第八十一話
一五二四年十月 越中東部
「・・・」
「・・・」
神保軍と長尾為景軍が開戦してから四カ月か経過した。
長尾為景軍の本陣は重苦しい雰囲気に包まれていた。
開戦初期の長尾為景軍は一万一千の兵を擁し、優勢に戦いを進めていた。
長尾為景軍は現代で言うところの富山県入善町付近に上陸後、撤退を重ねる神保軍を追い立てながら早月川付近まで進出することが出来た。
しかしそれは神保軍の罠だったのだ。
神保軍は自軍の損害を極力少なくできるように行動し、反面長尾為景軍は思いもよらぬ損害を重ねた。
また別動隊にて兵站線の破壊を行った。
それにより長尾為景軍は一切の補給を受けることが出来ず、兵糧もほぼ底を尽きた。
そして武具の補給もまったく出来なかった。
敵地で徴発できるものも何も無かった。
「もはや兵糧の残りは僅か。魚津城周辺の前線の兵は飢餓に喘いでおります。」
「南東部の部隊は変わらず敵の弓部隊による夜襲を受け、壊滅状態に近い模様です。」
華々しい戦果を聞くはずであった報告は、今はもう悪い情報ばかりだ。
「神五郎よ、儂らはどこで道を誤ったのだ。神保等我が精兵の敵では無かったはずでは無いか…!?」
長尾為景が拳を強く握りしめながら声を絞り出した。
「…我等は敵の策に嵌ってしまったようです。親不知子不知の街道を破壊したのも神保家だったのでしょう。…大平峠も奴らに封鎖されていたのでしょうな。」
大平峠と言うのは親不知子不知の南方にある峠だ。
海路での補給が届かない事を受け、長尾為景軍もここを通して春日山城方面に使いを出したのだが…。
「…春日山への繋ぎを取ることもかないませんでした。」
「そもそも何故海路での補給が来なかったのだ!?」
「…分かりませぬが、おそらく神保の別部隊が何か活動していたのでしょう。推測でしかありませぬが、越後国内で何か起きていたのでしょうな。」
「ぐ、ぐぬぅ…!」
バキッ!!
長尾為景が自分の扇を圧し折った。
「ご、御注進!」
伝令が本陣に入ってきた。
「…申せ。」
「はっ…! 早月川対岸の神保軍が渡河し前線部隊を襲撃、我が軍は迎撃態勢を取り切れず混乱を来たし、そ、その…」
「何だ、最後まで言わぬか!」
苛立つ主の代わりに直江実綱が応じた。
「ぜ、前線部隊を率いていた中条様、安田様がお討ち死になされた模様にございます。」
「何だと…!?」
中条…、中条藤資と言えば揚北衆の中で長尾為景と同盟を為した将である。
長尾為景軍の中で重きをなした人物で史実であれば後に上杉謙信にも仕える筈だった。
この時代中条藤資に嫡子は無かった。
安田…と言うのは安田実秀と思われる。
(ただ安田実秀は死亡時期に諸説ある為、違う可能性もある。)
「殿、もはやこれまでにございます。我が軍はまだ数はおりますが兵糧も武具の替えも無く、敵が本腰を入れて攻勢に出れば…!」
直江実綱が主・長尾為景の前に出て訴えかけた。
「…我が軍の敗けか。」
「少しでも多く春日山に帰らねばなりません。…よろしいですな?」
「・・・」
格下と考えていた神保家にこうなるとは、屈辱以外の何物でもないことだろう。
長尾為景が黙したまま動かなかった。
しかし直江実綱はそれを無言の肯定と受け取った。
「よし、我が軍は越後へ退却する! 陣を畳み、出立する準備を行うのだ!」
「「「はっ!」」」
長尾為景軍が退却を始めた。
◇ ◇ ◇
長尾為景軍は開戦当初に上陸した浜へ向かっていた。
そこには簡易的であるが陣地が構築されていて越後から上陸したときの船を係留していたからだ。
「…神五郎。」
「はっ!」
「いか程の兵がついてきている?」
「正確には数えておりませぬが、おそらくは五千程になりましょうか。」
「半数以上がやられたか…」
一度崩れ始めた軍は脆いものだ。
準備万端整えていた神保軍の撤退戦のようにはいかない。
撤退中も時折襲撃を受け、殿軍も大きな被害を受けていた。
「な、あれは…!?」
「く、神保めぇぇ!」
長尾為景軍の海岸線陣地は既に襲撃され、船は打ち壊されてしまっていた。
越後で動いていたであろう別動隊が戻ってきたのだろうか?
船が無ければ越後への撤退も叶わぬことを意味していた。
「ここより東方に千五百程の敵兵が居る模様!」
「南からも敵の追撃が接近中!!!」
悲壮な報告が飛び交っていた。
「…反転だ。」
長尾為景が腰の刀を抜いた。
「もはや覚悟を決めなければならぬ! 長尾家当主の意地を見せてくれよう!」
「と、殿…」
直江実綱が見た主・長尾為景の表情は、まさに鬼そのものであった。
神保軍と長尾為景軍の戦いも終盤です!
ちなみに安田実秀ですがこの時期既に死去していると言うような情報もありますがそれだとその息子安田 長秀の誕生時期と合わないので、この小説ではこの時期存命しているものとしました。




