第七十五話
一五二四年四月 越中氷見狩野屋屋敷
翌日、僕は管領・細川高国を伴って越中氷見の狩野屋屋敷を訪れていた。
細川高国に、我が妻の芳と嫡男松風丸を合わせるためだ。
芳と松風丸については長尾為景の侵攻計画を察知してから氷見に滞在させることとしていた。
ここは軍事拠点では無いが我が畠山義総も援軍として近くに五百を駐留させてくれてるし、船も出せる為守りやすいという判断だ。
(築城中の越中城ヶ崎城も計画の七割まで出来上がっていたしその準備と言うのもある。)
「管領様、我が妻は松風丸に乳を与えている最中でしてな。大変申し訳ございませんが、半刻程こちらでお待ちいただきたく…。」
「ほぉ。貴殿の家では乳母を使わんのかね?」
「いや、居るには居るのですがこれは某の意向でして、子には等しく愛情を向けるべきと考えているのですよ。」
この時代、嫡男は乳母に養育してもらうのが武家の常識だ。
これは実母は我が子に愛情を掛け過ぎてしまい武家の棟梁として軟弱な人間に育ってしまうとかそんな理屈を聞いたことがあるが、現代人であった僕からしたらナンセンスな話だ。
もちろんこの時代のお産で命を落とす女性がそれなりにいたとか乳母の家は嫡男の側近になり得るとかいろいろな事情もあるのだろうが。
「なるほどな。長職殿の考えは実に先進的とも言えるし、異端的とも言えような。儂の様に古い人間にはなかなか理解しがたいものだが。」
「管領様は某の様な考えはお嫌いでしょうか?」
「そこまでは言わん。考えが違うだけで全て否定していては周りは敵ばかりじゃ。」
まさか周りに敵を作って権力を手にしたはずの管領からこんな言葉が出るとは思わなかった。
「…まさか管領様からそのようなお言葉をお聞きするとは。」
「ははは、言うじゃないか。」
しまった、つい本音が出てしまった。
これはマズイか??
「こ、これは失礼を…」
「いや、長職殿のように率直にモノを言える若者は好ましい。儂は嫌いじゃない。」
細川高国がのそっと立ち上がって僕に近付き眼前に座り込んだ。
そして右手で僕の肩を叩いた。
「…のう、長職殿よ。儂の味方になってくれんか?」
「管領様。…元より我が神保は敵対してると思っておりませんが…」
「そうではない、長職殿なら分かるだろう?」
分かる、分かるからこそ簡単には答えられない問いだ。
「は、それは…」
「儂は四十になった。この世ではもう若い者とは言えぬ。…色々あったが公方様を仰ぎ、ここまで来たのだ。」
「…管領様は某に何をお望みなのですか?」
「儂にも嫡男・稙国がおるがあれは病弱でな。儂の事業を継いで行けるとは正直思っておらぬ。」
…確か史実では一年後に高国が出家し、稙国が細川京兆家を継いだはずだ。
だがその年のうちに死去してしまい、高国が再度当主に戻ったのだ。
「それに畿内はいまだ魑魅魍魎だ。畿内の有力者皆が見果てぬ夢を見ているのだな。」
それは歴史が証明している。
「…ならば選択肢は多い方が良い。いろいろな意味でな。」
「管領様はもしや…」
そこまで言い掛けた時、
「殿、御方様が参られます。」
狩野屋の手代が部屋の外から声を掛けて来た。
「うむ、そうか。通してくれ。」
「は…!」
手代が廊下を駆けて行った。
「管領様、妻が参るので今の話は…」
「ああ、急いで返事をくれとは言わぬ。神保家には色々と便宜を図ろう。…ああそれと、我が義理甥をよろしく頼む。」
少しして我が子・松風丸を抱いた妻の芳が部屋に入ってきた。
「これは管領さま、お待ちいただいて申し訳ございません。」
芳がぱたぱたと早歩きでこちらに向かってきた。
「いやご亭主殿と色々話が出来たのでな、問題無いよ。…おお、その子が松風丸か。可愛いのう!」
細川高国がまるで親戚のおじさんのようなデレた顔になった。
「管領さま、抱っこしてみますか?」
芳がにこにこしながら細川高国に問いかけた。
「おお、良いのかね…? ではお言葉に甘えるとするかの。」
僕としては内心「ええええ!?」って気持ちになった。
細川高国はおっかなびっくりというようか手つきで我が子を抱き上げた。
「管領さま、抱っこ上手ですねえ。さっき伝兵衛おじさんが抱いたら凄い泣いたんですよ。」
「そ、そうか。うまく抱けているかね!?」
細川高国は変わらずデレデレ顔だ。
もはや何も言うまい。
様々な戦いを経て大きな権力を得てきた人物の一端を垣間見たのかもしれない。
数日風邪をひいておりました(まだ治っていません)
細川高国おじさんはこのあとも畿内での争いの中に身を置くことになりますが、少し気がまぎれたかもしれませんね。




