第六十七話
一五二三年五月 越中西部・大永の役
「ぬぉおおおおおおお!!」
「ガ、ガフッ!!!!」
開戦して数日が経過した。
辺りに激しい剣戟の音、歓声、悲鳴、怒号…。
大きな戦いの音が木霊していた。
前から迫ってくるのは加賀一向一揆の軍勢だ。
対する神保軍は防護柵、塹壕の背後にて必死に防衛行動を行っており開戦前は兵力で五千ほども勝る敵軍に対して、戦況としては良く守れているとは言えよう。
軍の質としても神保軍のほうが勝ってはいるのだが、それでも犠牲は少なくない。
「戦況はどうか?」
「は! 我が軍も良く耐えてはおりますが、彼奴等の勢いはいまだ衰えず…」
「ぬぅ、これ程どはな…」
そう、これ程とは思わなかった。
加賀一向一揆は死ねば極楽浄土に行けると信じ戦っている。
その<信心度合い>が高いほど死を恐れないのだ。
彼等はまさに死兵となり捨て身の攻撃を繰り返し、何度でも立ち上がってくる。
調略も通じず、指導層が死ねと言えば喜んで死ぬことだろう。
「我が軍左翼側の状況が比較的良くないようでござる。」
「弓騎兵を回せるか?」
「いや、弓騎兵の部隊はいま中央を支えており申す!」
「左翼の隊は松波長利だ。いま奴を失うわけにはいかぬ。総光、おるか?」
「は、ここに!」
遊佐総光が陣幕の中に入ってきた。
遊佐総光は侍大将として中央本陣寄りの隊を指揮していた。
「総光、二千を率い左翼側松波隊を援護せよ。」
「は、しかし…!」
「中央は持ち堪えられる。松波のほうは地形的に防衛が難しいようだ。」
「…承知。しかし平長光の三百は残しますぞ。」
「好きにしろ! とにかく松波の救援に向かうのだ。」
「お任せあれ!」
遊佐総光が一礼して陣を出て行った。
あとは遊佐や松波ら部下の事を信じるしかない。
思えば此度の戦は僕が経験する中で一番大きな戦いと言える。
今までは千や二千規模の戦がほとんどであったし、優秀な部下のお陰ですぐ終わるようなものばかりだった。もっとも今の防衛戦闘の作戦を採用した時点で、一日やそこらで終わるものでは無いのは覚悟してはいたのだが…。
◇ ◇ ◇
「御注進!!!」
本陣の中に伝令が入ってきた。
「うむ、どうした? 報告を聞こう。」
「は。内山越に向かわれていた椎名様からの知らせにございます。安養寺衆と椎名隊により、内山越から侵攻してきた加賀一向一揆勢を打倒したとの事!」
「なんと! して味方の被害は?」
「は。御味方の損害ですが椎名隊は二百程、そして…」
椎名康胤に預けた軍は国人衆の兵二千だ。
常備軍では無く農民兵だからある程度の損耗は覚悟しなければならないが、その割合が一割だから少ない損失では無い。
「…安養寺衆は二千程が亡くなったようにございます。」
安養寺衆は三割近いそれである。
<現代>のように分業化した兵隊で三割損耗したら全滅に近いと言われるが、この時代ではそこまで分業化していないとは言えかなり厳しい状況には違いない。
「…それと殿。」
「何だ? どうしたのだ?」
「…安養寺衆を率いた大谷兼芸様が、討ち死なされました。」
「え、何? それは真か?」
「は、はい…。大谷様は安養寺衆を率い、それはもう先頭に立って奮戦なさいました。敵方が油断をしていた緒戦は圧倒したものの、態勢を立て直され応戦されました。それでも大谷様と安養寺衆は怯むことなく戦いを継続したのですが、敵兵の槍にて…」
「まさか、そんな馬鹿な…。あの生臭坊主が討ち死だと…?」
僕は言葉を失った。
本陣にいた将兵も同様だ
「…それで兼芸は?」
「大谷様の御首級は敵に渡る事なく、何とか御味方によって安養寺まで運ばれ申した。」
「そうか、それは良かった。…この戦が終わったら労ってやらねばな…」
正直実感が湧いてこない。
しかしこれが戦争の現実なのである。
「内山越での戦いの後、椎名様にて部隊を再編しております。五千程の兵がまだ継戦可能にて、三日後には出立できるとの事にございます。」
「…相分かった。椎名等は内山越から加賀へ入り、敵軍の横を突いてもら。全軍に触れを出せ。椎名等に合わせ我が本隊も反撃を開始する。能登の義総にも御出馬願おう。」
義総には能登方面の国境を押さえてもらっている。
更なる圧力を掛けてもらおう。
「皆の者、兼芸や死したものの弔い合戦だ。確と準備せよ!」
「「「「応!!!!」」」
僕の号令に一同が意志を同じくした。
ここから二週間ののち、手痛い損害を被った加賀一向一揆勢が撤退したのであった。
◇ ◇ ◇
戦の後、僕は数名の部下と共に大谷兼芸が眠る安養寺御坊を訪れた。
「これは殿、良くぞいらしてくださいました。」
今はこの寺の住持として活動している実悟が出迎えてくれた。
「ああ、実悟殿か。まずは兼芸に会わせてもらっても良いかな。」
「もちろんにございます。兼芸殿も喜びましょう。」
寺の本堂に行くと、そこには大谷兼芸の遺骨が安置されていた。
既に荼毘に付されていたようだ。
「まさかこのような姿になった御坊に会う事になろうとはな。」
僕は兼芸の遺骨に手を合わせた。
「殿、共に戦った者から兼芸殿の今際の言葉を預かっており申す。文としました故、お読みくださいますでしょうか。」
「ああ…」
僕は実悟殿から文を受け取った。
そこにはこう書かれていた。
『殿、まさか拙僧が殿に対してこのような今際の言葉を残すことになるとは思いもよらぬ事でありましたぞ。殿、この戦の前に拙僧が褒美を望んだのをお忘れではありますまい。折角だから二つの褒美を所望いたす。まずは一つ目。拙僧が死したとしても、信仰に関しては実悟殿がおられるから心配はしておらぬ。しかしながら<安養寺衆>としては心配しております。我が安養寺衆は先鋒として戦い申した。さすれば我が安養寺衆を神保家の忠臣としてお迎え頂きたい、と言うのが大きな願いにござる。』
ああ、忠臣であるのは疑いようもない事だな。
『それから二つ目。これは拙僧から殿、神保長職様個人へのお願いじゃ。儂が思うに、殿はまだまだ甘ちゃんである。人も良すぎる。そんなお人よしの甘ちゃんでで戦国の世で生き残って行けるのか? 殿の様な未熟者には遊佐総光殿らの様な武人も必要だが、儂の様な本音で生きる生臭坊主も必要だったはずだ。それなのにそんな儂が死んでしまうのだから残念だったな。んまぁ何を申したいかと言うと、だな。
『…生き残れ。甘さを捨てよ。友は大事にせねばならないが、いつかは冷酷にならなければいけない時が来る。その時は躊躇してはならん。強くなった殿を見せていただきたい、それが二つ目の願いじゃ。…あ、それともう一つ願いがあったな。』
『墓の前にお供えの酒は絶やさぬようにな。』
・・・
「ははは、兼芸よ。酷い言い様じゃないか。…委細承知した。どこまで出来るか分からないが、貴殿の願いを聞き入れよう。」
僕は文をクシャっと握り締めた。
たまには感動系の話も良いかななんて思いまして…




