第九十二話
一五二六年五月 北近江小谷城
北近江、小谷城。
日本五大山城のひとつにも数えられ、戦国大名浅井氏の居城で堅固な山城として有名である。
築城年は一五一六年とも一五二三年とも言われはっきりしないが、少なくとも今僕がいるこの瞬間には既にここにあったようである。
小谷山の尾根にはいくつもの曲輪群が築かれ、その光景は見事なものだ。
「何じゃ、緊張でもしておるのか…?」
「いえ、その…」
僕の眼前には、軍神・朝倉宗滴が歩いていた。
いや、今僕達は友好関係のない武家の城の中を歩いているんだぞ?
逆にあなたは緊張しないのか???? と質問したいところだが、それが百戦錬磨の軍神と言う所なのだろう。
もちろんこの訪問に当たっては先触れの使者を出しているから、いきなり襲われる可能性は低いかもしれない。
だが朝倉家当主浅井亮政が居るであろう本丸へ向かう曲輪を通過するたびに、浅井兵の視線が突き刺さってくる思いだ。
さて、間もなく本丸がある曲輪だろうか。
「これはよくぞお越しくださいました。拙者、海北善右衛門綱親と申しまする。」
海北綱親!
海北綱親と言えば赤尾清綱や雨森清貞と共に「浅井三将」と呼ばれた有名な武将だ。
某歴史ゲームでは他に有能な武将はたくさんいるものだが、浅井家でプレイする人はそれなりに重宝したはずだ。
「うむ、出迎えご苦労。…儂が後ろに控えるは越中守護の神保長職様であらせられる。先触れの文の通り、浅井亮政殿にお目通り願いたい。」
朝倉宗滴の貫禄は流石だ。
「はっ。我が主、浅井亮政がお待ち申し上げております。ささ、こちらへ…」
海北綱親の案内を受け、僕と朝倉宗滴が本丸にある屋敷へ上がった。
中に入ると浅井家の面々が上座へ上がる中央の道を空け、両脇に平伏していた。
「え、えっと…」
「(何をしておる。お主はこの中では一番格が高いのだ。上座へ座らぬか。)」
躊躇していると朝倉宗滴が僕に耳打ちして来た。
そうだ、僕は守護大名になったんだった。
僕はひょこひょこと上座へ向かうと、向き直ってからそこに腰を下ろした。
「神保長職様、お初にお目にかかりまする。某、小谷城主、浅井亮政と申しまする。」
僕に挨拶して来た武将、これが浅井亮政か。
歳はおそらく三十そこそこ。
先日会った六角定頼は文化人という風体であったが、浅井亮政は細身ながらも鍛えられた武人と言う感じだ。
「う、うむ。かの有名な浅井殿とお会いできるのを楽しみにしておりましたぞ。私が、神保長職と申す。」
僕は精一杯の(営業)笑顔で応じた。
「ほう!某が有名でございますか。それはどのような…?」
「いやなに。先日お会いした半国守護の京極高清殿が逆賊の極みの様に申しておりましたが、評判通り精悍な武人であるようで安心いたしました。」
「ふはは、お上手ですな。」
掴みはバッチリか?
逆賊の極みのところでバッサリをされなくて良かった。
「して六角様からの文は読み申した。六角様は我が方との停戦をお望みの様でございますが、某の事を逆賊と呼ぶ御屋形様はどのようにお考えでござろう?」
浅井亮政が言うところの御屋形様と言うのは、北近江半国守護の京極高清の事を指す。
この度の戦において浅井亮政は自らの主家である京極家自体を廃すことを(少なくともこの時点では)目的としていない。
この戦は要するに派閥争いなのだ。
「それは浅井殿もご想像の通りにござる。」
「…ではその御屋形様と同盟を結ぶ六角様によるこの和議は、我が浅井、そして国衆に対する降伏勧告にございましょうか?」
浅井亮政の表情が険しいものに変わった。
浅井亮政の立場は国人一揆衆の盟主という立場になる。
これに対して南近江の半国守護である六角定頼がその敵方の同盟軍として来ているのは大きい。
「あ、ええっと…」
僕は助けを求める様に朝倉宗滴の方を見た。
それに気づいた朝倉宗滴がやれやれと言うような表情をしつつも助け舟を出してくれた。
「いや、浅井殿。六角様はそこまでは言っておらぬ。ただ同族の宇多源氏佐々木氏流である京極様から請われたものだから来ぬわけにはいかなかったのだ。」
「…しかし国人衆としては今の御屋形様に完全に従う訳に行かぬという意見が多いのです。」
「まあ、アレではな。」
朝倉宗滴は大げさに肩をすくめた。
「それで儂や神保様が代理でここへ参ったわけだが、和議の中身まで細かな条件面の指示はされておらぬでな。要するに向こうはこの戦を停戦できればいいわけだ。…で、浅井殿。こう言うのはどうじゃ?」
朝倉宗滴がニヤっと笑った。
おお、朝倉宗滴も僕みたいな悪い顔ができるんだな。
前の週末の外出から帰宅した深夜に体調を崩してしまっておりました…。更新が遅くなり申し訳ございません。
浅井亮政の生年は不詳ですが、畠山義総と同じくらいの年齢という設定としました。




