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第八十二話


一五二四年十月 神保軍陣中



「ぐ、んぐぐ…」



僕・神保長職の前で後手に縛られたザンバラ髪の武将が唇をかみしめながらこちらを睨みつけて来た。

その後方には若侍が黙しながら俯いていた。



「…まさかこのような形で再開するとは思いもよりませんでした。」

「儂もだよ。…神保の小童め。」



そう、僕の眼前で拘束されているのは長尾為景だったのだ。




◇ ◇ ◇




話は少し前に遡る。

神保軍と長尾為景軍の戦は遅滞戦術・縦深防御、そして長尾為景軍の兵站線破壊の作戦により、着実に長尾為景軍を追い詰めていった。

そしてついに兵糧などの物資不足に陥った長尾為景軍は撤退を開始、好機と見た我が軍は侍大将・遊佐総光が率いる本隊が追撃を開始し、長尾為景の殿軍に対し確実に大打撃を与えていた。

その中長尾為景軍が一縷の望みを掛けて向かった同軍の海岸線陣地は、“どういう訳か”既に破壊されていた。

それを見た望みを絶たれた長尾為景軍は反転し、我が神保軍と相対しようとしていた。

だが少しして同軍が突如白旗を上げたのだ。

結果長尾為景ら主だった武将が捕らえられ、約四千余り残った兵は武装解除させられたのだった。




◇ ◇ ◇




「じ、神保長職様に申し上げまする。我等は越後への撤退の道を断たれ、降伏し申した。我が首をもって、部下の将兵を国へ帰らせていただきとうございまする!何卒!何卒…!」



先程まで黙していた若侍が目を見開きながら懇願してきた。



「貴殿は、えーっと、直江実綱殿と申したか。」



僕よりも少し若いと思われるこの直江実綱はそう、かの有名な直江兼続の義父にあたる人物である。

(もっとも直江実綱の死後にその娘・船を娶って家督を相続したため、血縁では無い。)



「フン、裏切り者が何を言うか。」



その様子を見た長尾為景が直江実綱を嘲笑した。



「…裏切り者とはどういう事でござるかな?」



僕は二人の様子を見ながら言った。



「神五郎めは儂が武門の意地を掛けて貴様に一矢報いようとした矢先に、儂に邪魔立てしおったのだ。こやつが邪魔さえしなければ、長職、貴様の命を貰い受けたものを!」



捕らえられてなお、長尾為景の目は光を失っていなかった。

これが猛将と言うものか。

僕は長尾為景を見てから直江実綱に視線を移した。

直江実綱は言い訳するでも無く、静かに視線を落としていた。



「ふぅむ。長尾為景殿はそう仰るが、俺にはこの直江実綱殿が裏切り者とは思えませんな。」

「何だと…?」

「もし直江実綱殿が貴殿をお止めなされなければ、我が神保軍は貴殿等の将兵を皆殺しにしなければなりませんでした。直江殿は身を挺して長尾家の将兵の命を救われたのですよ。まさに長尾家にとっての忠臣を言えるでしょう。さて、直江殿。」



僕はすくっと立ち上がると太刀を抜き、そして直江実綱の眼前に突き刺した。



「貴殿はその命を持って配下の将兵を救いたいと申された。その言葉に嘘偽りは無いか?」

「は、その通りにございます。」

「では貴殿の主についてはどうされたい?」

「…殿はまだ越後に必要な御方です。出来れば御赦しを賜りたく。」

「…と直江殿は申されているが、長尾為景殿はどうされたいか?」



僕は横目で長尾為景を見た。



「ふん、儂等斬り捨てれば良かろう。この裏切り者共々な!。あとは好きにせい。」



長尾為景は僕だけでなく、直江実綱も睨みつけて来た。



「分かり申した。まぁしかし、聞かれるまでもなく俺は貴殿や直江殿を斬るつもりはありませんよ。貴殿や生き残った将兵はこのまま越後へ送り返します。」

「貴様はこの儂に生き恥を晒せと言うのか…!?」

「俺にとって貴殿の生き恥なぞどうでもよろしい。まぁ貴殿は我が友人である長尾定長殿の御父上であるから、その後の沙汰は長尾家中にて決めるがよろしかろう。この戦の戦後処理は、まぁ貴殿等が越後に帰った後になるでしょう。」



僕はそこまで言って右手を顎に当てた。



「しかしこのまま直江殿を越後に戻せば、長尾為景殿は直江殿を粛清しようとされるかもしれぬな。…俺としてはここまでの人物を見殺しにするのは忍びない。そうだ、直江殿は我が神保家が貰い受けましょう。」



この直江実綱は史実では上杉三代にわたって仕えた宿老で有能な人物であったはずだ。

これはチャンスだ。



「フン、好きにするが良い…」



長尾為景が声を絞り出すように言った。



「よし話はもう済み申した。長尾為景殿以下、将兵を越後に移送できるようになるには数日掛かるでしょう。為景殿ら主だった方々は拘束させていただくが、御命は保証させていただくからご安心めされい。…連れていけ。」



僕が命じると、長尾為景等が陣の外に連れていかれた。

そして目の前には直江実綱が残された。



「さて直江殿。俺は貴殿を召し抱えたいわけだが、一応貴殿の気持ちも聞いておこうか。」

「…その前にお伺いしたい事がございますが、よろしいでしょうか?」

「ふむ、何であろう?」

「此度の神保様の軍の動き、これは神保長職様が考えられた策にござりましょうか?」

「んああ、あれは俺だけじゃないよ。まぁ大枠は考えたけど、俺には勿体ない優秀な部下や盟友がいてこそ成った策だと思っている。」

「なるほど。ご自身だけの策では無い、と仰られるのか…。これは敵いませんな。」

「うーん、だけどなあ。長尾軍が海岸に構築していた陣地と船、あれを破壊したのはおそらく俺達神保軍じゃないんだ。あれはどういう事だったんだろう? …まぁそれはその内分かるだろうさ。で、直江殿の気持ちはどうだ?」

「いえ、私としてはお声がけを頂き恐悦至極にござりまする。是非とも神保家が末席に加えてくださいませ。」



直江実綱がその場で頭を下げた。

ようし、優秀な家臣をゲットできたぜ!!!!














長尾為景軍との戦が集結しました。

このあとは戦後処理となるでしょう。

しかし魚津城周辺は作戦とは言え荒れ地になってしまったので、復興が大変そうですね…

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