第九十一話
一五二六年五月 北近江小谷城周辺
「何故、すぐに小谷城を攻めぬのじゃ!!!!」
陣幕の中から怒号が聞こえて来た。
それはちょうどその時に僕と朝倉宗滴が到着した頃だった。
「うーむ、何方かが荒れておられますね。」
僕の言葉に、朝倉宗滴が大げさに肩をすくめた。
「あの声は近江半国守護の京極高清だな。」
「あー…」
僕は何とも言えない声を出した。
京極高清と言えば戦国時代としては長生きで、確か朝倉宗滴よりも年上だったはずだ。
京極氏は宇多源氏佐々木氏流の名門であり、近江国など五か国の守護を任されるほどだったはずだ。
しかし応仁の乱以降衰退の一途を辿っていた。
「まぁ気にするな。さて…」
僕と朝倉宗滴は下馬し、六角軍の陣を守る兵に話しかけた。
「儂は朝倉家の援軍として参った朝倉宗滴と申す。六角定頼様にお目通り願いたい。」
「こ、これは朝倉宗滴様! すぐに御取次ぎ致します。少しお待ちくだされ。」
兵が慌てた様子で陣の中に入っていった。
確かに朝倉宗滴程の人物が訪ねてきたら、それは可及的速やかに取り次がなければならないだろう。
僕だってそうする。
(時計が無いから分からないが)体感としては恐らく数分で僕達は陣幕の中に通された。
「六角定頼様、公方様からの要請を受けまして援軍として罷り越しましてございます。」
「おお、朝倉宗滴殿。心待ちにしておりましたぞ。」
応じたのがおそらくは六角定頼だろう。
年齢的には畠山義総と同じくらいだろうか。
畿内に近いからか、田舎侍の僕よりだいぶ文化人に近い気がする。
それでも風体からは百戦錬磨の将であるように思えた。
少し離れた位置には機嫌が悪そうな白髪の老人がいた。
これが京極高清かな?
その近くには気弱そうな武将がいたが、京極高清の息子だろうか。
彼等は無駄に雅な鎧に身を包んでいた。
「…して宗滴殿。そちらの御仁は?」
六角定頼が僕の方を見て来た。
「ああ、まず先に紹介せねばなりませんでしたな。こちらは越中守護、神保長職様にござりまする。」
朝倉宗滴が僕を紹介してくれた…のだが、立場的なものがあるとはいえ朝倉宗滴からこういう紹介をされるのはまだ慣れないな。
「六角様、お初にお目にかかります。」
「おお、貴殿が神保殿でおられるか。公方様や管領様から話は聞いておりますぞ。」
「き、恐縮です。」
「ささ、お二人ともそちらにお掛けなされ。」
六角定頼に促され、僕と朝倉宗滴は用意された椅子に座った。
「…それでは現在の状況についてお教え願いますでしょうか。」
朝倉宗滴が六角定頼の方を向いて問いかけた。
戦については彼に任せておけばいいだろう。
「それにつきましては拙者が…」
下座に控えていた武将が口を開いた。
この武将の名は平井定武と言った。
彼が言うには
・昨年五月の開戦以来外周の出丸や番所等は押さえたものの、戦況は膠着している。
・六角、京極の合同軍(とは言ってもほとんどは六角軍)は総勢一万七千程。対する浅井軍は七千程の兵で小谷城で籠城戦を行っている。
と言うような状況らしい。
後から知ったのだが、この戦は史実より戦が長引いているようだ。
そしてその内容も少し違うようにも思える。
推測であるが、これは我等神保家と長尾為景との戦が関係しているのだろう。
おそらくは朝倉宗滴の援軍がこちらに派遣されるのが遅れたからかもしれない。
「我等は敵よりも一万以上も多くの兵を抱えておるのだぞ! 何故、攻撃をせぬのか!?」
平井定武の説明の最中も、京極高清と思しき爺様がギャーギャーと騒ぎ立てていた。
横目で六角定頼の顔を見ると、その表情はうんざりしているように見えた。
「…高清殿。少し落ち着かれよ。京から取り寄せた茶等も準備してございまする。…おい、お連れしてくれ。」
「ささ、京極様方、こちらへ!」
六角定頼の部下がギャーギャー喚く京極高清とその息子を陣の外へ連行していった。
部下たちの手慣れた様子を見るからに、もうこんなのが何回も行われてきたのだろう。
「…これはお見苦しいところをお見せしましたな。特に神保殿には初対面であると言うのに…」
六角定頼が顎を掻きながらため息をついた。
「いえ、何というかその、大変なのですな。」
「まぁ、京極殿は江北の半国守護。そして我が六角と同じく宇多源氏佐々木氏流として同族でしてな。また公方様の覚えもあり、あれでも無下に出来ぬのですよ…」
六角定頼の言う通り、六角氏と京極氏はこの時代から三百年ほど前に分かれた一族であった。
三百年も前ならもう別じゃん!?
と言いたいところだが、家柄を重んじる世であるから仕方ないものなのだ。
「しかしあれでは収まるものも収められますまい。息子の高吉も覇気を感じぬ。」
朝倉宗滴の京極親子の評価は散々のようだ。
「…そこは浅井亮政も同様に思っているようでな。それでも浅井ら江北の国人衆は京極の権威を使って勢力を強めようとしている。我が六角としては正直どうでも良いわけだが…」
「先程の御仁が振り上げた拳を下ろさぬ、と言うわけですか。」
「左様。…それに隠しておるわけでは無いが、我が足元にも色々ありましてな。正直早く帰りたいのですよ。おお、そうじゃ!」
六角定頼がパンと手を叩いた。
「今を時めく神保長職殿。出来れば浅井亮政に会いに行ってくれませぬか?」
「え、ええ…!?」
「そこな軍神殿と一緒であれば、急に斬られることも無いでしょう。我が文を認めます故、何卒お願い申し上げる。」
…むちゃぶり第二弾が来たよ、来てしまったよ。
僕は静かにため息をついた。
史実であるようで、そうでもない戦となっております。
正直書いている最中に京極氏の家督争いの進展・一五二五年の小谷城の戦の戦後が分からなくなりまして、苦しみながら創作した部となっています…




