第九十八話
一五二六年六月 京・畠山家屋敷
「ふぅ~、やはり京は疲れるものだな。」
僕はぐーっと背伸びをしながら呟いた。
公方・足利義晴や管領・細川高国との会見のあと、僕は畠山義総の京屋敷に逗留していた。
「ははは、御屋形様。少々情けのうござるぞ。」
やってきたのは狩野屋の京における番頭となった畠山九郎だ。
「九郎殿か。貴殿はよう京の都で活動できるものだな。」
「…ここは越中とは全然別物でございますか?」
「いや、まぁな…」
先の戦乱などで荒れているとはいえ、さすがは都と言うべきか、街や経済規模は片田舎の越中とは段違いだ。
現在の越中で一番の大店であろう狩野屋レベルの店はいくらでもある。
「まぁ私もここに来た時は故郷の能登とは大違いだとは思いましたがね。」
「腹の探り合いと言うかね、そう言うのがあるのが疲れる。」
「他の御武家様等ともお会いになられたとか。」
京での滞在中公方や管領以外の人物との会見も行った。
「ああ…、特に嫌だったのは偶然にも蓮淳に会ってしまった事だな。まさか御所で会う事になるとは…」
◇ ◇ ◇
あれは一昨日御所に出仕したときだった。
越中の政治について公方の近習である三淵尚員と話していた時、老齢の僧が話しかけて来た。
そう、その僧が蓮淳であった。
蓮淳はかの有名な蓮如上人の六男で、第十世宗主証如の母方の祖父である。
幼少であった証如の後見として本願寺内で大きな発言力を持ち、教団を実質的に動かしてきた人物と言って過言では無いだろう。
「これはこれは、貴方様は公方様の覚えがめでたい神保様ではございませぬか。」
「ふむ。失礼ですが、御坊はどちらでありましょうか?」
「これは失礼。拙僧、蓮淳と申しまする。」
「れ、蓮淳…殿!?」
僕は思わず言葉に詰まった。
歴史を知っている者にとっては化物級の人物であると分かるのだが、目の前の僧の物腰は柔らかだ。
少なくとも、そう見えた。
「…いかがなされた?」
三淵尚員が口を挟んで来た。
「…何でもござらぬ。いや、かの高名な蓮淳殿にお会いできるなんて思ってもおりませんでした。蓮淳殿、お初にお目にかかります。某、神保右衛門佐長職にござる。」
僕は蓮淳に向かって軽く会釈した。
「いやはや、勿体なき事で…。神保様には越中、いえ、北陸の門徒達がお世話になってございますからな。この蓮淳、御礼申し上げまする。」
蓮淳が深々と返礼をしてきた。
しかしその口角が僅かに上がったようにも見えた。
「御坊の弟でおられる、実悟殿が門徒を良く纏めてくださっておりましてな。越中の門徒達は我が領民としても優れた民にございますな。」
「ほう、それはそれは…」
顔を上げた蓮淳はにこやかな表情を崩さなかった。
まぁ蓮淳と実悟が兄弟と言っても年齢は三十近く離れているはずだし、史実でこの後起きるであろう大小一揆では実悟を敵方と見ていた筈だ。
「…しかし神保様には加賀の門徒達にも目を掛けていただきたいものですな。」
「ふむ。そうは仰るが、我が父は越中の門徒には縁がありそれ故に某も友好関係となれたのだがな。それに加賀の門徒は我が越中に侵攻してきたのですぞ。」
「それは拙僧のあずかり知らぬ事でした。」
「左様か。」
「左様にございます。」
確かに加賀の一向一揆について直接的な指示・指導を行っている訳では無いのは確かかもしれないが、中央集権化の過程で加賀の門徒中枢に蓮淳の息が掛かっているのは疑いようもなかった。
「いずれにせよ我が越中においてはうまくやっているのでしてな。それに仇為すと言うのであればそれなりの対応をしないわけにはいかぬのですよ。」
「賀州の門徒には良く言い聞かすように致しましょう。」
全くもって白々しい。
もちろん信用する訳にはいかない。
「では拙僧はこれにて。…今後とも何卒、よろしくお願いいたします。」
蓮淳はそう言って一礼すると、近習であろう僧と共に足早に去っていった。
「…化け物め。あれで仏法に帰依した僧なのか?」
僕は思わず本音を口走ってしまった。
「…神保様。」
「あ、いえ、失礼致した。あの御坊は最近御所に来ているのですか?」
「ええ。近頃公方様に会いに来るようになりましてな。どうやら献金もしている様子で。」
「三淵殿は関りが無いのですか?」
「…はい。幕臣の長老方が対応しているようでして。」
「…なるほど。」
ふむ、ちょっときな臭いな。
蓮淳は何か政界工作をしているのは間違いなさそうだ。
◇ ◇ ◇
「…と言うようなことがあってな。」
「ふぅむ、それは確かに面倒ですな。」
「そうだろう。領国が越中であるから何かと一向一揆には何かと関りがあるからな。…あれは狸なんてもんじゃない、化け物だよ。」
「…御屋形様にそこまで言わせる相手とは、これは連中とは仲良くとはいかなそうですな。」
「そうだな。」
僕は思わず苦笑いを浮かべた。
やはり畿内は魑魅魍魎と言う事ですね!




