第八十四話
一五二四年十一月 越後直江津
長尾為景との戦が集結してから二週間ほどが経過した。
この日、僕は越後守護上杉定実及び長尾定長と戦後処理の為の会談を行うべく越後は直江津の港を訪れていた。
なお長尾為景配下の将兵は既に越後に送還されていた。
無言の帰国となった長尾為景の遺体も同様だ。
僕には長尾為景が自害するなんて思いもよらぬ事であったのだが、いったい何があったのか?
長尾為景だが越後への送還の準備が出来るまで、松倉城で拘束されていた。
その時僕は氷見の方に滞在していたので直接見ていたわけでは無いのだが、松倉城へ移送された当初は大人しくしていたようだ。
しかし数日後の朝、朝餉を出すために世話係が牢を訪れたところ、舌を噛み切ってこと切れた長尾為景が発見されたそうだ。
特段争った跡は見受けられなかったらしい。
まさかこんなことになるとは…。
僕は直に長尾為景が嫡男である長尾定長へ文を送った。
長尾定長からは捕虜の将兵を送還する際に長尾為景の遺体を一緒に国に帰してほしいとの返書だったので、越中に戻っていた朝倉宗滴に護衛と監視を頼み越後に送ったのだった。
しかしこの長尾為景の死と言うのは実に重大な出来事と言えるのだ。
長尾為景の息子たるかの有名な「越後の虎(龍)」とも呼ばれた上杉謙信(長尾景虎)の生誕は一五三〇年である。そう、今は六年も前なのだ。
にもかかわらず長尾為景は亡くなってしまった。
つまり、この歴史において上杉謙信(長尾景虎)が生まれる事は無いのだ。
僕は神保長職として意識を回復してから数年が経つが、今までで一番の歴史改変と言っても過言ではあるまい。
いったいこの後の歴史はどうなってしまうのだろう???
「畠山義総様、神保長職様。ようこそいらっしゃいました。さ、こちらへ。」
さて話を戻すが、僕は義兄である畠山義総と会談に臨んでいた。
他国との会談なので相手方も守護が出てくる以上ここには本来の越中守護たる畠山植長が居てほしいものだが、畿内で権力闘争に身を置いている御屋形様なぞハッキリ言って当てにならない。
畠山義総はその一族ではあるし僕と義兄弟でもあるから、言わば代行として同道してもらった。(決してブラコンでは無いよ?)
上杉家の家臣に案内され、僕達は会談場所である寺院の一室に通された。
そこには既に越後守護上杉定実と長尾定長が待機していた。
僕達はその対面に腰を下ろした。
「畠山殿、神保殿。よう参られた。」
上杉定実が口を開いた。
「上杉殿。此度は貴国の守護代たる長尾為景の軍の侵攻についてが議題でござる。挨拶も良いのだが、早めに話を進めて参りたい。」
畠山義総が上杉定実の言葉を遮るように応じた。
今回は相手方の立場の方は強くない。
「そ、そうであるな…」
「此度の戦は我が義弟が越中守護代として長尾為景の侵攻を撃退致した。しかしながらその犠牲と損害は決して小さくない。…長職。」
「はっ…」
畠山義総に話を振られたので、僕はその後に続いた。
「我が神保家は長尾為景の侵攻に対し多大な犠牲を持って抗戦致しました。一時的に占領された魚津城から東の被害は大きく、復興まで少なくとも三年は要すると見ております。」
我が軍の焦土作戦については触れない。
これは交渉だからな。
「…貴殿の要求を聞こう。」
上杉定実が顔をしかめた。
「我が方から金銭的な部分での賠償は求めませぬ。…しかしながら私としては三点の要求をさせていただきたく考えております。」
「その要求とは…?」
上杉定実の問いに対して、僕は書状を取り出し前に広げた。
その文面に書かれているのはこうだ。
一つ、我が神保家は公方様に対して越中守護職への任官を要望する故、それに対する支持をお願いしたい。
一つ、長尾家当主を長尾定長とすることを求め、引き続き長尾家を守護代として頂きたい。
一つ、此度の我が神保軍の軍事行動にて占領した越後不動山城より以西についての領土割譲を要求する。
「こ、これは…。しかし貴殿は我が上杉に対して戦中に書状を認めたでは無いか。」
「はい。しかし私としてはもう少し我が方に寄り添った行動を期待していたのですがね…」
「ぬ、ぬぅ…」
上杉定実はますます表情を曇らせた。
まぁ上杉定実からしたら無茶な話であるとは思う。
長尾定長はここまで目を閉じ黙したままだ。
「二つまでは良い。だが三つめは…」
「…御屋形様。」
ここで初めて長尾定長が口を挟んだ。
「…何じゃ、定長。」
「ここは神保殿の要求を呑むべきでござる。我が方としては父上、いえ、長尾為景を止める事が出来なかったのも事実にございます。越後最大の力を持っていた長尾為景が死に、越後はまだまだ混迷が続くでしょう。」
「む、むう…。まずはお前が長尾家を纏め上げることが最優先か。」
「…長職様。」
長尾定長が僕の方を向いた。
「何でしょう、定長殿。」
「越中は御屋形様と我が長尾家をお助け下さいますでしょうか。」
「…越中東部の復興に道筋がつけば必ず。」
「…ありがたき幸せ。」
「ふむ、致し方なしか…」
上杉定実がそう言いながら力なく息を吐いた。
◇ ◇ ◇
「長職様。」
会談後、寺院の外で長尾定長に声を掛けられた。
「む、何でしょう。定長殿。」
「この度は我が父の暴挙により多大なご迷惑をお掛けし申し訳ございませんでした。」
長尾定長が深々と頭を下げた。
「あ、ああ…。しかし俺は定長殿に責があるとは思っておりませぬよ。」
「それでも、です。これはケジメでありますから…。しかし一つだけ長職様にはお聞きしたいことがございます。」
「何でしょう?」
「我が父、長尾為景は強き武将でありましたでしょうか?」
「ふ、ふぅむ…」
僕は腕を組みながら息を吐いた。
「…強き武将にござった。普通に戦ったとしたら、我が軍はおそらく勝てなかったでしょう。俺も命が無かったかもしれませんな。」
「…そうでございましたか。」
「貴殿の父の命を奪う事になった俺は恨んではおりませんか?」
「そのようなことはございませぬ。」
「そうですか。」
「ええ、そうです。」
この日、長尾定長が越後守護代長尾家の跡を継いだ。
史実より十六年近くも早い家督相続となったのだった。
歴史が大きく動きました。
しかし越後守護上杉家の凋落はこの歴史でも変わらないことでしょう。




