見えない方向を見たまま、その青年は呟く。
静寂を取り戻したその空間には爽やかなりんごのような香りのみが残っていた。