第五十六話
一五二二年四月 氷見狩野屋屋敷
「公方(足利義晴)様から書状とな?」
「は、ここに。」
「ふむ、読もう。」
僕は眼前にいる狩野屋の手代・市から書状を受け取った。
どうにも今ほど足利将軍家の使者が持ってきたそうだ。
この書状は朱印状であるから、足利将軍家からの正式な文であるのは間違いない。
「長職様、公方様は何と?」
先程まで談笑していた狩野屋伝兵衛が僕に問いかけて来た。
「うーむ、公方様は俺に上洛せよとのお達しだ。」
「上洛だと?」
「どうも来月の末に公方様自らが征夷大将軍になった祝いをするそうだよ。ほれ。」
僕は狩野屋伝兵衛に文を手渡した。
「なるほどな。征夷大将軍と言えば武家の棟梁だから、各国の守護や有力大名に文を出している訳か。それで長職様はどうするのだ?」
「…まぁ行かねばならぬだろうな。」
足利将軍家にかつてほどの権威は無いとはいえ、朝廷から任じられる征夷大将軍は武家の棟梁と言える役職だ。そして各地にいる守護大名は幕府から任じられるものだし、神保家の様な守護代はその配下であるから、名目上は主君なのだ。
「それはそうか。神保家は形式上公方様の派閥と言う事になっているからな。」
「…そのお陰で越中守護畠山家の影響力を排除できたと言うのもある。」
そうそう、昨年十一月に行われた越中守護畠山稙長との会談を取り持ってくれたのが足利義晴であった。
その恩もあるし無下に断ることは出来ないだろう。
「よし、伝兵衛。幸いにもまだ時間はある。手土産も準備せねばなるまいな、頼めるか?」
「もちろんだ。」
「よろしく頼む。ああ、市よ、まだ公方様の使者殿はおられるのか?」
僕は市のほうを向いた。
「は、別室にお待ちしておられます。」
「子細相仕りましたとお答えしてくれ。すぐに返書を認める。」
「承知いたしました。」
市が一礼して部屋を出て行った。
さてめんどくさい事になったぞ。
いつかは来ると思っていたが、ついに来てしまった。
出来るだけ中央の政争には巻き込まれたく無いんだけどな。
でもそういう訳にはいかないか。
僕はそんなことを考えながら硯に向かった。
◇ ◇ ◇
その夜、僕は狩野屋の奥座敷で鍋を囲んでいた。
出席者は僕、狩野屋伝兵衛、姜右元、そして手代の市である。
姜右元は久しぶりの登場だ。
この男の働きは見事なものであった。
最初は脅した結果我らの従者となったわけだが、薬の製造に関する知識は素晴らしかった。
薬種事業はこの男無しにはここまで成功しなかっただろう。
「姜よ、ここまでの其方の働きは見事だ。この神保長職、ありがたく思っておるぞ。」
「これは殿、もったいないお言葉にござりまする。」
姜右元が平伏した。
「褒美を取らそうと思うが、何か欲しいものはあるかな?」
「ま、真にございますか? な、なればその…」
「何だ、申してみよ。」
「その私は、よ、嫁が欲しいのです。」
姜右元が真っ赤になりながら答えた。
「嫁か!それは良いな。…で、狩野屋。嫁は…手配できるのか?」
「んまぁ…、適齢の女子を探してきて紹介する事はできるかもしれんが…」
「そうしてやってくれ。我が神保家に役立ってくれている人物の願いだ。」
「…承知した。」
まぁこれは狩野屋に丸投げしてしまおう。
「…して市の方はどうだ? 例の件は何か情報が入っているか?」
「は…、では!」
市が軽く頭を下げた。
この市、前述の通り狩野屋の手代に収まっているのだが、その実は狩野屋伝兵衛が京から連れて来た透波だ。
透波と言うのは野武士や盗賊から間者になったものを指す。
この市は本名を市丸と言い度重なる戦乱で治安が悪化した京で盗賊をしていたらしい。
年は僕より二十ほどは上の様であり、神保家における行商人の育成を任せている男だ。
「…今回は飛騨方面からの情報が入っておりまする。現在の飛騨ですが有力国人である三木氏と江馬氏の争いが激化しているようです。」
三木…と言うのは後に姉小路を名乗った有力国人だ。
某歴史ゲームにも出てくる姉小路良頼とか姉小路頼綱とかが有名だろう。
(もっとも父の姉小路良頼もまだ生まれたばかりのはずである。)
江馬…のほうはそれほど知られていないかもしれないが、これも有力な国人領主だ。
史実でもこの両家は激しく争い、最終的に三木のほうが勝利したはずだ。
「飛騨の一向一揆衆ですが、どうやら勢力が下火になっているようです。門徒の国人内ケ島氏の動きも低調の模様。」
「ふむ、実玄らがうまくやっているのかな。」
「さすがは殿。仰る通りで、安養寺衆が加賀と飛騨の繋ぎを妨害しているのが奏功しております。」
「なるほどな。では今のところ飛騨方面は三木と江馬の争いにだけ注意していれば良さそうだ。…市よ、引継ぎ情報収集を頼む。」
「承知いたしました。」
とりあえず南の心配はあまり無さそうだ。
目下、来月の上洛の準備を進めて行けばよさそうだな。
更新頻度が遅くなり申し訳ございません。
まだまだ仕事が忙しく、ゆっくりと執筆を進めて参ります。
よろしくお願いいたします。




