第五十七話
一五二二年五月 上洛道中
五月の入ったある日、僕達は京へと出発した。
今回は敦賀まで海路で行くルートでは無く陸路を選択した。
陸路では十日ほどの行程を想定していた。
陸路と言えばどうしても加賀を通ることになってしまうのだが、さすがに上洛するためにはそれなりの軍勢を伴わないといかず、これもやむを得ない事だろう。
上洛軍であるが畠山義総との連合の軍を編成した。
畠山軍が四千、そして我が神保軍が千の総勢五千の軍勢である。
我が神保家ももう少し数を出せはするのだが、義総からそれは出さなくて良いと遠慮されてしまった。
まぁ越中国内に不安要素が無いわけでも無いし、越後や飛騨方面への備えも外さない方がいいからな。
ここは甘えておこう。
「さてもうそろそろ加賀に入る訳だが、物見を出しておくか。」
「はい、既に我が方の薬売りを先行させております。」
「ほう、長職が誇る薬売りか。今度俺にも引き合わせてほしいものだな。」
僕の横で義総が満足そうに頷いた。
「義兄上も透波くらいお持ちでありましょう?」
「まァ、おるにはおるがな。」
「ならば良いではありませんか。」
「お前が言うところの仕組み?とはやらを、俺のところにも広めてはくれんのか?」
「軍事機密ですからね。」
「うーむ、つれないやつめ。」
義総と雑談していると不意に横文字を言ってしまう事があって、最近では義総も使うようになってきてしまった。まぁ、今更って感じだけど…。
「噂をすれば来たようだぞ。」
視線の先には行商人の恰好をした男が小走りで近寄ってきた。
「殿、御注進でございます。」
「うむ、ご苦労。申せ。」
「はっ!」
目の前で跪く男は真佑と言う薬売りだ。
主に加賀方面で諜報活動をしている手練れである。
「倶利伽羅峠を下りた先に一向一揆と思われる軍はおるようでございます。その数およそ二千。」
「ふむ、どういうつもりかな。」
当たり前の事であるが、この時代の峠道は幹線道路たる北陸道とは言えそれほど広くは無い。
…と言うか狭い。
その為いくら倍以上の軍を擁していても突破は簡単では無いのだ。
「しかし坊主共には上意を受けての上洛軍を通過させる先触れは出した。必要ならその軍に使者を出せば良いだろう。」
「確かにそうですね…」
義総が言う様に今回の旅において加賀国内に軍勢を通過させるとの先触れは一向一揆側に出していた。何で事前にそんなことを知らせるのか? と思う人もいるかもしれないが、あくまで戦闘を目的としない軍を入れるのであれば事前に知らせておいた方が、相手方を刺激せずに済む(かもしれない)のだ。それに公方の意を受けての上洛であるから、その一行を攻撃するのは公方へ敵対するのと同義だ。
ここは堂々としていた方が良いと言うものだ。
「よし予定通り軍は進めよう。真佑、配下の薬売りには坊主共の軍を監視を継続するように通達してくれ。」
「かしこまりました。」
真佑は一礼すると小走りで走り去っていった。
流石に二千程の数で仕掛けてくるとは思えないが、警戒を緩めてはいけないな。
◇ ◇ ◇
倶利伽羅峠。
ここは歴史が好きな方であれば一度は耳にしたことはあるだろう。
かの源(木曽)義仲が平維盛ら平家軍を破ったので有名な場所だ。
火牛の計のエピソードがあるが、それは創作であるとも言われている。
いずれにせよ寡兵にて大軍を壊滅させて場所であるから、心情的には警戒したくなると言うものである。
「ふーむ、こんなところであの木曽義仲は平家軍に奇襲をかけたのか。」
倶利伽羅峠の戦いでは夜間の木曽義仲方の奇襲によって大混乱に陥った平家軍は次々に谷底に落ちて行ったと言う事のようだ。
平家方には油断や内部対立があったのも敗因の一つと言う説もあるので、我が軍で同じようなことが起きないようにせねばならないな。
そんな緊張感を持って僕達は峠道を下っていったわけだが、結果を先に述べると、特に何も起こらなかった。峠を抜けた先に布陣していた加賀一向一揆軍は遠巻きにこちらを見ているだけで特に動きを見せなかったし、薬売りによる報告を聞いてみても不審な様子は全く無いと言う事であった。
かの軍はおそらく我等畠山・神保連合軍の監視のためにここにいただけなのだろう。
もちろん通過後に追撃されない警戒する必要はあろうが…。
…まぁ何も起きないに越した事は無いけど、ここまで何も無いと拍子抜けではあるな。
この後加賀から越前、近江を抜けて京へ向かったのだが、道中で何も起きる事は無かった。
たまには何事も無い回も重要と言うものです(本当に?)




