第七十七話
一五二四年六月 越中東部
「陸の方はどうか!?」
「物見によりますと、海岸線への敵防衛陣地構築は見当たりません。」
「ようし、まずは我が隊を上陸させ本隊への足掛かりとする!」
「「「おう!!」」」
ついに長尾為景軍が海から越中へ来襲した。
その総兵力は一万一千。
長尾為景軍は現代で言うところの富山県入善町のあたりに上陸を果たした。
このあたりに神保軍は防衛陣地を構築していない。
南に行けば越中舟見城が存在しここには神保軍の弓騎兵が二百程詰めているが、この部隊は遊撃隊だ。
この部隊に防衛戦闘を行うようには命令されていない。
神保軍の第一防衛ラインは黒部川を前にして準備されていた。
もちろん長尾為景軍は神保軍の防衛体制について知る由も無いが、歴戦の軍である彼等は自信に満ち溢れていた。
それを物語るかのように長尾為景軍の先遣部隊は神保軍から大した抵抗を受けることなく南に浸透していった。
「ふん、神保家の奴らめ。他愛もない連中よ。」
「たまに嫌がらせの様な夜襲はあるようだが。」
「黒部川向こうには敵軍の陣地が見えます。あれは…、神保家家臣、椎名家の旗があるようです。数は千から二千と言うところですな。」
「ふむ、我が先遣部隊だけでは抜くことは出来んな。よし、殿に伝令を出せ。上陸は順調。黒部川向こうに敵あり後続を待つ、とな。」
先遣部隊の部隊長が部下の報告を受け慣れたように情報分析し、必要な伝令を出していった。
(たまに騎馬部隊が夜襲で弓・火矢を射かけてくるようだが損害は軽微だ。殿に報告するまでも無かろう。)
彼は名のある将と言うわけでは無いが他家に行けば高禄を貰えるかもしれない歴戦の将であった。
それが彼に油断を生んだのだった。
◇ ◇ ◇
一五二四年六月 越中松倉城
「御注進!」
「何だ!?」
「長尾為景軍、黒部川の東へ上陸したとの報にございます!」
「き、来たか!」
僕は思わず自分の膝を叩いた。
そうせずにはいられなかった。
「概ね、予想通りの上陸地点にございますな。」
新川郡の統治を任せている椎名康胤が僕の方を向きながら言った。
「うむ、黒部川の第一防衛線は慶角が率いていたな。」
「は。父上が千五百の兵にて布陣しております。」
「よし、作戦通り慶角には無理に防衛戦闘せず、徐々に後退しながら戦うように触れを出せ。側面は狩野三郎慶広の弓騎兵を回す。」
「心得ております。」
「…のう、康胤よ。」
「何でございましょうか?」
「お前の御父上は非情になれるか?」
「…所領の田畑や城を焼き払う事について、ですか?」
「そうだ。」
慶角、つまり椎名慶胤は長年、新川郡守護代としてこの地を治めて来た。
その地を焼き払う事について情が邪魔しないだろうか?
「…出来ねば我が父の忠義がそれまでだったという事にござる。かような事になりますれば、その息子たる某をお斬り下され。」
「…すまぬ。余計な事を聞いた。」
「いえ、殿の懸念は最もにございます。…では某は我が持ち場に向かいまする。御免!」
椎名康胤は頭を下げると、軍議の間を出て行った。
この作戦は椎名親子や領民に大きな負担を掛けるものだ。
何とか戦いに勝利し、必要なケアをしていかなければならないな。
「藤助! 居るか?」
「ここに!」
越後方面の薬売りの頭である藤助が音もなく姿を現した。
「長尾為景が黒部川東部に上陸した旨、越後に向かった朝倉殿に伝令を出してくれるか。」
「承知いたしましてございます。」
「ああ、そういえば藤助。」
「は、何でございましょう?」
「俺が認めた越後守護上杉定実様や長尾定長殿には無事渡っておるか?」
「はい。我が手の者によって届けられております。…しかし殿は文の返書は求められませんでしたが、よろしかったのですか?」
藤助の問いに僕は腕を組んだ。
「此度は我等と長尾為景の戦だからな。」
「しかしながら守護の上杉様やかの長尾為景の嫡男である長尾定長様が戦を止める動きを事前に致さないというのは…」
「あくまで神保家の希望は二人に伝えたのだ。どう動かれるかはそのお二人次第であろう。」
「それはそうですが…」
「まぁ少なくとも敵にはなるまい。…それに朝倉殿等であれはうまくやってくれるはずだ。」
防衛戦闘以外の作戦が、今頃越後方面で始まっているはずだ。
それについては朝倉親子を信じて任せるしかない。
僕に出来る事は、まず越中に上陸してきた長尾為景軍に相対し、どうにか少ない犠牲で敵に出血を強いる。
それだけだ。
ついに神保家対長尾為景軍の戦いが始まりました!




