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第八十八話


一五二五年十一月 越中氷見狩野屋別宅



「母上、お加減はいかがですか?」



越中新川郡での戦乱から一年が過ぎた。

僕はこの日越中氷見にある狩野屋の別宅を訪れていた。

狩野屋別宅は氷見の町や港を見下ろせる高台にあり静かな環境であり我がママ上の療養に適していることから、狩野屋伝兵衛に頼んで借り受けたのだ。



「おや、芳殿や松風丸は一緒では無いのですね…?」

「え、ええ。特に松風丸は元気な盛りにて、母上のお体に障りがあってはいけないと思いまして…」

「何を言ってるのです? 長職を見るより余程元気になるというものですよ。」

「そ、そんな…」

「ふふふ、冗談です。長職や、妾の為によく来てくれましたね。」



ママ上がいくぶん力のない笑顔を浮かべた。

いや僕の訪問を喜んでくれているとは思うのだが療養を始めて半年ほど…。

以前より弱弱しくなっているように見えた。



「それで長職のほうはどうなのです? 家中はいかがですか?」



僕は今年二十歳になった。

…と思う。神保長職の生まれは某ゲームでは一五〇五年に設定されている。

実際にはいまいち不詳のようなのだが自分の事なので、とりあえず某ゲームの設定で考えている。


まぁ何が言いたいかと言うと、ママ上にとって僕はまだまだ子供なのだ。

出産年齢が早いこの時代だからママ上もまだまだ若いと思うのだが、戦国時代の平均年齢からするとその人生は最早終わりの方が近いのだ。



「ええ。我が家臣達はよくやってくれています。昨年の(いくさ)の爪痕もまだまだ大きいのですが、家臣達の協力を得て復興を進めておりますよ。」

「家臣達の協力あっての神保家と心得なさい。それを忘れてはいけませんよ。」

「はい、彼等は俺には過ぎた者達ですよ。」

「そうですね…。ご、ゴホ!」

「だ、大丈夫ですか!?」



ママ上が咳込み始めた。

僕はママ上に近付いて背中をさすった。

戦国時代の武士がこのような事をするイメージは無いし目の前の女性は僕の”意識”としての母親では無いのかもしれないが、それでも神保長職の母だ。



「ゲホ…。あ、ありがとう。あなたに背中をさすってもらうと楽になりますね…。医師が処方してくれるどんな薬よりも効果がありますよ。」

「ははは、何か気恥ずかしいですね。」



僕は精一杯の笑顔で答えた。

…医師の薬があまり効いていないのだろうか?

療養を始めたころ、医師は大事無いと言ったいたのだが…。



「そういえば、今朝は久々に殿の夢を見たのですよ。」

「…父上の、ですか?」



ママ上が言う殿と言うのは、父・神保慶宗の事だ。



「殿が亡くなってから五年が経ちました。その後妾は何としても神保家を潰してはならないと思っていましたが、殿の跡を継いだあなたはここまでよくなってくれましたね。殿と妾の自慢の息子です。」



…ここまで褒められるのは正直初めての経験だ。

しかしこういうのはフラグと言うものだ。

いや、フラグになんてなって欲しくない。



「母上にそこまでお褒め頂くとは…。しかし俺はまだ到底父上には敵いますまい。特に武芸はからっきしでして…。」

「そうですね。あなたは武芸の才能は無いようですね。あの遊佐総光殿が嘆いておられましたよ。こんなに筋が悪いのを見るのは初めてだと。」

「んぐ、本当の事を…!」



これは本当の事だから仕方がない。



「しかしそれでもあなたは優秀な家臣を得、懸命に越中を守ってくれましたね。…殿では出来なかったことでしょう。それに畠山様からあんなに可愛い芳殿を嫁に貰ってきてくれて…。もうあれから五年も経つのですね。」

「ええ。母上と芳は本当の親子の様でしたね。」



ママ上は芳の事を本当の娘の様に可愛がっていた。

芳も良く懐いていたし、僕もそれが嬉しかったんだ。



「そしてあなたには世継ぎの松風丸も生まれました。…これで神保家も安泰ですね。」

「…松風丸には健やかに育ってほしいと思っておりまする。」

「そうですね。これ妾も安心して…」



いや、待て。

変な言葉は聞きたくない。



「…母上。芳にも松風丸にも、まだまだ母上が必要にございまする。まずはお体を治していただかなくては。」

「…そうですね。あなたにも、そんな顔をさせて、妾は母失格ですね。」



そんな顔?

それはどんな顔だろう。

幸いにもこの部屋には僕とママ上以外誰もいないから、僕のそんな顔を誰かに見られる心配はない。

だがその顔はとても情けない顔であったのだろう。



「…長職、次はいつ頃訪ねてきてくれますか?」

「国の差配もありますが、何事も無ければ年末までにはまたお加減をお伺いしとうございまする。」

「そうですか。今年の年末はあなたや芳殿、松風丸と一緒にゆるりと過ごしたいものですね。」

「はっ、必ずや。」



僕は小さくなったママ上の背中を支えながら、その手を優しく握った。



…この年の十二月。

僕は約束通り、芳や松風丸と共に狩野屋別宅にママ上を訪ねた。

ママ上は精一杯の笑顔を、僕達家族に向けてくれた。

ママ上はこの頃はかなり食が細くなっていたはずなのだが、団らんの場では楽しく食事をしていたようだった。

ママ上は家族との思い出をかみしめるように、その日その日を過ごしたのだ。


そしてママ上は年を越す事なく、父上の元へ旅立っていったのだ。

享年、三十九。

現代の基準からすると早すぎる死だ。

だが前に述べた通り、この時代の平均寿命からすると死んでもおかしくない年齢と言えた。


脆弱な医療体制を少しでも充実すべく動いてきたつもりだったが、それでも自分の母親を長生きさせられなかった。

これはより一層の至上命題としていかなくてはならないだろう。






ママ上が旅立っていきました。

戦国時代の平均寿命は三十七くらいだと言われています。

神保長職の母親は不明の為、本作におけるママ上は架空の人物設定となっておりますが、三十九での死はそれなりに生きたほうだと思われます。

それほど医療体制が脆弱だったと言う事ですね

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