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第七十九話


一五二四年八月 越中東部の戦い




「御味方、中条様の隊が魚津城を攻略したとの事です! 敵・神保勢は早月川の向こうへ後退したそうです。」

「「「おおおおお!!!」」」



長尾為景軍にとっての朗報がもたらされた。

それを聞いた兵達の、言わば勝鬨のような声があたりに響いた。



「敵の本陣は川の向こうか?」

「いや、南の松倉城に本陣があると言う話もあるぞ。」

「何だ、魚津城からは一里程、目と鼻の先では無いか!」



長尾為景軍の陣中は総じて明るい。

魚津城攻略と言う戦果を上げているのだからそれはそうだろう。



「殿…」



陣中に広がる浮かれた雰囲気の中、総大将である長尾為景に小声で話しかける武将がいた。

直江神五郎実綱である。



「神五郎か、どうした…?」

「少々よろしいでしょうか。気になることがございます。」

「…ふむ。」



長尾為景が椅子から立ち上がり、直江実綱と陣幕の裏側に回った。



「気になる事とは何じゃ。これより陣を畳み次第魚津城に入り、軍の再編成を行うべきであろう。」

「…それでございますが、気になること二点ございます。」

「…申せ。」

「はっ。まず一つ目ですが確かに我が軍は順調に戦果を上げているように見えます。…しかしながらそれに比べて我が軍の損害も大きいように思えます。」

「どういう事じゃ?」

「はい。敵はのろのろと戦いながら次第に後退、早月川の向こうと松倉城方面に分かれて下がったものと考えられます。ここに至るまで、我が軍は二千程の兵が死傷したものと思われます。…これは一度集結してみないことには正確には分かりませんが…」

「…敵の損害は?」

「分かりませんぬ…」

「むう…。それで二つ目は?」

「は、損害もそうですがこちらが大きな問題にて…」



直江実綱が顔をしかめた。



「兵糧が残りふた月分もありませぬ。武具も予備が少なくなり申した。」

「そ、それは何故だ!?」

「外縁の部隊が頻繁に夜襲を受けております。敵はまともに戦うでも無く火矢を射掛け、早々に退却するとか。…また越後からの船による補給が全く届きませぬ。」

「何だと? 春日山等へ繋ぎは取っているのだろう?」

「は。しかしながら音沙汰が無く…」

「では占領した地から物資の徴発をすれば良かろう!」

「…それが既に田畑は焼かれ、魚津等の町等には人の姿も無く、蔵なども打ち壊され何も徴発できませぬ。」

「ば、馬鹿な。…神保めは自らの地を壊して退却していったのか?!」

「考えたくありませんが、我が軍は敵の地で兵糧攻めに遭っているようなものにございます。」

「ぬ、ぬう…」



長尾為景が拳を握り締めた。

確かに黒部川東に上陸して以来、長尾為景軍はいくつかの町を制圧してきた。

それらも同じような状況だった。

しかし普通に考えれば重要な拠点であるはずの魚津はそんな事は無いと考えていた。



「…この事は他の者共には?」

「まだ話しておりませぬ。魚津にいる中条殿の隊と我等以外は知らぬものと。」

「まだ伏せておれ。兵どもの士気に関わる。それと確か親不知子不知の南に峠道があったはずだ。これを使い急ぎ越後へ繋ぎを取るのだ。」

「御意。すぐに取り掛かります。」



直江実綱が一礼して駆けて行った。

しかしこれは時すでに遅し、だったのである。




◇ ◇ ◇




「さて、ここまでは何とか作戦通りかの。」

「敵が魚津城を奪取してから少し動きが鈍くなったようですな。」



ここは早月川と幾つかの塹壕戦の後方にある神保家の陣が置かれている場所だ。

ここに詰めるは侍大将の遊佐総光、椎名康胤らである。

この部隊を含め、このあたりには五千程の大部隊が布陣していた。



「椎名殿…、いや慶角殿がうまく立ち回ってくれたようだな。」

「は。父のお陰で面目が立ち申した。…しかしながら父の隊中心に我が軍にも八百程の死傷者が出ております。父の隊は後方に下がって再編中です。」

「松倉城の殿の隊を含め、我が軍は七千七百程だな。厳しい戦いには変わりないか。」



遊佐総光が腕を組んだ。

松倉城方面には主の神保長職が二千の部隊を置いていた。

松倉城は山城であるから平地を守るこの部隊に大多数を振り分けていた。

薬売り(ちょうほういん)の調べでは、長尾為景軍は未だ九千程の兵力を有しているようだ。



「ここが踏ん張り時ですな。」

「その通りだ。殿が仰るには朝倉宗滴殿らの隊が越後で暴れているらしい。…どうも長尾為景の軍の補給線と叩いているんだそうだ。」

「越後…と言えば敵の地であるのにどのようにして活動されているのか…。」

「さぁな。そのあたりは儂には分からん。だが敵の動きが鈍くなってきたのはそのあたりの影響があるのだろう。」

「敵がそれに気づけば違う動きを見せるかもしれませんな。」

「それも織り込み済みなのだろう。儂らはそれを信じ、手筈通り動くだけだよ。」

「心得ております。」



遊佐総光の言葉に椎名康胤が頷いた。

街道筋の破壊工作、幾重にも張り巡らせた防衛線、縦深防御。

主・神保長職は自らの武勇はいまいちでありながら、昔ながらの武将にはなかなか思いもよらぬ作戦を思いつく。

これで剣や槍の腕を磨けばより輝くものなのだが。








開戦から二か月超となりました。

兵力で見れば未だ長尾為景軍が優勢となりますが、小さなほころびが見えてくるところでしょう。

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