第九話
一五二十年 八月下旬 越中氷見 狩野屋屋敷
「…さてここから本題だが、先日の答えを持ってきた。」
さて、ついにその時がやってきた。
僕としては先日の会談で言えることはいったつもりだ。
覚悟を決めて畠山義総の返答を聞くしかないのだが、もし断られたら中々に厳しい状況になってしまうな。
「長職よ、お主もまどろっこしいのは好まぬだろう。俺の答えだが…」
畠山義総がそう言いながら懐から書状を取り出した。
「我が能登守護畠山家はお主等越中守護代神保家と和議を結び、叛乱についても首謀者慶宗の死をもって不問とする。」
「は、はは! かたじけのうございまする!」
僕は平伏しながら礼を述べた。
「面を上げよ。新川郡守護代椎名家についてはお主に任す。…もし彼奴らが継戦の意志を示した場合は諦めよ。…まあ詳しくは書状に書いてあるから、これを読め。この内容にて公方様(将軍足利義稙)へ申し上げるつもりだ。」
「は、失礼致しまする。」
僕は畠山義総から書状を受け取り、封を開いた。
能登畠山家の花押がある、正式なものだ。
その内容は概ね以下のようなものだった。
・畠山匠作家(能登畠山家の事)は越中神保家を、越中国守護代の地位にあると認める事とする。
・畠山匠作家は越中神保家と五年間の停戦を結ぶ事とする。
・越中神保家は畠山匠作家による越中森寺城以北の領有を認める事とする。
うむ、これは現状で既にそうなっているから問題は無いな…。
・年始の際には越中神保家当主が七尾城に挨拶に来る事とする。
・その他相互の経済協力については別途定める事とする。
「は。当家としましてはこの内容にて問題ございません。後程私の署名と花押を記しまして、返書致しまする。」
「うむ、来月にでも公方様へ使者を遣わすつもりだから、それまでに頼むぞ。」
「かしこまりました。」
畠山義総は頷いた。
「さて俺としてはこの内容で良いのだが、少々問題があってな。」
「それはどのような…?」
「一つ目はまあ、それほど大きな問題では無いのだが、その書状の内容はあくまで越中守護家に無断で能登守護家がその方らと結んだものだ。文句は言ってこようが、在京し領国にいない者共の言うことなど捨て置けばよい。本家は畿内でモメているのだし、公方様を抱き込めば何とでもなる。そもそも公方様もお主等越中神保家に恩もあろう。」
この時代の室町幕府の将軍足利義稙は僕の祖父・神保長誠の時代に越中に滞在していた。それについてはこれ以上触れないが、少なからず恩義は感じているはずだ。
「二つ目は畠山家の方の問題だ。…前にお主が言っておったように俺の親父殿の事だよ。」
「…なるほど。」
この頃の能登畠山家の内情は複雑だ。
畠山義総の先代は畠山義元と言い、実際の続柄は叔父である。
かつてこの義元と義総の実父慶致は兄弟で守護の座を争ったのだ。
これを明応九年の政変と言う。
詳細は省くが義元が守護に復帰する際に義総がその養子となり、現在に至るのだった。
しかし実父の慶致がまだ健在である為、現在の能登は二元政治となってしまっていた。
「親父殿は本家との繋がりを気にするのでな、この和議には賛成せぬだろう。正直めんどくさい。」
「…動きまするか?」
「少し早く隠居して頂こうと思っている。俺の弟の九郎もおるしな。」
慶致は当主から外れているため、その家は庶流と言う事になる。
「しかしながら、慶致様や九郎様は良い思いをせぬでしょうな。」
「そう思うか?」
「思いまする。」
たしか畠山九郎はほかの兄弟と共に後に一向一揆と結んで叛乱を起こしたはずだ。
能登の人たちってよく叛乱を起こすよな。
まあうちも人の事言えないか。
「では俺はどうするべきだろう?」
うーん、それを僕に聞くか…?
僕は必死に能登の歴史を思い出そうとした。
「一先ずは先代の義元様に与された方々を重用なされませ。隠岐殿や天野殿が忠義の臣と存じまする。」
「ほう、なかなか渋いところを突いてくるのう。」
「御父上に与された方々は、事が済むまで遠ざけるのが良いでしょう。その際には一向一揆の動きに注意が必要ですな。」
「坊主どもは…そうだな。いずれにせよ、公方様へ書状をお届け次第動くつもりだ。その時は力を貸してくれるな?」
「必ずや…!」
「ああ、それと…」
畠山義総はニヤリと笑った。
「お主等の金儲けには俺も絡ませろ。」
越中神保家と能登畠山家の和議は成りました。(もちろんif歴史です)
しかしながらまだひと悶着ありそうですが、それについては後程。
足利義稙や畠山家のくだりは、史実で起きていたとされているものです。
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