第六十二話
一五二二年五月 京・三条御所
「おお、長職! よく来たの!」
眼前、上座に座っていた足利義晴が満面の笑みで僕を迎えた。
越中への下向を経た事から、足利義晴は僕が自分の派閥の将だと思っているのだろう。
まぁ形式上主君には違いが無いから、こちらも無下にする事は無いのだが。
「は! 神保宗右衛門尉長職、御召により罷り越しましてございます。」
僕はそう言いながら平伏した。
「うむ、大儀であった。そう言えば長職は高国と会うのは初めてであったの。そこに控えるは管領・細川高国じゃ。」
足利義晴の横の少し離れた位置には現代では壮年に差し掛かるであろう武士が座っていた。
なるほど、これが足利義晴の後ろ盾となり現在実質的に権勢を誇っている細川高国か。
「これは細川、あー武蔵守高国様。お初にお目にかかります。神保宗右衛門尉長職にございます。」
僕は細川高国の方に向き直って挨拶の言葉を述べた。
「ふむ、貴殿が神保長職殿か。公方様が貴殿の名をしきりに仰せになるものだから、どのような人物か気になっておったぞ。」
細川高国は何とも言えない笑顔で応じた。
何だろう、心が籠っていない営業スマイルとでも言うのかな。
「それはもったいないことにございます。」
「しかしまさか我が義理甥と共に参るとは思っておらなんだが、義理甥と何か繋がりでもあったのかの?」
細川高国の表情がにわかに変容した。
「あ、いえ。細川六郎様とは、某が御所に参りました際に偶然お会いしたのでございます。」
これは嘘では無いからな。
完全に今日が初対面だ。
「ほう、そうなのか? 義理甥よ。」
細川高国が細川六郎をジロリと睨むような視線を向けた。
細川高国と細川六郎は系図上では義理の叔父甥の間柄である。
これは細川京兆家十二代当主の細川政元が修験道に凝って実子が無く、分家の野州家等から三人を養子としていた。要するに、変わった人物であったのだ。
この養子の内の二人が細川高国と、細川六郎(晴元)の父・澄元だ。
何故六郎(晴元)と今書いたかというと、高国も澄元も皆、仮名は六郎だからだ。
実に分かりにくいことだが、本作では細川六郎と言うと細川六郎(晴元)を指す事とする。
「そのとおりじゃ、義叔父上。おれが供と一緒におらぬ故、宗右衛門尉殿が一緒にいてくれるよう、お願いしたまでじゃ。」
細川六郎は平然とした様子で答えた。
「ほう、そうか。神保長職殿、我が義理甥の事で苦労を掛けたな。礼を言う。」
細川高国が軽く頭を下げた。
ふむ、この権力者は状況に応じて立場の使い分けは出来るようだな。
「あ、いえ。こちらこそ管領様のお役で立てるのであれば幸いでございまする。それに六郎様もまだ可愛げのあるお年どころ故。」
ひとまず自分は中立であることをアピールすることにした。
史実通りに進めば管領・細川高国は失脚し細川六郎が管領となる(実際に職についたは諸説ある)のだ。
まぁ三好長慶等が出て来れば細川六郎も同じ道を辿るのだがそれはまだ先の話だし、今現在でどちらに付くとかそう言うのを連想させないのほうが良いだろう。
「ほほほ、そうじゃの。義理甥が今後も儂にとって可愛げのある行動してくれれば良いのだがな。」
「それは義叔父上次第でござろうよ。」
「ふん、減らず口を…」
うーむ、この義理叔父甥の関係はダメだな。
まぁ細川京兆家十二代当主が三人も養子を迎えればそうなるのは必然だったのだろう。
それにしても細川六郎のメンタルは中々のものだ。
「管領様、六郎様。ここは公方様の御前にございますぞ。」
とりあえずここらで止めておこう。
「改めまして公方様、此度は征夷大将軍への就任、おめでとうござりまする。」
「うむ、皆のお陰じゃ。越中では長職にもいろいろ学ばせてもらったしの。」
「いえいえ。某のしたことなど大したことではございませぬよ。管領様を筆頭に、畿内の諸将が公方様の御為に獅子奮迅の御奉公を行ったのでしょう。」
ここで管領・細川高国もヨイショする。
まぁ事実、僕は畿内の情勢にはノータッチだから、足利義晴の征夷大将軍就任には何も関係が無い。
横をチラリと見ると、細川六郎は少し不機嫌そうな表情になった。
僕は扇でうまく隠しながら、細川六郎の背中を指でツンと突いた。
すると細川六郎はハッとした感じになった後に表情を戻した。
「それはまぁ、其方の言う通りじゃの。だが越中への旅では畿内では決して学べない事も多かったと思うのじゃ。」
「そう言っていただき、某としては恐悦至極でござります。」
「余としては官位授与など褒美を取らせたいあったのだが、高国が首を縦に振ってくれんのだ。」
いやいや、褒美なんてもらったら持ちたくない関係を無駄に持つことになってしまう。
「それは管領様が正しゅうございます。申し上げました通り某には勲功がございませぬ故、真に恐れ多い事にござりますれば。」
僕はそう言いながら平伏した。
「…そうか。ならば仕方あるまいな。どうじゃ高国。長職は実に殊勝な将であろう。」
「は。神保長職殿であれば、公方様を奉じる良き臣になってくれましょう。」
足利義晴にとって僕は忠臣のようだ。
まぁそう言う事にしておこう。
それはそれとしてこのあと細川六郎が足利義晴へ適当に挨拶をしてから、僕は三条御所を辞すことになった。
そして横には僕と手を繋ぐ細川六郎。
…あれ?
もしかして僕は細川六郎に懐かれちゃったの????
テレッテー!
神保長職は細川六郎のテイムに成功した。




